今日は、生き方のお話です。
自然の立ち位置から論理を考えると、論理の罠から逃れやすくなる、というお話です。
「他の銀行よりも高い利息」に隠れた罠
ちょっとしたニュースがあったので、ご紹介。
河南省で異常事態、複数の銀行で「預金引き出し不可」、金融パニックの前兆か(JBPress)
記事の内容は、中国河南省の銀行で2ヶ月以上も預金引き出しができなくなって、「銀行破綻じゃないか」と疑われるようになってきた、というものです。
で、これらの銀行は、他の銀行よりも、だいぶ高い利息を設定していたと。
だから全国からお金が集まってきたんですが、利息が高いということは、銀行は「預金者に多く支払わなきゃいけない」というわけです。
なら、もしその銀行に「他の銀行以上の、特殊な収入源」がないならば、将来的には破綻しそうだと分かります。
表面的なメリットに誘われて、すべてを失ってしまう罠
こういう「表面的なメリットに誘われて、すべてを失ってしまう」というのは、これから多く起きうるように思います。
例えば経営状態が悪い会社ほど、資金繰りをするために、短期でお金を集める必要があります。
すると、「うちは他よりも、これほどすごいですよ!」と表面的なメリットを見せて、お金を集めて、その場しのぎをすると。
ただ前述のように、特殊な収入源とか、技術革新、経営刷新がなければ、先細りになっていって、いつかは破綻するものです。
それとか、世の中にはいろんな「怪しいうたい文句」があります。
私がよく言う「ビットコインを買うだけで、お金持ちになれる」とか、「S&P500を買うだけでお金持ち!」、「日銀がお金を作りまくれば、政府財政は安泰!」みたいなものもあります。
他にも、「風水は、この色をこの方角に置けば大富豪!」とか、「この財布を持つだけであなたも大金持ち!」とか、もういろいろ怪しいものはあるでしょ(笑
論理だけでは、見抜けないことが多い
だけど、こういう表面的なメリットって、論理だけで考えると見抜けないことが多いんですよ。
だって、論理的には正しいことが多いんですから。
「他の銀行は、低利息。この銀行は、高利息。ならば、この銀行に預ける方がお得である」
この命題は、疑う余地がありませんよね。
論理破綻を隠していることもある
他にも、論理破綻をうまく隠しているものもあるものです。
「ビットコインやS&P500は、これまでずっと長期上昇してきた。だからこれからも上がる。だから買うだけでお金持ちになれる」
「日銀がお金を作りまくっても、今まではインフレは起きなかった。だからこれからもインフレは起きない。だから日銀がお金を作ってばらまけばいい」
これはアキレスと亀のパラドックスなんですが、この論理破綻をすぐに見抜ける人なんて、滅多にいないものです。
「この色をこの方向に置いて、この財布を買って、これだけの人がお金持ちになった。だからあなたもお金持ちになれる」
これは確率の母数が意図的に制限されていて、だから「ほとんどの確率でお金持ちになる」ように見せているだけです。
でも、これに気づけないこともあって、そういう人は「たった数千円でお金持ちになれるなら、割のいい投資だ」と判断してしまうこともあるかもしれません。
つまり、自然な立ち位置から見れば「なんか怪しいぞ」と分かるのに、論理だけで考えると見抜けないと。
そしてこういう場合、「言ってることは正しいんだけど、なんか違うんだよな」という感覚を持てると、うまく「怪しい理論」から距離を取れるように感じます。
「こうすべきだけど、なんか気が乗らない」という論理と直感
私たちって、時々「こうするのがベストだけど、なんか気が乗らないんだよな」みたいなことって、ありますよね。
「こうするべきなんだろうけど、なんか違う」、「みんなはいいって言うけど、私にはなんだかしっくりこない」、「誰もが持っているけど、私にはなんとなく違う。私には合わない」みたいな。
ある意味、論理と直感が反対方向を指す場合です。
こういう場合、私の中ではほとんどの場合で直感を重視するようにしています。
というのも、論理はごまかされることが多いんですよね。
私は論理にだいぶ強いタイプですが、それで分かってきたのは、論理はとても「人をだます」ことをします。
だって、前提条件を一つ隠すだけで、あたかも普遍的な論理に見えますからね。
それに、人の生き方や価値観でいくらでも選択肢は変わるし、生き方や価値観は論理で言えるものではありません。
それは本当に「自明の理」なの?
