さて、先日で触れたように、このブログ日本語版の最終回シリーズを開始しようかと思います。
私は結論から先に言いたいので、もうまどろっこしい説明はなしにしましょう。
今日は、心理的こじれのメカニズムと、一つの治癒方法として「性質別コミュニケーション療法」を提案しようかと思います。
そして最近の「ネガティブ療法」と、今回の「性質別コミュニケーション療法」、この2つの精神療法を最終成果として提案して、このブログ日本語版を閉じようかと思います。
で、今日はその「性質別コミュニケーション療法」概要と結論です。
なぜ頑張っても満たされないのか
私たちって、「どんなに頑張っても、精神的に満たされない」とか、「どんなに尽くしても、精神的に報われない」ということってありますよね。
毎日ひたすら頑張って耐えているのに、全然満たされなかったり、むしろ泣きたくなるようなことばかり起きるわけです。
評価を得ようと仕事を頑張っても、全然評価されずに、落ち込んだり。
もし評価されたとしても、それは一時的な喜びにしかならずに、再び苦しい競争を繰り返さなければいけなかったり。
「認められたいのに、頑張っても満たされない」とか、「受け入れて欲しいのに、どうすれば分からない」という苦しみを持つことがあります。
そして限界まで来ると、「もう頑張れない」と、絶望してしまうんですが。
場合によっては、そこで「もう疲れた、楽になりたい」と、自ら命を絶つこともあって。
こじれが苦しみを引き起こしている
ならなぜそういう現象が起きるのかというと、それがこじれによるものだと言えます。
こじれとは、「欲しいものを得たいのに、その目的と、手段がかみ合っていないこと」です。
例えば「人から受け入れて欲しい」という欲求がある場合、本来なら「受け入れてくれる人や環境に、受け入れてもらう」という手段が効果的だと予想できます。
なのに、逆に「自分とは違う価値観の人を攻撃する」、「自分を飾って正当化する」というのは、無駄だと分かります。
だって他者を攻撃しても、受け入れてくれることはほぼないからですね。
他にも、例えば「自分を受け入れない人たち」にどれだけ自分を正当化して見せても、だいたいの場合で無駄だし、限界があるものです。
どうすれば、こじれを解決できるのか
そしてそういう「本当はこれを満たしたいだけなのに、まったく見当違いなことばかりをして、満たされないままでいる」という人は多くいるものです。
つまり、こじれていることで、いつまで経っても本当に欲しいものが手に入らないわけです。
ならどうすればそのこじれを解消できるのか、ということです。
そこで今回は、「性質別コミュニケーション療法」という精神療法を提案しようかと思います。
これによって自分がどういうこじれを持っていて、どういう性質の人と接すれば自分の欲求を満たせるのか、その方法が理解できるかと思います。
4つの性質分類
それを説明するために、今回もいつもの4つの性質分類(外向型と、3つの内向型タイプ)を用います。
↑ いつものこの図です。(初出は「高共感な人の生き方戦略」です)
これは、上記の2つの軸(「社会維持型か境地開拓型か」と「高共感か低共感か」)で、人間には4タイプがある、というものです。
- 外向型: 個性がないので、社会で歯車として生きやすい。共感性が低いので、配慮よりも主張でコミュニケーションをする。
- 高共感タイプ: 個性がないので、社会で歯車として生きやすい。共感性が高いので、主張よりも配慮で相手を思いやる。
- 境地開拓タイプ: 個性があるので、独自なものを作るのが得意。共感性が低いので、配慮よりも主張でコミュニケーションをする。
- HSPタイプ: 個性があるので、独自なものを作るのが得意。共感性が高いので、主張よりも配慮で相手を思いやる。
「性質別コミュニケーション療法」の結論
で、今回提案する「性質別コミュニケーション療法」の結論は、次のようになります。
「自分と、こじれの原因となった相手(多くの場合で親)の性質を見極めましょう。
そして自分を受け入れたい場合、同タイプに触れるとよい。
他者への苦手意識を克服したい場合、自分のこじれを満たすタイプ(隣り合うタイプ)に触れて、適切なコミュニケーションをするとよい」ということです。
結論だけ言ってもよく分からないでしょうから、これから細かい「こじれの原理」を説明してみましょう。
この「こじれの原理」が分かると、どう対処すればよいのか理解できるでしょう。
