今日は、クリエイティブで、かつスピリチュアルなお話をしてみましょうか。

問題を「意味」で解決する、というお話です。

 

高級ひな人形を、「そんなもん、つまらん」と言える感性

おひな様が近づいてきましたよね。

今日、たまたま私の父親(隣の市在住)が、私の家に置いていた荷物を取りに来たんですよ。

で、見ると父親はそわそわとして、早くどこかに向かいたい様子で。

「この後何があるの?」と訊いてみると、「孫たちと一緒にひな祭りの準備をする」って言うんですよ。

「そりゃーそわそわするわ」、と感じたわけですが(笑

 

ちなみに先月のバレンタインデーでも、孫(私の兄の子たち)と一緒にチョコレートを作ったりと、いろいろ楽しんでいるようで。

で、ふと「この家にも、ひな人形があったよ。ゴミとして処分予定だから、使えるかも」と伝えたんですよ。

かなりゴージャスで、ひな壇からぼんぼり、牛車(ぎっしゃ)まであって、オルゴールまでついているという高級ひな人形が。

そこで父親は、こう言ったんですよね。

「そんなもん、つまらん」と。

そして、うきうきとしながら、孫たちの元へと向かっていったわけですが。

 

これを聞いて、「あ、私の父親もやっぱりクリエイティブなタイプなんだな」と感じたり。

元々が職人ですからね。

すなわち、「ゴージャスなひな人形を渡して喜んでもらう」か、それとも「子どもの工作レベルでも、一緒に作ったという経験を大切にする」かの、どっちを大切にするか、ということです。

 

「意味のある解決策が、人生を作る」という考え方

このベースには、「意味のある解決策が、人生を作る」という基本的な考え方があるように思います。

たぶん、こういうのをお金で解決しちゃったら、つまらないと思うんですよ。

そこには、「物語」がないんですよね。

すなわち、私たちは、「私たちが主人公になれる物語」を生きたいんだ、ということです。

 

私たちは、何らかの「物語」を生きたいように思います。

物語というのは、何らかの「意味ある一連の過程」のことです。

苦しいことでも、楽しいことでも、「こういう過去があったおかげで、今はこうできているんだ」、「私はこのために生きているんだ」という、意味のようなものですね。

 

人はそういう意味を持つことで、文字通り「人生の意味」を得られて、その目標に向けて挑戦してゆけるんだと。

「意味がない物語」って、つまらないじゃないですか。

逆に、「これを伝えたい」みたいな強いメッセージ性があると、たとえナンセンス作品であったとしても面白いんですよ。

そこには、「その作品を味わう意義」があるんですから。

 

孫は女の子と男の子がいるんですが、孫が大人になって、ひな祭りの時期が来たら「おじーちゃんと、一緒にひな祭りを作って楽しんだな」と思い出せると思うんですよ。

それは、大切な思い出ですよね。

そういう心のふれあいみたいなものが一つの「物語」であり、それが「人生の意味」につながっていくわけです。

 

問題を、「お金」で解決するか、「意味(物語)」で解決するか

一方で、私が住んでいる家にあるひな人形は、高級品なんですよ。

でも、持ち主の女性は「家に残ったのは全部ゴミだから、処分していいよ」と、全く思い出のカケラもない様子なんですよね。

その人の親は故人で私も知っている人ですが、あまりクリエイティブではなくて、お金で解決するばかりの人でした。

だからひな祭りの時でも、子どもに高級ひな人形だけを渡して、終わらせたんでしょう。

そして今、そんな「高価なゴミ」が家の中にあふれかえっていて、私が片付けているわけですが。

 

こういう対比を見ると、「問題を何で解決するか」ということが大切だと思うんですよね。

そこで「お金」で解決する癖をつけるんじゃなくて、「意味(物語)」で解決する癖をつける、ということです。

「私の人生に、これが与えられた。これはどういう意味なんだろう?」と問いかけて、答えを模索していく、というアプローチです。

 

例えば「孫と一緒に、ひな祭りを楽しみたい」のに、お金もないし、大きなひな壇を置く場所もない。

なら、何で解決するのか。

「意味で解決する」というのは、そこで「お金を求める」とか、「ひな壇を置く場所を求める」という前に、「意味」を考えるということです。

すると、「ああ、これは一緒に小さなひな人形を作って、楽しめということなのか」という、状況にぴったり合った、何らかの前向きな答えを得られるようになるんですよ。

 

ならば、色紙でひな人形を作ることもできるでしょう。

大きなものでなくとも、小ささで勝負することもできますからね。

日本人とかは、特に「小型化」が大好きで、「小さい方が優れている」っていう価値観に転換することもできますし。

オルゴールがなければ、一緒に歌えばいい。

お祝いのディナーを予約できなければ、一緒に料理を作ればいい。

 

そうやって「今あるものを最大限に活用して得られた価値」というのは、「ないものを必死で得ようとして得た価値」よりも、はるかに大きな価値になるんじゃないかと思います。

というのも、「今ある状況」を「全てプラスのもの」だととらえることができるからですね。

だから、「ああ、お金がなくてよかった。広い置き場所がなくてよかったな」と思えるようになる、ということです。

そして、「そっか、今お金がないのは、こういうためのことだったのか」と感じられるようになると。

 

なのに、多くの人が、「自分に与えられたもの以外のものに、価値がある」と思い込んでいるように思います。

せっかくお金がなくて、せっかく置き場所がないのに、「ひな人形を買えない自分はダメな奴だ」とか、「自分が欲しいのは、こんな狭い部屋じゃない」なんて思っているわけです。

わざわざ最高の解決策に導かれるように、天がお膳立てしてくれているのに、それに気づかないわけですね。

 

それと同じで、私たちの人生で問題が起こったときに、何で解決するのか、ということです。

「私はイケメンには生まれなかった」という場合、努力に努力を重ねてイケメンになるのか。

それとも、「天はわざわざこんな顔を与えてくれたんだ。なら、いっそのこと、この顔を活用して、人々を楽しませてあげよう」と思うのか。

「今はお金がない」という場合、「お金がない」と嘆くのか。

それとも、「お金がないという状況は、天が何か他の手段で解決できると、私に伝えようとしているんじゃないだろうか」と思うのか。

 

そういう「意味」で解決していくと、次第に「人生の意味」が物語のように描き出されるんですよ。

そして、「ああ、私の人生は、こういう方向に向かっているんだ」と、大いなる流れのようなものに気づけるようになります。

すると、「そっか、今まで経験してきたことは、こういう意味があったのか」と、過去を全て受け入れて、ありのままの自分を受け入れて、安心して未来に身を委ねることができるわけです。

その意味を感じられた時に、私たちが自分の人生の主人公になる、ということですね。

 

まとめ

だから、私たちの人生でも、そんな「意味」で解決するアプローチを取ってみるといいんじゃないかと思います。

すると、今いる状況がベストであると感じられるようになります。

「今の状況がベストである」と感じられると、その状況を最大限に利用して、問題を解決できますからね。

これこそが、最大級にクリエイティブな状態なんじゃないかと思います。

 

すなわち、クリエイティビティーというのは、「人生の意味」が与えてくれる、ということですね。

父親との会話で、そういうことを感じたりしました。

 

ってことで、今日は問題を「意味」で解決する、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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