最近は精神的な話をしたくてしたくてたまらないので、今日も精神的なお話です。
今日は、「既に豊かであると知る」、というお話です。
「貴方は、既に豊かである」
いいブログ記事があったので、ご紹介。
「当然と思う」をやめる。「感謝する」をはじめる。(マツダミヒロの魔法の質問&ライフトラベラーブログ)
ブログを書いているのはマツダミヒロさんという人なんですが、自己啓発本が好きな人なら、この人の本を本屋で見たことがあるかもしれません。
この人のこのブログを見ていると、「この人は心が豊かな人だな~」って思います。
我がない人って、こういう人なんですよね。
で、この記事の最後で、インパクトある一文があったので、引用してご紹介。
身のまわりのモノに感謝することからはじめてみよう。
あなたは、すでに豊かである。
この「あなたは、すでに豊かである」というのが、まさに「我のなくなった状態の感覚」なんですよね。
我がある状態だと、意味不明な「教え」の数々
最近はよくこういう内容に触れてますが、今回のも常識的に考えると意味不明なことですよね(笑
普通、「あれも欲しい、これも欲しい」って感じるものじゃないですか。
愛情や自尊心が足りないかもしれませんし、今月の生活費も足りなくて、もっと時間があれば自由も得られて、余裕のある生き方もできるのに!……みたいな。
だから我がある状態だと、これがすっごいきれい事で、非現実的な話に聞こえるんですよ。
私もずっとその感覚で生きていたんですよ。
でも、我がなくなっちゃうと、なんか知らないけれども「あ、十分にあるな」と感じるようになります。
そしてもう何度も言っているように、非現実さなんか一気に消えて、「まさにそのままやん」という感覚になります。
自分の中に、必要なものは全てある
例えば親から愛されなくて愛情が足りなかったとしても、この記事で説明したように、自分で愛情を補完できるようになります。
「実は誰よりも深く愛されていた」と、都合よく解釈できるようになります。
自尊心も同じで、「生きているだけで、親は大喜びしてくれるんだ」と都合よく解釈できるようになります。
「お金や時間が足りない」とか思っているかもしれませんが、それは正確に言うと、「未来にお金や時間がなくなる不安がある」ってことのように思います。
少なくとも「今」は、お金も時間もありますよね。
もしなかったとしても、希望があれば嘆くことはないんですから。
例えば金曜の午後とか、時間は仕事に拘束されていたとしても、ワクワクして希望にあふれるものです。
未来に希望が持てていれば、「足りない」と思うことはないわけです。
すなわち、「死ぬまでにやりたいことや、意義あることが全部できそうにない」と感じるから、「時間がない」と感じるんですよ。
自分の人生にとって意義あることをしていれば、忙しくても「時間がない」とは感じませんから。
お金も同じで、「死ぬまでにやりたいことができる余裕がない」と感じるから、お金を求めてしまうわけです。
意義あることをしていれば、お金がなくても使命感を感じられて、充実して行動できますから。
まとめ
だから、必要なものは全てあるんですよ。
心の方向性を変えればいいだけです。
これは以前にも触れた、ルビンの壺で「壺の絵だけど、実は人の顔にも見えるんだ!」と気づく感覚と同じです。
気づけば簡単なんですが、なかなか気づけないと(笑
だから、「ルビンの壺は、ここが目の部分で、ここが鼻、ここが口ですよ」と説明するのと同じように、「我がない状態は、既に豊かだと知ることですよ」みたいに説明しているわけです。
もう「まさにそのまま」を説明しているんですが、「これは壺の絵だ」としか見ることができないと、意味不明なんですよね。
これを反転して「人の顔にも見える」と気づけたら、「ああ、まさにそうで、自分は既に十分に豊かだったんだ」と一瞬で理解できます。
これは、運がよければ分かります。
運をよくすると、理解できるようになります。
運ってのは、価値を見つけ出す能力のことですからね。
結局、全ては「運」で決まるように思ったりもします。
ってことで、今日は「既に豊かであると知る」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。