タイプ別に「使いやすい言語」がある
上記で4つの性質分類に触れましたが、それぞれのタイプで、使う「言語」が異なっています。
私たちは同じ日本語を使っていますが、その中でもタイプ別に「使いやすい言語」があるわけですね。
それが、次図のような4つの言語になります。(初出の図です)
- 社会言語: 社会での価値観を前提とした、没個性的な言語。「みんな~」、「普通は~」など。外向型、高共感タイプが使う。
- 主張言語: 自分を中心とした、主張をする言語。「こうすべきだ」、「こうして」など。外向型、境地開拓タイプが使う。
- 論理言語: なぜそうなるのか、原理や条件などを説明する言語。「なぜなら」、「理由は」など。境地開拓タイプ、HSPタイプが使う。
- 共感言語: 相手の感情に共感したり、自分の感情を表現する言語。「こう感じた」、「こう感じる」など。高共感タイプ、HSPタイプが使う。
「使うコミュニケーション言語」に偏りがある
私たちはタイプ別に、こういう「使うコミュニケーション言語」に偏りがある、ということです。
実際に世の中を見ていても、だいたいこの言語ですよね。
例えば外向型ほど、「みんなこうだから、こうすべきだ」とか、「普通はこうでしょ。だからこうして」と言うものです。
それは、個性がないし、社会で歯車になれるタイプで、さらに主張でコミュニケーションをするので、そういう形になるわけですね。
一方で高共感タイプになると、主張が苦手になって、逆に共感言語が強くなります。
なので、「私はこう感じたの」とか、「あなたはこう感じたのね」、「その気持ち、分かる」という風に、自分の感情を伝えたり、相手の感情を理解できます。
外向型と高共感タイプの微妙な違い
ちなみに外向型も高共感タイプも、同じ社会維持型なので、同じような感覚には「分かる~」と言って同調しやすいものです。
ですがこれは、よくよく見ていると、外向型は感情表現は乏しいと分かります。
外向型は基本的に、相手の「行動」に着目して、行動に対する主張をします。
例えば、「こうされた。超むかつくでしょ! 普通はこうだよね。あいつはこうすべきだよ!」と、「行動」に着目します。
一方で高共感タイプは、「こうされたの。もう、泣きたくなって。私、いつもこんな風になっちゃうの」と、「感情」に着目します。
そしてその感情を発散させたり、内面で受け入れることを重視します。
性質の違いで、言語に偏りがある
つまり「同調」は社会維持型(図の左側)がすることで、「感情への着目」は高共感側(図の上側)がすること、ということです。
そういう違いがある、ということですね。
他のタイプで言うと、例えば境地開拓タイプは「こういう原理で、こうなるでしょ。だからこうすべきだ」と、論理と主張を主に使います。
HSPタイプは、「こう感じたのね。それはこういう原理だよ」と、論理と共感を主に使います。
そういう風に、私たちには性質が違うことで、「使うコミュニケーション言語」に偏りがある、ということです。
コミュニケーションが成り立ちにくい関係
だから、図の対角線上にある両者は、コミュニケーションが成り立ちにくい傾向にあります。
実際に、「外向型とHSPタイプ」は天敵同士だし、「高共感タイプと境地開拓タイプ」も天敵同士でしょ(笑
これは、主に使う言語が違うので、話がかみ合わないからです。
例えばHSPタイプにとっては、外向型の「普通ならこうする。だからこうしろ」という主張や要求は、苦しみやすいものです。
だってHSPタイプは個性があるので、「普通ならこうする」と言われても、その「普通」が自分には当てはまらないんですから。
同じように外向型も、HSPタイプの説明がさっぱり理解できないわけです。
というのも、HSPタイプの言う「私はこう感じたの。なぜならこうだから」という感情の原理説明は、外向型にとっては何を言いたいのか、自分にどうして欲しいのか、さっぱり分からないからですね。
外向型からすると、「みんなはどうなのか」という価値観と、「こうして」という要求でしか、相手の欲求を理解できないわけです。
違い自体は、どうしようもないこと
すなわち「言語」が違うから、無理をして相手の言語で言わないと、伝わらないことになります。
そしてこの違いが生まれること自体は、性質の違うがある上では、どうしようもないことです。
だからこの違いがあること自体は問題なくて、「通じにくい相手がいること」や「コミュニケーションが苦手なタイプがいること」は自然なことです。
