今日は、精神的なお話です。

「LGBTはダメだ、すべての人は子を作って育てるべきだ」という人に対して、私ならどう説明するか、ということでお話ししてみましょう。

 

「LGBT」の価値とは何か

「LGBT」って、最近よくありますよね。

これは、レズ、ゲイ、バイセクシュアル、トレンスジェンダーみたいな、「多数派ではない性的な性質の持ち主」を指すんですが。

それで、今は世の中的に「そういう少数派も受け入れていこう」という動きがあるわけです。

いやまぁ、アメリカでは10年近く前にはやったので、日本は10年近くこういう感性に遅れている、とも言えるかもしれませんが。

 

ただ、そんな中で、政治家とかが、こう言うわけです。

「LGBTはダメだ。性別は男と女で固定するのが当然だ」

「すべての人は子を、作って育てるべきだ。同性愛は子を作れないから、生命は滅ぶ。同性愛は生命としてダメだ」

「人は誰もが子を作って育てなければならない。そうしなければ、社会は滅ぶ」みたいな。

 

まぁ私は自由が好きな人なので、「いろんな価値観でもいいじゃない」というスタイルだったりします。

そういう人が、「LGBTはダメだ。すべての人は子を作って育てるべきだ」みたいな命題に対して、私ならどう説明するかを語ってみましょう。

 

役割分担できるほど、発展しやすくなる

私自身は、「LGBTのような人がいても、子を作らない種の人がいても、いいじゃない」という考え方だったりします。

そして、「そういう人がいる方が、おそらく世の中は発展、繁栄するだろうな」という考え方です。

「誰もがみんな生んで育てる」よりも、「生まない人もいる」という方が繁栄する、という発想です。

 

それはなぜかというと、単純に役割分担できるからですね。

 

これは、「子を作り育てること」を、「食べ物を作り育てること」に置き換えて考えると分かりやすいでしょう。

生命って、食べ物が必要じゃないですか。

食べ物を得られなければ、生命は生きていくことができませんし、滅んでしまいます。

だから「すべての人は、食べ物を作らなければならない。そうしなければ人類は滅んでしまう」と言っているようなものです。

これは本当にそうでしょうか?

 

役割分担をするから、発展できる

現実を見ると分かりますが、実際は違いますよね。

私は今までお米を作ったことはないし、食肉も育てたことはありません。

それでも、お米を食べたり、肉を食べたりして、生命として生きることができています。

 

それは、役割分担ができているからです。

農家はお米や野菜を作って、漁師は魚を捕って、畜産家が牛乳とかお肉を作ることで、私たちは食料を作らなくても生きていけるわけです。

建築の専門家がいることで安全に家を作ることができるし、輸送を主にする人がいることで、輸送を効率的にできると。

そうやって役割分担をすることで、世の中は専門性を生かして発展してきたと。

 

これが分かると、「すべての人は、食べ物を作らなければならない。そうしなければ人類は滅びる」と言うのは、だいぶ見当違いな発想だと分かります

だって、ただ単純に、それは役割分担のお話だからですね。

他の業種が山ほどある方が、より農家をサポートできて、農家は力を発揮できます。

 

それと同じように、「すべての人が子を産んで育てる」よりも、ある程度他の業種がある方が、よりよい環境を作れるのではないか、という考え方です。

例えば子育て用の日用品を作る人がいたり、幼稚園や保育園を整備したり、育てる環境を作ったり、社会をよくしたり、そういうのを専門とする人がいてもいいですよね。

なので、「すべての人が農家であるべきだ」、「すべての人がこう動くべきだ」というのは、それも一つの発想でしょうが、「だいぶ発展性はなくなるだろうな」と分かります。

それは、役割分担という発想がないからです。

 

個性があることで、役割分担できる

で、そこで重要になるのが、個性ですね。

個性というのは、言い換えると「他の人にはできないこと」です。

なら、その個性を利用することで、役割分担を効率的にできると分かります。

 

魚を捕るのが得意な人は漁師になればいいし、健康で体力があってものを運ぶのが得意な人は、輸送を担えばいいと。

すると、すべての人が農家であるよりも、より効率的に社会は発展できると分かります。

 

同じように、LGBTというのも、一つの個性です

例えば「女性のような感性を持つ、男性的な肉体を持つ人」がいることで、「より女性が生きやすくすること」を別のアプローチで実現できると分かります。

というのも、そういう人は男性的な身体を持ちますが、女性の気持ちで生きることができるわけです。

すると、そういう人がいることで、今までは「普通の女性では、肉体的な制約で実現できなかったこと」を、「男性的な肉体を持つ」というアプローチで解決できるんですから。

 

なら、そういう人が活躍することで、より新たな発想やアプローチで、女性が生きやすい世の中にできると分かります。

他の性的少数派も同じです。

 