例えば「会社に行くとお金になる。お金がなきゃ生きていけない。だから会社に行かなきゃいけない」というのは、論理だけで見ると、自明の理でしょ。
でも、生き方という視点から見ると、「別にその会社に行かなくても、ビジネスを立ち上げてもいいやん。自給自足してもいいやん」と、別の選択肢も見えます。
他の例で言うと、「価格は安い方がいい」、「利息は高い方が得する」も、自明の理です。
でも、「あの人の人柄が好きだから、少し高くても、あの人から買いたい」とか、「あの銀行は誠実だから、利息は低くてもあの銀行を使う」とか、あるわけです。
つまり、生き方や価値観次第で、論理なんて一瞬で無意味になりうると。
自然の立場から、論理を眺めてみる
だから、論理だけで考えるのではなくて、自然の立場から論理全体を眺めてみましょうよ、ということですね。
「人の論理の下に、自然がある」のではなくて、「自然の中に、人の論理がある」ということです。
すると、おかしい論理が分かるようになります。
例えば「S&P500を買えば、お金持ちになれる」という論理でも、自然から見ると、これっておかしいですよね。
だって、「なんでアメリカのS&P500だけなの?」とか言いたくなるわけです。
日経平均ではなく、NYダウでもなく、インド平均指数でもなく、香港ハンセン指数でもなく、なぜS&P500だけなのか。
それに、日本人なら「諸行無常、盛者必衰の理(ことわり)」が分かるでしょ。
なら、「ずっと死なない」とか「ずっと落ちない」、「ずっと上がり続ける」というのは、自然の理から反していると分かるものです。
すると、その背後には、「S&P500は、基本的にアメリカの先端企業株だ。つまり、世界で一番の先端企業株が多い。だからアメリカが先端を走る場合においてのみ、上がり続けるロジックかな」と予測できます。
これぐらいの前提条件を絞れると、「アメリカが落ちる時期になると、危ないな。永遠に上がり続けることはない」と理解できて、より自然な立場から判断できるでしょう。
宗教的な「怪しい論理」もある
他にも、例えば宗教で「方違え(かたたがえ)」ってありますよね。
これは、例えば「北東の方向は忌み嫌うから、その方向に行かないようにする」とかいうもので、そういうのに影響される人がいるんですが。
でもよくよく考えると、地球は丸いので、「北東の方向」は巡り巡って、私たちの「南西」になるんですよ(笑
その上地球は大きいので、地球を1周すれば、ほんのわずかな角度変化で私たちの周囲が多く「北東」に含まれてしまいます。
そして地球を何周もすれば、地球すべてが「北東の方向」に含まれてしまいます。
だから、「北東の方向は行っちゃいけない」とすると、それは「どこに行っても北東になりうるので、どこにも行けない」になると(笑
そういう自然な立ち位置から見ると、「方違え」なんて論理は無意味だと分かります。
風水の「この色をこの方向に」とかも、同じです。
「この財布を持てば」みたいなものも、自然の立ち位置から見れば、「もしその財布を人類全員が持てば、どうなるの?」とか言いたくなるでしょ(笑
言い出せばきりがない「怪しい論理」
他にも、例えば占星術で「グランドクロスというものがあって、太陽系の惑星が十字にそろう」とかあるんですよ。
その場合、「不吉なことが起きる」とか、「重力が引き合って、その影響で破滅的な災害が起きる」とか言う人がいたりして。
でもよくよく考えると、「十字」の象徴はキリスト教の思想です。
つまり、その象徴というのは、「何十億年という自然の中で、たった数千年前に作られた、人の作り出した象徴的な印」でしかないと。
自然界の生命は、十字なんてものに、何も意味を与えません。
それに、「重力が引き合って、影響を与える」とか言いますが、おそらく月の重力の方が、何千倍、何万倍という、指数的に大きな影響を与えていると思うんですよ。
だって、重力は距離の二乗に反比例するとか、そういうメカニズムがあったように思います。
なら、「月の膨大な影響に比べれば、他惑星の重力なんて、海と砂粒のようなものだ」と分かって、疑わしさが理解できるかと思います。
無意味な論理に惑わされない
もっと言うと、「電子レンジの電磁波が危ない」とか言う人もいますよね。
でも、「1日中電子レンジの前に、電子レンジをつけっぱなしでいる人なんて、いるの?」とかツッコミを入れたくなるでしょ(笑
自然の立ち位置から考えるとまったく無意味なことなのに、ロジックだけで見ると「怖い」とか「恐ろしい」とか感じてしまうわけです。
同じように、明らかに怪しいのに「この銀行の方が得だ」とか、「ビットコインやS&P500を買わなきゃ」、「これで政府財政も日本円も安泰だ」とか思ってしまうと。
こうして論理にだまされて、「目先の損得」を選ばされてしまって、すべてを失ってしまうことになります。
まとめ
なので、そういう「言ってることは正しいんだけど、なんか違うんだよな」という感覚を持てると、うまく「怪しい理論」から距離を取れるように感じます。
直感と論理が綱引きをする場合、直感を重視して、自然の立場からロジックそのものを眺めてみるわけですね。
特に、「言っていることは納得だけど、この人はなんか信じられない」とか、「言うことは正しいのに、やたらと焦りを感じる」みたいなのは、警戒することですね。
まぁ、これは工夫ができる人ほど、そういう「何か変だぞ?」という感覚を持ちやすいように思います。
それは、やはり柔軟な価値観を持てるからじゃないかな、と予想しているんですが。
この辺が分かると、「論理は人をよくだます」と分かって、自分の価値観に照らし合わせて、自分に合う行動ができるかもしれません。
ということで今日は、自然の立ち位置から論理を考えると、論理の罠から逃れやすくなる、というお話でした。
今日はここまで~。