そして共にこじれを持たずに健康的なら、「まぁ仕方ない。そういう通じにくい人もいるよ」と、苦手意識だけで終わります。
ですが、こじれを持つことで、そのこじれが錯覚を生むわけです。
そしてそれが、「どんなに頑張っても、満たされない。報われない」という現象を引き起こします。
ならここから、実際にこじれがどういうメカニズムで生まれるのか、その原理を見てみましょう。
「自分の性質とは違う言語」を使うと、錯覚が起きる
私たち人間は、生まれ育った環境によって、別タイプにあこがれることがあります。
自分とは違う別のタイプが有利な環境で育つことで、別タイプになろうとするわけですね。
すると、そういうこじれを持つ人は、「自分の性質とは違う言語」を用いようとします。
例えば外向型が共感性にあこがれると、外向型なのに感情表現をしようとするわけです。
で、この「自分の性質とは違う言語を使うこと」が、錯覚を作ります。
「外向型の親と、HSPタイプの子」の例
この錯覚はパターン数が多いので、ここでは分かりやすくするために、1つのパターンの具体例で見てみましょう。
このブログを読んでいる方はHSPタイプの人が多いと思うので、ここでは「外向型なのに高共感にあこがれる親と、HSPタイプの子」を想定してみましょう。
ここでは私たちが子で、HSPタイプだとします。
一方で親は、外向型ですが、親は「自分は高共感でなければならない」というあこがれや強迫観念を持っていたとしましょう。
すると、親はよく「共感言語」(主に高共感側が使う言語)を使おうとします。
「感謝」とか「気持ち」みたいな言葉を使おうとするわけですね。
ですが親自身は外向型なので、外向型ほどそういう感謝も気持ちも理解できないし、表現できません。
すると、「言葉」では共感言語を使っているのに、「実質していること」は社会言語と主張をしている、という現象が起きます。
外向型が使う、いびつな「感情表現」
ほら、例えば外向型は「感謝しなさい」、「恥をかいた」、「人の気持ちも考えろ」とか、感情表現の言葉を使いますよね。
本来なら、それらの感情表現は高共感側が使うもので、自分の感覚を表現するためのものです。
「感謝」はじわーっとわき上がるものだし、「恥」は哀しい感情だし、「人の気持ち」なんてまさに他者の気持ちを理解しようとする行動です。
だから、本来ならそういう「感情表現」は、他者を変えようとするためのものではありません。
ですが外向型がその言葉を使うと、言葉は共感言語なのに、実質は「普通はこう。だからこうしろ」という社会言語と主張になってしまうわけです。
実際に、親の言う「感謝しろ」、「恥をかいた」、「人の気持ちも考えろ」というのは、私たちに「こういう行動をしろ」と主張する言葉だと分かります。
すると、子がHSPタイプの場合、そういうこじれたコミュニケーションに触れるたびに、「共感言語=社会的行動を要求されること」と錯覚し始めます。
こうして私たちは、「私たちの感情を受け入れて欲しければ、社会的評価を得なければならない」と錯覚するようになるわけです。
外向型を、高共感タイプと錯覚してしまう
簡単に言うと、本来の親は外向型なのに、私たちは「親は高共感タイプだ」と錯覚してしまうわけですね。(次図)
↑ こんな風に、私たち(子)は「親は、気持ちを理解できる人だ。私の感情も、きっと理解してくれる人だ」と錯覚してしまうと。
一方で相手(親)は外向型なので、子の気持ちなんてまったく理解できない性質です。
だから、親は子に「普通はこうだ。だからこうしろ」と主張するばかりです。
すると、私たちは「いい『普通』になって、親の喜ぶことをすれば、私を理解してくれるはずだ」、「親を満たせば、きっと理解してくれる」と錯覚し、幻想を抱くようになります。
こうして私たちは、「外向型(親)を満たせば、高共感タイプ特有の反応(欲しいもの)を得られる」と、こじれた成功方程式を持ってしまうわけです。
後は、その幻想を強化するばかり
後は、その幻想の繰り返して、強化するばかりです。
「頑張った。でも認めてもらえない。きっと私の頑張りが少ないからだ」
「もっと頑張ろう。そうすればきっと私の感情を理解してくれて、受け入れてくれるはずだ」
こうして「永遠に頑張り続けて、永遠に認められない」という悲劇が起きます。
この場合、どんなに頑張っても、「気持ちを受け入れてもらえること」はありません。
