今日は、精神的なお話をしてみましょう。
「ニッチに向かう」ことは、「小さくても自分で夢を実現する」ということだというお話です。
ニッチに向かうのは、小さくてもいいから自分で夢を実現すること
私たちは、「こうできたらいいな」という夢を持っているものですよね。
じゃあ、それをどう実現するか、というのが問題になるわけです。
で、私がよく言っている「ニッチに向かう」というのは、「小さくてもいいから、自分にできる範囲で夢を実現する」ということなんですよね。
ちなみにこの逆が、「メジャーに向かう」ということで、これは「自分以外の誰かに認められることで、一気に夢を実現する」ことです。
例えば「プロの作家になりたい」という場合で見てみましょうか。
「ニッチに向かう」というアプローチだと、「小さくてもいいから作品を作って、少なくてもいいからファンに楽しんでもらおう」という考え方になります。
そこから少しずつ、ファンや協力してくれる仲間を広げてゆく流れになります。
最初は地味な活動になりますが、小さくても夢が実現し始めるので、モチベーションも上がって楽しくできます。
まずは自分にできる範囲で、自力で夢を実現する、ということですね。
一方で「メジャーに向かう」というアプローチは、「メジャーに通用する作品を作って、権威者に認められることで、一気に夢を実現しよう」という考え方になります。
メジャーでは、必ず「力を持った権威者」がいます。
権威者は、ある一定の価値基準で、最も優れた人物を選ぶ人です。
それに受け入れられるように競争をして、候補者の中から最も優れた人になることで、権威者の力を利用できるようになる、というものです。
これは、認められたら最初からある程度の成功が約束されていますが、認められるまではずっと苦しいままです。
メジャーで夢を叶えられなければ、ニッチで夢を叶えればいい
で、メジャーで勝てる人は、勝てばいいんですよ。
そっちの方が楽ですし、効率的ですからね。
でも、メジャーで勝てないような人でも、「私は夢を叶えられない」なんて落ち込む必要はない、ということです。
メジャーで勝てなくても、ニッチに向かえば、夢は叶えられます。
これで成功したいい例があるので、お話ししてみましょうか。
秋田県のローカルヒーローで、「超神ネイガー」というキャラクターがいます。
で、その超神ネイガーを作った人で、海老名保(えびな たもつ)さんという人がいます。
この人は、特撮ヒーローものが大好きで、「子どもたちのヒーローになりたい」みたいな夢を持っていました。
それで秋田から東京に出て、アクション俳優とかを目指すんですが、ケガでその夢が絶たれてしまいます。
失意とともに故郷の秋田に帰って、彼はフィットネスジムで働くことになります。
でも、「ヒーローになりたい」という夢は、捨てきれないと。
そこで彼は、自分でマスクとか衣装を作り、「超神ネイガー」という特撮ヒーローを作ったわけです。
今ではローカルヒーローは山ほどいますが、当時はローカルヒーローなんて全くない時代だったんですよ。
「特撮ヒーローは、東映や松竹が何億とかけて作るもの」というのが常識だった時代です。
スーパーとか祭りの特設ステージとかで、ショーをさせてもらうわけです。
最初は協力者やスタッフも少ないので、自分が脚本を作って、演出を考えて、ヒーローのコスチュームを着て、ヒーローになると。
海老名さんはヒーローものが大好きなので、子どもが好むコツとか分かっているんですよ。
それに、「キリタンソード!」とか言ってネタ武器を使うと、もう大人もぷっと笑い出してしまうほどで。
そして地元で有名になっていって、ついにブレイクする時が来ます。
実は、10年前ぐらいにローカルヒーローブームを引き起こした最初の立役者が、海老名さんと超神ネイガーなんですよ。
で、今では日本で一番有名なローカルヒーローになってますよね。
夢の実現を、他人に任せない
これがまさに、「メジャーでだめなら、ニッチで攻めろ」といういい例のように思います。
言い換えると、「他者に認められなければ、小さくてもいいから、できる範囲で自分で自分の夢を実現しよう」ということです。
ニッチというのは、「ほぼ手作り」を意味します。
だって、他に成功例がないんですから。
成功例がないというのは、前例がないことです。
だから、自分なりに試行錯誤をして、小さなところから自作で実現してゆくわけですね。
夢の実現を、他者に任せない、ということです。
「プロになれるかどうかは、編集長次第」とか、「お金持ちになれるかどうかは、選者次第」なんてことはしません。
全て、自分の力で、自分の責任で行う、ということですね。
当然のように、大資本に比べれば、お粗末なものしかできません。
でも、「小さくても夢が叶う」というのは、本当にそれが大好きなことであれば、最大級のモチベーションを与えてくれるんですよ。
だって、目の前のファンが、心から喜んでくれるんですから。
超神ネイガーの海老名さんも、きっと小さなステージで、それを実感していたと思います。
観客が、母親に連れられた小さな子一人きりだったとしても、規模は関係ないんですよ。
その子が手に汗握って、真剣にステージに見入っている姿って、すぐに分かりますから。
すると、「今日はこの子のために、自分はヒーローになろう」って、勇気がわいてくるものなんですよね。
助ける人に、数の大小なんて関係ありません。
たとえて言うなれば、「川でおぼれている子を1人救うヒーロー」と同じです。
その子のために川に飛び込むのか、それとも「たった1人だけかよ、ならやらない」と言うのか。
それが1人でも1000人でも、何が変わるというんでしょうか。
だから、「今日はこの子のために、ヒーローになろう」と思えるわけです。
私たちだって、同じだと思うんですよ。
メジャーで何千人と助けられるのであれば、そうするといいでしょう。
でも、それができない場合、「自分は誰も助けられない」なんてことはありません。
私たちは、たった一人のために、ヒーローになることだってできるわけです。
それは、川でおぼれている子を一人助けるのと同じです。
たったそれだけのために、全身全霊を使うというのも、いいんじゃないでしょうか。
それでその子の希望になれれば、それが私たちに同等の喜びを与えてくれるんですから。
まとめ
「ニッチに向かう」というのは、そういうことです。
他者任せで何も進まない現実を手放して、自力でできるところから始める世界ですね。
自分よりも力のある人に受け入れてもらおうとするんじゃなくて、自分よりも力のない人に、豊かさを分かち合う世界です。
私は、世界中を助けるような力のある人を「すごいな」と思いますが、同時にたった一人だけを助けようと全身全霊を傾けている人も、「格好いいな」と思います。
で、私はメジャーでは通用しない人でした。
なら、たった一人を助けようとする、そういうニッチな方向で割り切って進み始めようと決意したわけですね。
私はそういう「格好よさ」にあこがれてるんですよ。
そして、「もし私が助けを求める側であれば、どうだろう?」って思ったら、「助けている人の数」なんて関係ないように感じます。
助けてくれる人が世界で最も力を持つ人であろうとも、私だけを助けてくれる力のない人であろうとも、どちらにしても、「私を助けてくれた人は、私にとってのヒーローだ」と思うでしょう。
小さくてもいいから、ヒーローになる。
そういうのが本当のヒーローじゃないかな、と思います。
ということで今日は、「ニッチに向かうこと」は、「小さくても自分で夢を実現すること」という内容でお話ししてみました。
今日はここまで~。