今日は精神的なお話です。

無理に価値を作る必要なんてなかったんだな、というお話です。

 

無理をして価値を作る必要はない

少し前にいろいろ疲れる出来事があって、ここんとこずっと回復期間中です。

で、最近何度も触れているように、ただ「在る」というのを目標に生きている状態です。

これは高い目標を持たずに、「存在しているだけでいい」という風に目標を下げることで、安らげる場所(拠点)を確保するわけですね。

そんな風に「安らげる拠点」があるほど、そしてそこが安心できるほど、新たに打って出ることができるようになると。

ある意味、今は「新たに打って出るための、その拠点となる要塞を作っている段階」とも言えるでしょう。

 

で、世間のせわしなさから切り離されて初めて分かったのが、「別に無理をして、価値を作る必要はなかったんだな」ってことですね。

ほら、よく「生まれたからには、少しでも価値を残して死にたい」とか、「生きた証を残したい」とかいう欲求があるじゃないですか。

私自身も、今までずっと「何か価値を残せて死ねれば、それでいい」、「何かを残して死にたい」と思っていたんですよ。

「走れるだけ走って、走れなくなればそこまででいい。この命はその程度のものだ。だから、この命を使い切って死にたい」みたいな。

 

「価値を作らなきゃいけない」自体が、ただの思い込み

でも、それ自体が不自由な考え方だったんですよね。

そもそも、なぜ「私」がわざわざ価値を作らなきゃいけないんでしょう?

仮に何らかの価値を作るにしても、「私でなくても、他の人に作ってもらえれば、それでいいじゃないか」ということですね。

「私が成功しなくても、周囲の人が私の代わりに成功してくれれば、それでいいんじゃないか」と思うようになりました。

 

それ以上に、そもそもなぜ価値を作らなきゃいけないのか。

そう考えると、「価値を作らなきゃ」っていうこと自体、ただの思い込みでしかないと分かります。

 

世界平和にまで責任を負わなくてもいい

言うなれば、私は今まで、世の中で起こる全ての出来事に責任を取ろうとしていたわけです。

極端に言うと、「世界が平和でないのは、自分のせいだ」と思い込んでいたと。

 

これは、幼い頃からの刷り込みで、自然とそういう風に考えるようになってしまっていたんですよね。

私の母親は、ちょっとしたことで機嫌を悪くして、それを子どもたちに愚痴って、最後に「こんなに自分が苦しんでいるのは、子育てをしなきゃいけないからだ」とため息をついていました。

すると、例えば母親が仕事で嫌な客と出会ったり、婦人会の旅行先で嫌な出来事があっても、子どもたちを批難するわけです。

「なんでこんな商売をしなきゃいけないんだ。子育てさえしなくてすんだら」、「なんでこんな思いをしなきゃいけないんだ。子育てで疲れているのに、気分転換できないじゃないか」と、明にも暗に言うわけです。

 

こうして「世界平和を実現しなきゃ」と思うようになる

すなわち、子どもたちは「母親の気分が悪くなったのは、全て自分のせいだ」と責任を負わされてしまうわけですね。

だから、子どもたちは「母親の気分が悪くならないようにしなきゃ。でないと、見捨てられて死んでしまう」と、必死で行動します。

でも、「母親が気分を害さない状態」を実現するのは不可能です。

どんなに自分が頑張ろうとも、「自分が関知しない外部の世界」で起こる出来事を止めることなどできませんからね。

すなわち、「母親の気分が悪くならないような世界」というのは、「全世界の平和と幸せ」以外にありません。

 

すると、子どもたちは「自分たちが安心して生きるには、世界中の平和と幸せを実現するしかない」と思い込むようになります。

こうして、世の中で起こる全て出来事に責任を取ってしまうようになると。

 

他人の責任まで負う必要はない

でも、実際はそうではありませんよね。

地球の反対側で起こっている戦争とか紛争まで、私が責任を負う必要なんかないわけです。

見ず知らずの人たちが起こしているケンカまで、私が仲裁をして和平に導く必要もないんですよ。

 

これは、一見すると冷たい人のように思えるかもしれません。

でも、実は愛されて育った人や、心理的に健康な人というのは、そういう風に「責任を負う範囲」がしっかりとしているわけです。

「自分」と「世の中」との間に、明快な境界線あるから、「そんなの知ったことか」、「私とは関係ない」とはねのけられると。

だから安心できて、人に優しくできるわけです。

 

一方で不健康な人というのは、その境界線が不明確だから、負う必要のない責任まで負ってしまっていることになります。

そして「自分はこうしなきゃいけない、でもできない」と苦しんでしまうわけですね。

だから、いつも不安になって、とげとげしくなってしまうと。

 

まとめ

そんな風に、安心できる拠点にいると、「生きているからには、価値を作らなきゃいけない」ということ自体が、一つの思い込みだったんだなと分かってきた感じです。

世界平和にまで、責任を負う必要はないんだと。

他の人の幸せは、他の人に任せればいいんですよ。

 

すると、気分的に楽になれて、自分の幸せを最優先で考えられるようになるかと思います。

で、そういう安心感があるほど、安らげて、新たに打って出ることができるようになる、ということですね。

 

ということで、今日は「無理に価値を作る必要なんてなかったんだな」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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