だってその親は共感性が低いので、そもそも他者の気持ちを理解すること自体ができないんですから。
問題なのは、親が共感言語を使うことで、私たちが「親は高共感タイプだ」と錯覚してしまったことにあります。
ちなみに、もし親が健康的な外向型だった場合、HSPタイプの子は「理解できないタイプだ」と受け入れて、多少の距離を取りつつ育ちます。
で、大人になったら「あまり会話ができない親だったな。まぁそういうこともあるよ」と受け入れて、あまり気にせず、さらりと別の人生を生きられます。
ですが親が子に錯覚させて見せることで、子は「頑張れば理解してくれる」と錯覚し続けてしまうわけですね。
「きっと分かり会える。共感できるんだから。分かり合わなきゃ」と思い込んでしまうと。
「感情表現が苦手な、高共感側の子」
また、子は「共感言語=普通はこうだからこうしろ」と錯覚してしまうので、共感言語を使うのが苦手になります。
だから子は、自分の感情をうまく相手に伝えられなかったり、自分の内面で、自分の感情に向き合うのが苦手になります。
それは、自分の感情に向き合うたびに、「普通はこうだから、こうしなきゃ。でもできない」と内面で葛藤を引き起こすからですね。
それでいつも疲弊するので、次第に「感情は考えないようにしよう」と、自分の感情を見ないようにしていったわけです。
性質とあこがれで、こじれは合計8パターンある
これは「自分と親の性質」と「親がどの性質にあこがれているか」で、合計8パターンのこじれがあると言えます。
でもまぁ8つすべてを知る必要はなくて、単純に「自分が使う2つの言語(3つ、4つの場合もあり)で、どちらか、もしくは双方がこじれている」と考えるといいでしょう。
ですが、このブログの読者では、上記の「親が外向型で、高共感側にあこがれを持ち、子がHSPタイプ」のパターンが一番多いかと思います。
なので、今回は分かりやすくするために、まずはその例で説明してみました。
こういう風に、子が「高共感なのに、感情表現が苦手」な場合、その子は愛情に飢えることが多いでしょう。
ちなみに「親が外向型で、境地開拓側にあこがれを持ち、子がHSPタイプ」の場合、上記の「共感言語」を「論理言語」と置き換えるといいでしょう。
すると、子は「本来なら論理に強いのに、理由や原理を説明することが苦手」という現象を持ちやすいかと思います。
こういう子の場合、「他者を説得するのが苦手」、「他者に自分のアイデアや意見を提案できない」ということが多いかと思います。
そして最悪の場合が、「親が外向型で、高共感と境地開拓側にあこがれを持ち、子がHSPタイプ」という状況でしょう。
この場合、子は共感言語と論理言語共に錯覚を持ち、とことんコミュニケーションが苦手になるかと思います。
それは他者とも、自分の内面においても、コミュニケーションが苦手になってしまうわけですね。
同じように、「親が高共感タイプで、子が境地開拓タイプ」とか、「親が境地開拓タイプで、子が高共感タイプ」という場合でも、こじれは起きます。
これはパターンが多いので、これらについてはまた後日説明します。
こじれの解決方法
これが、私たちが錯覚を持ってしまう原理です。
私たちは「言語と性質」に対して錯覚を持つことで、「永遠に頑張り続けて、永遠に認められない」というこじれを持ってしまうわけです。
なら、この原理が分かれば、解決策は導き出せます。
結論から言うと、それが次の3つです。
- 自分と、こじれの原因となった相手(多くの場合で親)の性質を見極める。
- 自分を受け入れたい場合、同タイプに触れるとよい。
- 他者への苦手意識を克服したい場合、適切で健康的な別タイプに触れて、適切な言語でコミュニケーションをするとよい。
まずは1つめのステップで、自分の性質と、こじれの原因となった相手(多くの場合で親)の性質を見極めます。
多くの場合で、対角線上の関係になるでしょう。
「外向型とHSPタイプ」、もしくは「高共感タイプと境地開拓タイプ」という関係で、こじれが起きやすいものです。
もちろん、「同じタイプで遺伝するだけ」ということもあります。
自分の性質を受け入れたい場合、同じタイプに触れる
で、自分の性質を受け入れたい場合、同じタイプに触れるといいでしょう。
これは感覚として分かるかと思います。
例えばSNSでも見ていると、「HSPという概念を知って、こういう人たちがいると知って、救われた」とか言う人がいるものです。
