今日は、現状から出る考え方についてのお話です。

私なりの「現状から出るにはどうすればいいか」ということで、今まで書いてきた内容のまとめ的なお話です。

 

現状から出る考え方

まぁこのブログでは、「現状から出るにはどうすればいいか」ということによく触れてますよね。

現状が嫌だったり、苦しかったり、新しいことに触れたかったり、そういういろんな要因があるかと思います。

 

で、現状を打破するには、「外部からの扱いの変化」もしくは「自分の方向性や方法論を変えること」の、どちらかが必要です。

 

前者の「外部からの扱いの変化」は、ある意味「誰かが自分の幸せのために、お膳立てをしてくれることを期待すること」です。

「ある日突然、権力を持つ人が私の実力を認めてくれて、大抜擢してくれて、私は最高に幸せになれた」

「ある日突然、両親が態度を改めて、『あなたは最愛の子よ。私が悪かったわ。あなたが完全に正しかった。これから私たちは心を入れ替えて、あなたと接するわ』と言うようになって、私は幸せになれた」

そういうたぐいのものですね。

 

お膳立てを期待せず、自分を頼りにする生き方

まぁ世の中の多くの人がそれに頼っているし、確かにそういうことも世の中にはありうるんでしょう。

ただ、個性の強い人ほど、周囲から理解されにくいし、「自分の好み」に合わせてもらえることは少なくなります

まぁそれは当然で、周囲とは性質が違うし、いわゆる「普通の人」ほど私たちを理解しにくいものです。

それどころか、「自分自身ですら、自分に何が合うのか分からない」ということもあるぐらいです。

 

なので私は、後者の「自分の方向性や方法論を変えること」をメインに動くようになりました。

「誰も助けてくれないのならば、自分で動こう」と、自分を頼りにする生き方です。

 

恐怖よりも、安心で動く

それで私の場合、現状から出るために、「恐怖よりも安心を持とう」とか、「焦りよりも好奇心で進もう」みたいに提案しています。

というのも、恐怖を持つと、現状の方法論にしがみついてしまうからですね。

 

恐怖を持つと、その恐怖が強いほど、「自分が知っている中で、最も安全確実な方法論」を求めてしまいます。

そしてそういう「自分が知っている中で、最も安全確実な方法論」は、ほとんどの場合で「今やっていることを、もっと頑張る」です。

 

でもよくよく考えると、そもそも今やっていることを頑張っても未来が変わりそうにないから、「現状から出たい」と感じているわけです。

それなのに、その「頑張っても効果がない方法論」を「もっと頑張ろう」とするのは、ただ単純に自分をごまかしているに過ぎません。

「方法論がない」という現実から目をそらして、「昨日と同じように頑張れば、きっと未来は変わる」と、昨日と同じように願っているだけです。

 

そしてそんな「その方法論では未来がないのに、それを繰り返す毎日」とは、まさに「誰かが自分の幸せのために、お膳立てをしてくれることに期待すること」そのものです。

それどころか、すでに限界まで頑張っているのに、さらに「もっと頑張らなきゃ」とするので、肉体的にも精神的にも疲弊してゆきます。

だから、ずーっと同じ現状に居続けてしまう上に、いろんな不調や病を抱えるようになってしまうと。

 

安心を確保して、新しい世界に触れてゆく

そういう場合、「安心を多く確保して、実際に新しい世界に触れてゆく」というのがいいように思います。

例えば「世界中を移住しながら生きていきたい」という場合、移住だとか、他の国に、実際に触れてみることですよね。

 

それは、小さなことでもかまいません

例えば私の場合、近所に米軍基地があるんですが、そういう「身近な異国」に触れてみるのもいいでしょう。

すると、ふと近所を歩いていると、「異文化交流会のお知らせ」とか、「基地で本格的な英語を学ぼう」とか、「基地内部で働こう」みたいなポスターを見つけたりするんですよ。

こういうのは、まさに可能性だし、チャンスですよね。

 

他にも、例えば身近な外国人と知り合えば、その人からいろんな話を聞けるかもしれません。

すると、「こういう人が足りなくて」と、自分に合う働き口や移動先を見つけられるかもしれません。

 

誰が言っていたのかは忘れたんですが、これを「欲する環境の周りをうろうろしてみる」と表現している人がいたんですが、まさにそんなイメージです。

旅が望みなら旅の周りを、独立が望みなら独立の周りをうろうろしてみる、ということですね。

 

