今日は精神的なお話です。
「運のよさは、知識量にも比例する」というお話をしてみましょう。
運のよさは、知識量にも比例する
以前どこかで、「運のよさは、どれだけ世界を広く見据えられるかで変わる」っていうツイートがあったんですよ。
これを見て、私は「確かに、そういう要素もあるな」と感じたり。
これを私なりの言葉で言うと、「運のよさは、知識量にも比例する」ってことですね。
オレンジの例
まぁ私がよく使う例ですが、例えば自分の住んでいる庭に、オレンジが山ほどできるとしましょうか。
で、「オレンジは生で食べるもの」という知識しか持たない場合、山ほどできるオレンジを腐らせちゃうわけです。
すると、次から次へとできて腐っていくオレンジに、悪臭がしたり、周囲から苦情が来たりするんですよ。
そして「なんでこんなにオレンジができるんだ。こんな家、嫌だ。自分の家だけこんな個性を持っていて、自分だけが不幸だ」と感じると。
それで毎日お金をかけてオレンジを処分したりと、「努力して、オレンジ生えすぎという障害を克服して、普通になろうとする」わけです。
でも、オレンジの使い方を知っていると、それがだいぶ変わってきます。
例えば生で食べるだけでなく、ジャムにしたり、ジュースにしたり、アイスにしたり、ケーキとか焼き菓子に使ったり、ポン酢みたいにしたり、ステーキソースとかにも使えるかもしれません。
他にも、成分を抽出して美容液とか、香料とか、入浴剤にも使えるかもしれません。
なら、うまく保存できるようになるし、使い勝手もよくなって、その個性を売ることもできるわけです。
すると、今まで自分が欠点だと思っていたものが、一気に豊かさに変わりますよね。
多すぎる才能は封印されやすい
これは別の見方をすると、「多すぎる才能は封印されやすい」と言えるでしょう。
例えば恋愛物語が大好きな人がいたとして、あふれ出るエネルギーがあるとします。
だから毎日恋愛物語ばかりを考えて語るんですが、周囲にいる「普通の人」は、そんなに恋愛物語については興味がないわけです。
なので周囲から、「そんな話ばかり、もうやめて」とうざったがられると。
すると、「どうして私ばかり、こんなに恋愛物語に興味が向いてしまうんだろう。もっと普通のことができなきゃいけないのに」と感じて、苦しんでしまうようになります。
で、恋愛物語を封印して、普通の人のようになろうとするんですが、当然できません。
他にさしたる興味もないので、「毎日が面白くない。熱中できることが欲しい。私に何か向いていることはないんだろうか?」と感じて、落ち込んでいくと。
その胸の中に、「恋愛物語が大好き」という思いを封印したままで。
周囲の価値観で考えるほど、自分が分からなくなることもある
これも、客観的に見ると、「それは違うよ」って分かりますよね。
その恋愛物語が大好きな性質は、天からのギフトなんですから。
そういう場合、「私に何が向いているだろうか? 何ができるだろうか?」と周囲の価値観で考えるほど、自分が分からなくなります。
それは当然で、自分の中に「恋愛物語が大好き」っていう、絶対的な価値観があるからですね。
それは、「すぐ周囲にいる、普通の人たち」は恋愛物語を評価しなかった、というだけです。
でも知識量があれば、世の中は広いし、いろんな与え方があると分かります。
話で毎日聞かせるだけでなく、本としてまとめて読んでもらったり、ウェブで見てもらうなり、挿絵をつけてイメージしやすくするなり、いろいろ方法があると分かります。
他にも、企業の動画広告用ストーリーとして使えるかもしれませんし、ゲームや動画、演劇、歌詞とかにも使えるかもしれません。
そういう特殊な恋愛物語が大好きな、ニッチな層があるかもしれません。
まとめ
なら、そういう知識があるだけで、だいぶ変わりますよね。
すなわち、「運のよさは、知識量にも比例する」ってことです。
もちろん知識量がすべてではなくて、知識がなくとも、想像力とか、原理を見抜く力、常識を越える力とかでも代替できそうに思います。
それも、自分の中にある才能を使って応用できるかなと。
そういう風に考えると、自分の欠点だと思っていることも、「工夫次第で、豊かさにできることだ」と気づきやすくなるかもしれません。
すると、自分の中のあふれ出るものを使うことができて、一転して「あなたはうらやましい。そんなに才能に恵まれて」と言われるようになるかもしれません。
ということで今日は、「運のよさは、知識量にも比例する」というお話をしてみました。
今日はここまで~。