今日は意味もない、そしてとりとめもない日記です。
「考えてみると、うちは小学校と似たようなものなのかな」、と思ったお話です。
小学校の先生と同じ感覚
ここしばらくはずっと、私は個人で活動していたんですよ。
でもここ1ヶ月ぐらいで他の人のプロットを作るようになって、その過程で他の作家さんが成功するための戦略とか、アプローチとかを考えるようになって。
それで情熱的な作家さんと触れていると、昔ゲーム制作時にスタッフさんに教えていた頃の感覚が出てきたわけです。
「ああ、人に教えるって、こういう感覚だよな」みたいな。
この気持ちは、言うなれば小学校の先生と同じです。
ある意味、うちは小学校と同じなんですよね。
小さなチームの事情
私は昔から、大手ではなく、とても小さなチームを立ち上げて活動していました。
私自身ニッチでやっているので、メジャーでの実績は皆無です。
で、こういう小さなチームを運営している場合、やっぱり「すっごい実力のあるスタッフ」というのは得られないんですよ。
そういう人は、みんな大手に向かいますからね。
すると、例えばうちに来るような作家さんでも、プロのレベルにまでは届いていない人たちばかりです。
それとか、何か大きな欠点を持っていて、それが制約になっていたりすることが多かったりします。
それでも、うちのような弱小チームにでも頼ってくるような人って、「小さなチャンスでも、手にしたい」、「少しでも願いに近づきたい」という、すごい情熱を持っているわけです。
メジャーに挑戦してもダメで、自分でもどうしたらよいのか分からないから、悩んだ末にうちに訪れた、みたいな。
そこで私は、そういう人たちを励まして、勇気づけて、基本的な戦略や考え方を与えることになります。
最近の私は、具体的なノウハウを教えることはなくなってきました。
励まして、「こういうのを作ればいい」という方向性さえ与えれば、作家さんやクリエイターさんは勝手に自分に必要なスキルを見つけ出して、自分で勝手に学んで、どんどん成長していきます。
まあ、私は教材を書いているので、そこから自分なりに学んで身につけていくんですよね。
すると、いつしか欠点なんか見えなくなって、自然とプロで通用するレベルになっているものなんですよ。
だから、教師である私の役割は、「励ます」程度のものなんですよね。
小学校の教師が卒業式で、教え子を送り出す気持ち
そして、教え子である作家さんたちは、プロレベルで通用するようになったり、私の元で学ぶことがなくなってきたら、私の元で動くことにワクワクを感じなくなります。
すると、私は「ああ、この子も卒業する時期が来たんだなぁ」と感慨深くなるんですよ。
実際に、作家さんはそういう時期ではどんどん成果も出てくるので、他の場所で活躍することにワクワクを感じるんですよね。
なら、私は「君はもう立派にやっていけるから、もっと大きな舞台で活躍しておいで」と送り出すと。
もうね、これはまさに、小学校の教師が卒業式で、教え子を送り出す気持ちですから!(笑
嬉しいけれども、やっぱり切ないところがあると。
実力をつけたので「もう少しうちで作ってくれれば」と思いつつも、うちは規模が小さいので、相応の機会や報酬を与えられないんですよね。
だから、「もっといて欲しい」と思いつつも、「もっと大きな舞台で、輝いてきなさい」と送り出すと。
その一方で、「(メジャーレベルの)高い報酬額を支払えない」、「ここにいたいと思うような人間的な魅力がないのか」と思うと、無力さを感じたりもするんですよ。
いや、実際は結構慕ってくれていて、昔のスタッフさんからもちょくちょく喜びのメッセージとか報告をいただいたりするので、慕われてはいると思います。
それに、そういう「育てて、送り出す」というスタイルだからこそ、うちでは人が育つ環境や、そういうノウハウがあるんだろうとは思います。
どんどん巣立っていくからこそ、新たに人を教える必要があるので、結果として「人を育てる」という力が養われたんだと。
一人で作るようになって、気づいたこと
ただ、理屈では分かっても、感情はそうではないことがあるわけで。
やっぱり「ああ、もうこの人は、私がいなくても十分に自力で幸せを作れるな」と分かると、「役に立てた」と温かい気持ちを持つと同時に、切なくなっていたものなんですよ。
なので、私はいつしかチームで作るのをやめて、一人で作るようになりました。
まあその過程にはいろいろな事情もあるんですが、直接教えることはなく、本やブログで教える形にしたと。
でもそこで、劣等感を解決する出来事とか、自分だけでも十分に豊かに生きられる状態にできたんですよ。
すると、なんかちょっと物足りなくなるんですよね。
で、「この物足りなさはいったい何なんだろう?」と思っていたんですが。
特にこの2月に引っ越しをしてからというもの、それなりに大きな空虚感を抱えていました。
同じようでいて、全く新しいワクワク感
そしてこの1ヶ月で「他の人のプロットを作る」というのですっごい楽しめるようになって、分かってきたような気がします。
「こうやって作ればいいよ」と手本を見せて、教えて、励まして、ということをしていると、大きな充実感があるんですよ。
「やっぱりこういうのが好きなのかな」みたいな。
そして最近、そういう過程を通して、より新しい道が見えてきて。
言うなれば、教え子が「私こっちに行きたい!」と言っていて、私自身が「そういう道もあるのか」と驚かされた、みたいな。
教える立場なのに、実は道を教えられていた、という感覚ですかね。
実は「教え子」ではなくて、「仲間」だったんですよね。
それに気づいて、楽になれたように思います。
教える必要なんかなくて、仲間として楽しめばいいんだと。
で、私自身、そっちの方向は思いつきもしなかった道ですが、私の中にも、確かに大きなワクワクがあるんですよ。
「じゃあちょっと、一緒にそっちに行ってみようか」みたいな感覚です。
どこまで一緒にいられるかは分かりませんが、まあ、先のことを考えてもきりがないですしね。
それよりも、一緒に同じ方向を目指せる喜びを、今、精一杯感じることの方が大切じゃないかな、と。
私は時間の概念が強いタイプなので、つい未来を考えすぎてしまうんですよ。
でもだからこそ、今が大切だな、と思うようになったんですよね。
まとめ
ということで、なんか最近、いろいろと新しい方向に動き出しています。
これがまたワクワクできることで、私が先に突っ走ってしまいそうなぐらいなんですが(笑
何というか、一緒に作品を作れるってすてきですね!
共に手を取り、作品を仕上げられる仲間たちに感謝です。
ということで、今日はそういうとりとめもないお話をしてみました。
今日はここまで~。