もしくは私の本でも、「境地開拓型という概念を知って、自分はこういう性質でいいんだと分かって、救われた」と言ってくださる人もいて。
こういうのが、「自分の内面で、性質を受け入れる」ということになります。
これは多くの場合、「この人は、私の感覚や言葉を、見事に代弁してくれている!」という風に、直感で分かるでしょう。
個性的な人ほど、「世の中に、こんな私と同じ感性の人がいるなんて!」と、感激するかと思います。
健康的な別タイプとコミュニケーションをする
ただ、それでも「他者とのやりとりが苦手なまま」だとか、満たされない欲求を抱え続けることも多いものです。
その場合、自分が錯覚を持つ「本来なら得意なのに、苦手意識を持つ言語」で、健康的な別タイプとコミュニケーションをするといいでしょう。
例えば上記の「感情表現が下手で、感情に向き合うのが苦手なHSPタイプの子」という場合、本来なら共感言語が使えるのに、それが苦手な状況だと分かります。
つまり、共感言語にこじれと錯覚を持っている状態です。
その場合、同じ共感言語を使う、別タイプとコミュニケーションしてみることになります。
↑ 再度図を出すと、こういう関係です。
なら、感情表現が苦手なHSPタイプは、「健康的な高共感タイプと、共感言語でコミュニケーションをすればいい」と分かります。
「健康的な高共感タイプ」に感情を出す
実際に、こじれを持たない健康的な高共感タイプに対して、自分の感情を出してみましょう。
まずは、「多くの人が感じやすい、ポジティブな感情」で、少しずつ「自分だけが個別に感じた、ネガティブな感情」を出してゆくといいでしょう。
すると、相手が健康的な高共感タイプであるほど、「そう感じるよね」と、受け入れてくれます。
なら、感情を伝えれば伝えるほど、きっと私たちは感激して、満たされるかと思います。
だって、今までどんなに頑張っても得られなかったものが、得られるんですから。
社会的評価を作らなくても、親の言うことに従わなくても、我慢しなくても、相手は私たちの感情を受け入れてくれます。
「こうしろ」とか「普通ならこうだ」と要求することもなく、ただ純粋に感情を受け止めてくれます。
私たちが嬉しかったこと、哀しかったことを伝えて、相手はありのままを受け入れてくれます。
「本当に欲しかったもの」が満たされる瞬間
すると私たちは、「これが本来のコミュニケーションなんだ」と分かって、感情を伝えることを止められなくなるでしょう。
「感情を伝えて、それを受け入れてくれる。私はずっと、これが欲しかったんだ」と、自分の本当に欲しかったものが満たされます。
そうすることで、私たちは「社会的評価を作らなくてもいいんだ」と理解して、こじれと抑圧を手放せて、満たされます。
同時に、そういう健全なコミュニケーションを重ねることで、「親は外向型で、感情を理解できない人だったんだ」と理解できるようになります。
それによって、私たちは「親に感情を理解されることは、元々無理だったんだ」と分かって、執着を手放せます。
別パターンの場合でも同じで、上記の「性質」と「言語」の2要素をそれぞれ入れ替えれば、自分特有のこじれを解決できると分かります。
まぁ簡単に言うと、「自分が使う2つの言語(3つ、4つの場合もあり)で、どちらか、もしくは双方がこじれているので、それを健康的な人とのコミュニケーションで治しましょう」ということです。
これが、「性質別コミュニケーション療法」の概要と結論です。
まとめ
そういう風に、性質別にこじれの内容、その原理を理解することで、こじれと抑圧を解放できると分かります。
これは、「ネガティブ療法」が自分の内面から変えていく方法だとすると、今回の「性質別コミュニケーション療法」は、自分の外面から変えてゆく方法だと言えるでしょう。
ネガティブ療法よりも時間もコストもかかりますが、リスクが少なく、多くの人に適応できる精神療法になりうるかと思います。
そういう点で、この方法論は安全重視で進めたい人には効果的かもしれません。
また、これはネガティブ療法とは背反しないので、併用することも可能です。
そのように、新たな精神療法「性質別コミュニケーション療法」を提案します。
これにはいろいろ細かい原理や「性質を見間違えやすい理由」があるんですが、それは明日か、それ以降で説明できればと思います。
ということで今日は、心理的こじれのメカニズムと、一つの治癒方法の提案ということで、「性質別コミュニケーション療法」の提案をしてみました。
今日はここまで~。