今日は思いっきりスピリチュアルなお話です。

「人を裁いてはいけない」というのは、どういうことなのかを説明してみることにしましょう。

 

「人を裁いてはいけない」はどういう意味か

最近、SNSでも炎上とか攻撃とか、多いですよね。

まぁ今までもそういうのはありましたが、人は不満が高まるほど、誰かを攻撃したくなりますからね。

なので、今のようにコロナウイルスとかいろんな面で不満を抱えるほど、炎上とか攻撃的な内容が多くなるように思います。

 

そういうのを見ると、私はよく「人を裁(さば)くと、自分が大変になるんだよな」と感じたりもします。

だから、私自身はあまり「人を裁く」というのはメインスタイルではないんですが。

 

で、「人を裁いてはいけない。人をさばくと、自分も裁かれてしまう」って教え、ありますよね。

じゃあこれがどういう原理なのか、今日はそのお話をしてみましょう。

 

「人を裁く」=「他の価値観を許さない」

この原理は単純で、「(自分が)人を裁く」=「自分以外の価値観を許さない」ってことなんですよね。

だから、人を裁くほど、「他の価値観は一切許さない」となって、周囲に攻撃を始めます。

すると、周囲からの反発を受けて、攻撃される(=裁かれる)ようになると。

とても単純な原理です。

 

裏を返すと、「人を裁かない」は「他人の価値観を許す」ってことです。

「そういう個性、価値観、生き方もアリかな」と受け入れるわけですね。

なら、「そういう環境や人たちがいることを前提に、自分はどう対応して生きるのがいいだろう?」と戦略を考えて、逃げるなり、その性質を利用するなりできます。

 

「逃げは負け、怒り、裁き」はすべてセット

よく言う「逃げてはいけない」と「怒り」、「人を裁く」というのは、すべてセットです。

他者の価値観を許せないから、怒るし、裁くし、戦うからこそ「逃げた奴が負け」になります。

 

こういう人の場合、自分と違う価値観に出会ったときは、「そんなのありえない」が口癖です。

世の中は広いのに、「自分の狭い価値観しか、世の中にはあってはならないこと」なんですよね。

だから、少しずれただけで「ありえない、異常だ、許せない」の連続になります。

本当は、世の中はむしろ、とてつもなく多様なのに、「今の自分の常識だけが正しい」としてしまうわけです。

 

もちろん世の中の大多数の人がそういう生き方なので、そういう生き方が好きな人は、そういう生き方をするといいでしょう。

ただ、そういう生き方は、「感覚がニブい人、痛みを感じにくい人ほど有利」という世界なんですよね。

互いに攻撃し合って、無神経であるほど勝ち残れるんですから。

 

人を裁かないスタイル

だから、自由が好きな人の場合、「人を裁かない」=「他人の価値観を許す」がいいかなと思います。

「どんどんポジションを変える(逃げたり移動する)といい」、「自由でいる」、「人を裁かない」、「新たに作る」というのは、すべてセットです。

 

こういう人の場合、自分と違う価値観に出会ったときは、「まぁそういうこともあるか」と言うことが多いかな、と思います。

「そういうこともあるか」と現実を受け入れて、世界の広さ、価値観の多様さを知っていくわけですね。

すると、「いろんな価値観でいい」と分かるし、「自分も好きなスタイルで生きていい」と分かってゆきます。

そうやって、好きに移動して、自分なりに生きていくスタイルです。

 

まとめ

そういう風に、「(自分が)人を裁く」=「自分以外の価値観を許さない」と考えると、分かりやすくなるかと思います。

そしてそれは、「他人が傷つくことを気にせず、どんどん他者を押しのけられる人」がやることで。

 

もし他者を傷つけるのが苦手なタイプで、他の人を助けたい人の場合、「人を裁かない」というスタイルの方がよさそうに思います。

すると自由に動けるようになって、自分なりの生き方を見つけられるかもしれません。

 

ということで今日は、「人を裁いてはいけない」というのは、どういうことなのかを説明してみました。

今日はここまで~。

この記事をシェア:
Share