今日も考え方のお話です。

 

「自信がない」に、どう対処すればいいのか

「自信がない」って感じること、あると思うんですよ。

そういう場合、「自信を持ちたい」とか、「自分はやればできる子だ」みたいに、自信を持とうとしやすいんですが。

でも少し考えてみると、自信を持てない場所で自信を持とうとするよりも、「ここは成果が出しにくい場かも」と思う方がいいように感じます。

 

というのも、もし成果が出る環境なら、自然と自信は生まれますからね。

自分の個性で成果を出しにくい環境に居続けるから、自信がなくなるわけです。

すると、「自分が属している環境が問題なのかも」と判断できるようになるかと思います。

 

なぜ「自信」というシステムがあるのか

なぜ人間に「自信」というシステムが組み込まれているのかというと、「生きづらい場所からは、出るため」じゃないかと思います。

これは当然で、世界は広くて、いろんな場所で食べ物を得られます。

なのに、食べ物がほとんどない砂漠とか岩石地帯に居続けて、ずっとそこで食べ物を得ようとするのは、無意味ですよね。

だって、食べ物がない場合、もっと食べ物がある地域に移動すればいいんですから。

 

そして、「食べ物があっても、自分の力では得られない」も同じです。

魚を捕ることが得意な人もいれば、木の実を見つけることが得意な人、動物を見つけるのが得意な人もいるものです。

 

自信がないから、移動できる

だから、自信というシステムがあるんじゃないかと思います。

「自信がない」というのは、「ここではうまく食べ物を得られない環境だ。他の場所に移動する方がいい」と身体が促していることになります。

なので自信がない時は、元気がなくなったり、モチベーションも出なくなったり、少しでも失敗すると「やっぱりダメだ」落ち込みやすくなると。

それによって、「ここは頑張ってもダメだ。自分の個性に合う環境ではない。他の場所に移ろう」と、その場から出られるわけです。

 

で、いろんな「ここもダメか、ここもか」と落ち込みつつも移動していると、ふいに「ここは自分に合う!」と感じる場所が出てくるんですよ。

それは、自分の個性に合うことで、成果が出やすくなって、結果を得られるからですね。

すると、「ああ、こういう場所なら自分でもうまくいく」と分かって、元気が出て、モチベーションも出て、少々の失敗でも「もっと工夫してみよう」とできます。

すなわち、自信が得られる、ということです。

 

自信を一つの判断基準にする

これは言うなれば、「常に自信は持つ方がいい」ではなくて、「なぜ自信というメカニズムがあるのか」を考えてみましょうよ、ということです。

すると、「自信は持たない方が、いい場面もある」と分かります。

というのも、世の中にはいろんな場所があるのに、成果の出ない場所に居続けるのは、あまり得策ではありませんからね。

 

なら、「ああ、自信って、成果の出にくい場所からさっさと出るためにあるものなんだ」と分かって、自信というシステムを判断基準として使えるかなと思います。

自信は、私たちの主人ではありませんよと。

そして私たちが、自信のために動くのでもありませんよと。

それは、目的と手段が入れ替わっていると分かります。

本来は、私たちが、自信というシグナルを一つの判断基準として使って、行動を調整してゆくものなんだと。

 

新たな方法論もなしに「自信を持とう」は無意味

そもそも、「こうすれば、道は開けるかも」という新たな方法論が見つかったら、自然と自信は出てくるものです。

だから、新たな挑戦ができるわけですね。

 

でも、今までとまったく同じ方法論で、今までずーっとダメだったことを、打開策も状況変化もないのに、「自信を持とう」=「うまくいくことを予感しよう」というのは、やはり無理があるように感じます。

すなわち、「自信が道を切り開く」のではなく、「自信は一つの判断基準である」とする方がよさそうに感じます。

 

もちろん、「自信があればできる」という場合もないことはありません。

世の中で言う「自信があればできる、やればできる」というのは、「リスクが低い場所で、個性がない人に対して、他者と同じようなことをする場合」にのみ通用することだろうと思います。

一方で、もしリスクがある道や、他者とは違う道を選ぶ場合、レールから外れて生きる場合とか、もしくは個性がある人に対しては、自信は一つの判断基準とする方がいいかなと思います。

 

自信と慎重さは、共存しうる

ちなみに「自信がある、ない」と「大胆さと、慎重さ」は違うものになります。

自信とは方向性や場の合致を示して、慎重さは進むスピードを調整するものです。

 

自信は、成果を出せる場かどうかの判断基準です。

これは、場だけでなく、「この方向性が自分には合うかな?」という判断基準にも使います。

 

一方で大胆さと慎重さは、リスクの度合いによって変えるものです。

リスクが低い場所では大胆に、一方でリスクが高い場所では慎重にするのがいいと。

 

だから、自信と慎重さは、共存しうるわけです。

「自信があるけど、慎重に行こう」ということもあると。

逆に、この違いが分からずに、「自信がない時は、大胆に行動しなきゃ」とかすると、痛い目を見やすいとも分かります。

それは、「成果を出しにくい場所で、大胆に(大きな資源を投下して、大きなリスクを冒して)行動する」ことは、大きな損失を生みやすいからですね。

 

まとめ

だから、どんなに頑張っても自信が得られない場合、「自信を持ちたい」とか、「自分はやればできる子だ」と思い込む必要はないように感じます。

「自信がない領域とは、自分にとっては不得手(ふえて)な場所だ。これは、一つの判断基準だ」と分かると、場所を変えられますからね。

それなのに、自信のない場所に固執するから、「どこに行っても、きっとダメだ」と自信を失うわけです。

 

「この分野は自信がある。成果が出しやすい」、「この分野は自信がない。成果が出しにくい」と、世の中には環境によって揺らぎがあると分かると、冷静に、客観的に環境を判断できます。

すると、「どこに行ってもダメだ」なんて全否定することはなくなります。

「この辺は、多少自信が増える」、「でもこの辺は、自信がない」、「なら、こういう方向性はどうだろう?」と、自信を方位磁石のように使えるわけです。

すると、「こういう方向性なら、強みを発揮できるかな?」と冷静になれて、仮説検証をしたり、行動をうまく変えてゆけるかなと思います。

 

ということで今日は、自信がない場合、「自信を持とう」ではなく、「ここは成果が出しにくい場かも」と思う方がよさそう、というお話でした。

今日はここまで~。

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