「今の社会にしがみつこうとしない」というスタイル

こういうのって、身軽な方が動きやすいかと思います。

ある意味、「今の社会にしがみつこうとしない」というスタイルの方が、チャンスを見つけやすいわけです。

 

実際に考えてみると分かるでしょうが、「ある日突然、日本にいられなくなった」という状況を考えてみるといいでしょう。

そこでもし「追い出さないでください!」と日本にしがみついてしまうなら、どうなるのか

 

その場合、「ここから追い出されると、死ぬ」という恐怖を抱えてしまいます。

すると、「追い出さないで! 何でもします! どうかお願いです!」と頭を下げて、自分を大いに曲げてでもその社会に居続けようとしてしまいます。

なら、周囲も「じゃあこれをしなさい」と、周囲が利益になる行動を求められます。

でも、そもそもそれができなくて苦しんでいるのに、もっとそれをしなきゃいけないので、もっと苦しくなってジリ貧になってゆくだけです。

 

しがみつかずに、まずは安心してみる

一方で、「この場にしがみつかなくても、生きていける」と、ひとまず安心してみるとどうでしょう。

すると、例えば「日本から出て生きている人も、多くいる」と分かって、いろんな生き方、可能性が見えてきます。

日本だけでなく、「この家(両親からの経済的支援)にしがみつかなくてもいい」、「この会社にしがみつかなくてもいい」ともできるでしょう。

 

そういう安心が余裕をもたらして、地味な可能性を見せてくれるわけですね。

それは、1枚のポスターとの出会いだったり、人との出会いだったり、何らかの募集との出会いになるかもしれません。

 

可能性は、地味な路地裏にある

で、私の中では、「可能性は、輝くメインストリートではなく、地味な路地裏にある」と思ってます。

例えば「こうすればあなたも億万長者!」とか、「さえないサラリーマンの私が、○○になれた成功の秘訣、教えます!」みたいなキラキラしたものは、役に立たないものが多いように感じます。

 

それは、「なぜキラキラさせる必要があるのか」ということですよね。

例えば人の募集の場合、本当に人材が安定する場所なら、募集そのものをキラキラさせる必要なんてありません。

教材だって、教える側に余裕があるなら、「本当に望む人だけ来ればいい」と絞り込むものです。

 

すると、「本当にいいものは、無駄にキラキラ見せる必要はない」と分かります。

求人だって、良質なものほどメインストリートに張り出すのではなく、裏口にでもひっそりと「○○担当の人材募集」と張り出していたりするんですよ。

 

本当にいいものは、安定感や「面白そう」がある

それに、本当にいいものは、安心して手に取れる安定感があったり、「面白そう」と感じるものです。

そもそも「面白そう」というのは、安心した上で、可能性が見えて初めて出てくる感情ですからね。

それは、「目からウロコが落ちる」という感覚に近いこともあるでしょう。

そういう「面白そう」という安心や安定感を頼りにすれば、焦ることもないし、楽しく学べるし、参入や撤退、調整、工夫も楽にできます。

 

でも、不安を持っていたり、焦っていると、これが分からなくなるんですよ。

欲と恐怖は表裏一体ですからね。

欲や恐怖を持つと、焦ったり、「私もそうなりたい!」と欲望をかき立てられたり、「私もそうならなきゃ!」と、ぶわーっと心をかき回されたりするものです。

だから「最短距離で、できるだけ失敗をせずに」となって、「詳しくはプロフィール欄から!」みたいな販売系アカウントに引っかかってしまうように思います。

 

まとめ

なので私の場合、「恐怖よりも安心を持とう」とか、「焦りよりも好奇心で進もう」みたいなアプローチが好みだったりします。

恐怖を抱えると、どうしても現状の方法論に固執してしまうし、最短距離を望むようになるし、だから工夫や独自の方法を模索できなくなりがちで。

 

そうではなくて、余裕を作って、安心で新たな世界に出て見ると。

そこでいろいろ触れていると、新たな発見があったり、チャンスも見えてくる、というスタイルです。

 

もちろん、短期では損をすることも多いし、当初の見込みと違って遠回りを強いられることも多いでしょう。

でも、安心を土台にしているから、少々の損失は気にならずに試行錯誤できます。

 

そういう「小さな失敗を受け入れて、未知の世界を知ってゆく」ことが、「現状から出て、より大きな可能性を得る」になるように思ったりもします。

 

ということで今日は、「現状から出るにはどうすればいいか」ということで、今まで書いてきた内容をまとめてみました。

今日はここまで~。

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