「一人でいる方が好き」も、一つの個性

性的な少数派だけでなく、他にも性格的に少数派がいるものです。

例えば世の中には、「一人でいる方が好きで、一人でもさみしくない。むしろ、社会とはあまり関わり合いたくない」という少数派の人たちがいます。

そういう人も、その個性を役立てて貢献できると分かります。

例えば、今まで誰も住めなかったような田舎とか、山の中とか、砂漠でも生きられるように工夫をしたとしましょうか。

すると、そういう「こうすれば、こういう環境で生きられるようになったよ」というノウハウを世の中に残せば、後に他の人たちがそれを利用できるでしょう。

 

なら、例えば貧しくて都会では生きられなくなった人とか、都会では保育園を確保できなくて、子育てができなくなった家族がいるかもしれません。

そういう人に、「こういう場所でも、こうすれば生きられるよ」というノウハウを提供すると、だいぶ変わりますよね。

だって、「他の環境でも生きられる」という前例があるので、より生きる環境を選択できるようになるんですから。

それも、一つの人類の発展だし、一つの社会貢献だと分かります。

 

だから、「一人でいる方が好きで、自分から誰も住んでいないような僻地に向かって、住みやすく工夫する。そしてそういうノウハウを広げる」ような人がいても、いいと思うんですよ。

そうやって、LGBTの人たちと同様に、新たな可能性を得られるんですから。

それが、個性だということです。

 

画一的な生き方ばかりだと、簡単に絶滅してしまう

なのである意味、「すべての人が農家であるべきだ」というのは、「すべての人は、画一的な生き方をするべきだ。そうしなければ人類は滅びる」と言っているようなものです。

ですが、よくよく考えてみると、それは少し危険だと分かります。

 

というのも、画一的な生き方ばかりしていると、環境変化で生命は簡単に絶滅してしまうからです。

生命は、最初は海底火山の温水噴出口近辺でしか生きられなかったかもしれません。

もしそこで「生命はここで動かずにいるべきだ」として、ずーっと温水噴出口近辺にいた場合、海底火山が静まったら、そこで生命は終わりです。

 

だけど幸いなことに、生命はそういう「画一的な生き方」を避けるようになりました。

そして生命は厚い細胞壁を得ることで、冷たい海の中でも生きられるようになったり、肺呼吸を得ることで海から陸上に出られるようになったりしたと。

そうして「画一的な生き方」から逸脱して発展してきた生命の末裔が、人間なわけです。

 

すなわち、私たち生命は、個性を得ることで、いろんな環境で生きられるようになったわけです。

海底火山の近辺だけでなく、海の中、深海、川、陸の上、山の中、森の中、時には砂漠のように、いろんな場所で生命が生きられるようになったと。

なら、それぐらい広がれば、少々の環境変動でも生命が絶滅することはなくなりますよね。

それと同じです。

個性とか多様性というのは、そういう「絶滅を防ぎ、発展や繁栄をするためのメカニズム」だと言えます。

 

個性があるほど、発展しやすくなる

ある意味、個性や多様性がある環境ほど、発展しやすくなる、ということですね。

だって、いろんな専門的な立場から「こうすればもっと便利になる」、「こうすればもっと安全に生きられる」と工夫して、環境を向上してゆけるんですから。

裏を返すと、「人はすべて、こうして生きるべきだ」という価値観の押しつけは、とても支配的で、発展性がないと分かります。

 

もちろん、そういう画一性を求めるのにも、有利な場面があります。

それが、「社会的な危機にさしかかったとき」ですね。

今回のコロナウイルスにしても、地震とか災害にしても、何らかの外敵とか脅威があったときは、社会的に団結する方が危機に対処できます。

だから、災害時はマイノリティに対するヘイト(いわゆる排斥運動)が起きやすくなるんですが。

 

それと同じで、日本のように長期的に衰退している環境ほど、LGBTだけでなく、マイノリティへのヘイトは大きいんじゃないかと思います。

ただ、日本はとても画一的な民族だし、みんな同じような生き方をしている民族なので、それが表面に出にくいだけかなと。

逆に、アメリカとかではとても多様性のある民族で、違う生き方をしているので、表面に出やすいと。

だから私の中では、「日本はヘイトは表面に出にくいけど、日本の方がより小さなことでヘイトをしやすい。アメリカは表面に出やすいけど、少々の違いは受け入れて、多様性を認めやすい」と感じてます。

 

まとめ

なので、そう考えるとLGBTに対する存在意義も分かるんじゃないかと思います。

LGBTだけでなく、個性というのは、役割分担のようなものです。

その個性を利用することで、発展、繁栄することができる、ということです。

 

これが分かれば、「画一的な生き方をしなくていい。むしろ個性を発揮することが、世の中をよくすることだ」と分かって、貢献しやすくなるかなと思います。

そういう発想も、いいんじゃないかな、と思ったりもします。

 

ということで今日は、「LGBTはダメだ、すべての人は子を作って育てるべきだ」という人に対して、私ならどう説明するか、ということでお話ししてみました。

今日はここまで~。

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