今日は生き方についての雑記です。

個性のある人ほど、「多民族、価値観雑多、カオス」な環境が居心地いいかも、というお話です。

 

個性の強い人ほど、多民族的な環境が心地いい

まぁよく触れてますが、私は米軍基地のすぐ隣に住んでいるんですよ。

なので周囲にはアメリカ人ばかりだし、おそらく私が住んでいる近辺は、日本でも最もアメリカ人の比率が高い地域の1つかと思います。

もちろんヒスパニック系(中南米系)も多いし、彼らはいかにも「スペイン語的な英語」を話していたりするので、しゃべりからも分かったり。

後は、インド系もたまに見かけたり。

 

で、ふと思ったのが、個性の強い人ほど、こういう「多民族、価値観雑多、カオス」的な環境が居心地いいのかもしれません。

というのも、そういう「多民族、価値観雑多、カオス」な環境ほど、「自分だけが違う」ということがなくなるからですね。

 

社会的な物差しで比べられるのが苦しい

だいたい工夫ができるタイプの人は、「物が乏しいこと」はさして苦にならないんですよ。

その一方で、「他者との比較」とか、「年収や知名度の比較」みたいに、社会的な物差しで他者から比べられたり、自分で比べてしまうと、苦しくなるものです。

 

実際に、苦しくなるのは、「どうして自分だけ」という不平等感や比較を味わったときですよね。

「みんなが成功できているのに、どうして自分だけ」とか、「みんながこれを持っているのに、どうして自分だけ」みたいに感じると、やりきれなくなるわけです。

 

多民族的な環境ほど、いろんな価値観がある

でも、「多民族、価値観雑多、カオス」な環境になるほど、そういうのは気にならなくなるんですよ。

まぁそれは当然で、いろんな文化や風習、考え方、価値観や生き方があるわけで。

 

例えばSNSだと「知名度が高く、リツイートが多いほどいい」かもしれませんが、米軍基地にいる人からすると、知名度なんて幸せとはほぼ無関係ですからね(笑

米軍の人を見ていると、「毎日を平穏に生きられることが幸せ」とか、「仕事を終えて家に帰れることが幸せ」、みたいなこともあるわけです。

実際に彼らは、夕方に軍服を着て家に向かっている時って、なんかやたら嬉しそうですから(笑

 

そしてそういう戦争だとか、人の生死に向き合う人に、「お前は知名度が低いじゃないか!」とSNSのように嘲笑したとしても、無意味です。

ひょっとすると、「お前はいったい、人生で何を大切にしたいんだ?」と、冷静にツッコミを入れられるかもしれません(笑

土台がしっかりしている人ほど、そういう根っこがしっかり張られていて、「いかにも軽い他人軸」に左右されにくいように思います。

 

踏み込まれることもない

さらには、多民族的な環境ほど、他人から「変に踏み込まれること」がなくなります

ほら、他人から「どんな仕事してるの?」とか言われると、なんだかすごく嫌な感じがすることってあるじゃないですか。

 

それは、その土台として「普通ではないことは、おかしいこと」という比較があるからのように思います。

だから、「自分が普通ではないことを、相手に言わなければならないこと」が苦しくなるんだと。

 

でも、多民族だったり、文化的にカオスな場ほど、そういう「踏み込まれること」とか、「普通ではないことを、あげつらわれること」がなくなります。

まぁそれは当然で、何もかもが違って当然なので、踏み込もうにも踏み込めないからで(笑

実際に私が住んでいる近辺では、まず踏み込まれることはありませんから。

そういう風に、「踏み込まれない安心」、「違いがあることが前提な安心」というものがあるように思います。

 

まとめ

なら、個性の強い人で、自由に生きたい人ほど、そういう「多民族、価値観雑多、カオス」な環境が合うように感じます。

そういう雑多な環境にいるほど、「好きに生きればいいやん。自分なりの尺度で、自分なりの成功を追い求めていい」と感じられますからね。

逆に、日本のように単一民族で、閉鎖的な場で、同じような価値観が当然とする環境だと、苦しんで当然のように思います。

 

もちろん、カオスな環境ほど、しんどいことも多いんですけどね。

文化が違うので、ちゃんと主張する必要があったり、調整し合う必要もあるでしょう。

 

ただ、「他人は分からなくて当然」、「価値観が違って当然」という方が、距離感を保てて居心地がよくなる、ということもあるように思います。

無理に干渉しない、無理に踏み込まない、無理に周囲に期待しない、成功の尺度を押しつけない、そういう方が楽なタイプもいるかなと。

 

すると、「日本のような均質で閉鎖的な場よりも、もっと多民族的な環境に移る方が、居心地いいのかも」と分かって、いろんな環境を試せるかもしれません。

日本に限定せずとも、特に海外まで含めると、そういう雑多で開けた環境や社会は多くあるかと思います。

そうすることで、無駄な比較とか不平等感から解放されて、生きやすくなるかもしれません。

 

ということで今日は、個性のある人ほど、「多民族、価値観雑多、カオス」な環境が居心地いいかも、という雑記でした。

今日はここまで~。

 

余談

ちなみに日本でも、米軍基地の周辺だけでなく、「観光地やリゾート地」、「大学がある地域」みたいな場所も、雑多で開放的になりやすいように思います。

それは、いろんな人が多く来るから、社会的に閉じにくいからだろうと思います。

で、特に観光地やリゾート地は、フレンドリーだし、踏み込まないし、明るくて居心地がよくなりそうにも思います。

 

だから自由が好きな人は、そういう場所もいいかなと思ったりもします。

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