今日も精神的なお話です。

「大人になるとはどういうことか」という問題に、私ならどう対応するか、というお話です。

 

「そんな大人になんてなりたくない」というセリフ

まれに物語とかで、こういうシーンがあるじゃないですか。

例えば誰か弱い人や子供たちが、地位のある人から虐げられているわけです。

で、主人公はそれを止めたいのに、止めようと思えば(腕力的には)止められるのに、いろんな社会的な制約があってできません。

なので、上司や指揮官から「我慢しろ。それが大人だ」と理不尽なことを言われると。

 

すると主人公は、お約束のこのセリフを言うことになります。

「それが『大人になる』ということなら、俺はそんな大人になんて、なりたくない」みたいな。

で、制止を振り切って、残虐な権力者をこらしめるんですが。

 

そして主人公は悪役を倒して感謝されるんですが、それで社会的な窮地に立ちます。

でも、それまでに助けていた人たちの中に、さらなる有力者や権力者がいるわけですね。

で、主人公はその人たちによって助けられて、事なきを得る、という流れが王道なんですが。

 

「大人になる」って、どういうことなの?

この場合、上司は「弱者に対する理不尽にも我慢できること」=「大人になる」という定義でした。

まぁ、他の言い方をすると、「自分への嘘」とか、「建前」、「保身」を優先して、「自分の素直な気持ち」を無視する、ということです。

で、主人公はこの定義が納得できなかったので、「大人にならなくていい」と言ったわけです。

 

ただ、思うんですよ。

「ならお前(主人公)は、どんな定義なら納得できるねん」って(笑

 

これ、考えてみると、結構難しいでしょ。

「大人になるって、どういうことなの?」みたいな。

で、私ならどう対応するのか。

 

そこで私がよく使うのが、「思考の次元を変えること」ですね。

私がいつも使うアプローチだと、「そんなことにこだわる必要すらない」みたいにしやすいかなと思います。

 

「思考の次元を変える」とは、どういうことか

私は「いろんな価値観や判断基準がある」という視点が好きなんですよ。

その場合、思考の次元を切り替えるという方法が、効果的なように感じます。

 

言うなれば、「イエスかノーか」という選択肢を突きつけられた場合、「イエスとノー以外にも、答えは山ほどあるよね。その中で、自分に合うものを選ぼうよ」と答えるようなものです。

すると、「目の前にある価値観にこだわらなくていい。別の生き方とか、スタイルもある」とできて、「イエスとノーの狭間で悩む」というジレンマを解決できます。

 

例えば、「仕事に行きたくない。でも行かなきゃお金がなくなる」というジレンマがあったとしましょうか。

もしくは「これが欲しい。でも買うと、お金がなくなる」とか、まぁいろいろ似たような状況があるかと思います。

で、普通の場合だと、「メリットとデメリットを列挙してみよう」とか、「それぞれの場合を詳細にシミュレーションして、比較検討して決断しよう」とするかもしれません。

 

ただ、そうやって分析しても、たいていが「こっちを取ればあっちが立たず」になるものです。

だって、ぱっと見でメリットとデメリットがつり合っているから悩んでいるわけで、詳細に比較したところで、出てくるのは誤差程度でしかなくて。

だから、そういう思考で考えても、ずっと悩み続けることになります。

 

思考の枠組みを変えてしまう

でもそこで、「そういうことを悩まない生き方もあるよね」とか、「そんな次元で悩まない手段もあるよね」みたいに、少し次元を変えてみるアプローチもあると分かります。

「イエスかノーか」の対立ではなくて、思考の次元というか、枠組みそのものを変えてしまうと。

 

なら、「そういうことを悩まない生き方を探してみるかな」とできて、新たなアプローチができることになります。

「そもそも別のもっといい生き方をしていれば、仕事か会社で悩む必要はなくなるよね。なら、仕事かお金かで悩むよりも、そういう生き方を探してみようよ」みたいに。

そうやって、思考の次元を変えることで、問題を別のアプローチから解決します。

 

生き方の次元から、ものを見てみる

ちなみに私の場合、「生き方」とか「人生」みたいなより広い視野で見ると、そういう「別次元の答え」が見つかりやすいように思います。

「生き方からしてどうなの?」とか、「自分の人生を考えると、これってどうなの?」みたいな。

 

なら、生き方そのものを変えることで、「その問題に答える必要がない」とできて、悩みそのものを無効化できます。

もしくは、生き方が合っている場合、「人生レベルで利益になればいい」とできて、短期の損失を受け入れられます。

 

まとめ

そんな風に、思考の次元を変えることで、「問題そのものに答える必要がなくなる」という道が生まれるかなと思います。

どっちがいいかで比較検討するよりも、そういう発想ができれば、新たな道が見えるかもしれません。

 

ちなみに、冒頭の「大人になるって、どういうことなの?」という問いに対して、もし私がストレートに答えるならば、こう答えるかもしれません。

「世の中を自分の価値観で満たしても、世の中は幸せにならない」

それを知ることが、大人になることなんだ、と。

 

「世の中を自分の価値観で満たす」は、「独裁で支配する」と同義ですからね。

これが分かると、他者へのコントロールを手放せて、自由を得て、自分に素直に生きられるかなと思ったりもします。

いや、他にもいろんな回答候補があるんですが、とりあえずこれを選んでおきました(笑

 

ということで今日は、「大人になるとはどういうことか」という問題に、私ならどう対応するか、というお話でした。

うーん、今日のお話は、導入部分と理屈部分を無理矢理つなぎ合わせたので、なんだかまとまりがなくて、強引でしたかね(笑

まぁ修正するのも面倒なので、このままにしときます(笑

ってことで、今日はここまで~。

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