今日は、自分軸と生き方のお話です。
他者の成功と比べて落ち込んだ時、「たった1人の心からのファン」と考えると自分軸を保てそう、というお話です。
同い年の人がどんどん成功している状況
SNSを見ていると、とある人が、こうつぶやいていたんですよ。
「同い年の人がどんどんプロとして第一線で活躍しているのに、自分はまだ何もできていない。こんな自分が嫌でたまらない」みたいな。
こういうことって、ありますよね。
例えば私が大学生の時も、同い年なのに、すでにプロの絵師として第一線で活躍している人もいましたからね。
当時の私は、大学時代にゲーム制作と出会って、ようやく「自分なりの生き方」でスタートラインに立ったぐらいの段階です。
一方でその同い年の絵師は、すでに有名だし、じゃんじゃん稼いでいるし、代表作もあるぐらいで。
すると、比較して落ち込んで当然ですよね。
ツッコミどころはある
とはいえ、冷静に考えると、ツッコミどころは多いようにも思います。
だいたい、上には上がいるのと同じで、下には下がいるものです。
「なんで上にいる人だけと比べるの? 比べるなら、下とも比べようよ。君はランキング2位なのに、自分より上と比べて落ち込んでるだけかもよ」と分かるかもしれません。
それに、そもそも「なんでその方面で劣っているのがダメなの?」ということですよね。
最近の私がよく言う、「なぜネガティブ側でダメなの?」ということです。
本来なら、世の中にはいろんな価値観や尺度があるものです。
「知名度がある」、「年収が高い」だけでなく、「人がいい」とか「優しい」、「一緒にいて心地よい」、「こういうことに強い」みたいに、多くのよさがあるものです。
同時に、その反対側の性質も、社会や価値観次第ではいい点になるものです。
例えば「冷徹」という要素でも、勝負や争いの場面や社会であれば、それは重要な要素になるでしょう。
限定された尺度で、自分を全体否定してしまう
なのに、「同い年で、知名度がある」という意味不明なほど限定された尺度と見方だけで比較して、「自分はダメだ」と自分全体を否定してしまっていると。
現実ではいろんな多様性があっていいし、多様性を認めて落ち込まないものです。
すると、「大器晩成の人もいれば、そういう早熟な人もいるよ。いろんな価値観や生き方、過去と未来があっていいよね」とできるものです。
ひょっとするとその思いは、その人の過去に起因しているだけかもしれません。
「とある特定の価値観で成功しなければ、自分は愛されなかった」という、過去に起因しているわけですね。
多くの場合で、それは「親の価値観」になるんですが。
なのに、幼い頃の境遇がそうだったからというだけでそれを引きずって、「特定の価値観でポジティブを実現しなきゃ」と思い込んでいるわけです。
そして、その価値観とは反対側の「ネガティブ側になってはダメだ」と、自分を追い込んでしまっているだけかもしれません。
イメージで「比較の落ち込み」を乗り越える方法
まぁそんな風に、「同い年の成功している人と比較して、落ち込む」と言っても、ツッコミどころは多くあるものです。
でも今回は、イメージでそれを乗り越える方法を説明してみようかと思います。
それが、「たった1人の心からのファン」をイメージしてみることですね。
ここで私たちは、とりあえず「売れないクリエイター」だと設定してみましょう。
大学生、もしくは会社勤めをしながら作品作りをしている、あまり売れないクリエイターだとします。
周囲の成功と、自分のダメな状況
そして、同い年や同年代の人たちは、どんどん成功していっています。
町中では彼らが手がけた作品のポスターや広告も見かけるし、ネットでも何千、何万というリツイートやいいねが常につくほど大人気です。
一方で自分は、それに比べると全然ダメな状況です。
もちろん、私たちからすると、「これはいいものだ」という、自分軸においてできるだけ良質なもの、高品質なものを作ろうとしています。
だけど、そういう「自分の価値観での良質さ」というのは、全然評価されないわけですね。
だから、ため息をつきながら「自分もあんな風に、みんなから評価されればな。チヤホヤされればな」と、肩を落として歩いていたりすると。
「1人のファン」との出来事
そんなある日、学校や会社の帰り際、いつものようにため息をつきながら職場から出たときに、ふと呼び止められるわけです。
見るとそこには、後輩の知り合いでもある、一人の子がいます。
少し驚くことに、その子は私たちの作品を胸に抱いているわけです。
その子は後輩の知り合いなので、私たちの活動とか、作品を知っているわけですね。
そしてその子は、「あの、その、あなたのファンです! あなたのこの作品で、本当に救われました! だから、これからも応援しています!」とまくし立てます。
で、顔を赤らめて、ぴゅーっと勢いよく走り去ってしまうと。
「たった一人の子に届いていた」という実感
私たちからすると、「何だったんだ」とあっけにとらわれる出来事ですが、でもその様子や態度から、その子は本気で私たちの作品が好きなんだと分かります。
そして、心からその作品を愛しているし、それで人生が変わったことが分かります。
私たちが、「誰かに届いて欲しい。誰かを救って欲しい。誰かの役に立って欲しい」と願って、魂を込めて作った作品です。
それが、そのたった一人の子に届いていた、ということです。
そして、実際にその子を救っていたと。
これに気づいた瞬間、なんだかもう、不思議な充実感が出てくるでしょ。
それはたった一人でしかないし、大勢の人からチヤホヤされることもないし、町中にポスターが貼られるような作品でもなく、SNSで何千、何万という反響もありません。
だけど確実に、その作品はその子の魂を振るわせたし、私たちはその子のあこがれになっているわけです。
「こんな自分に、あこがれる」という事実を前に
多くの場合で、「こんな自分に、あこがれるの?」と思うかもしれません。
だって自分は、全然売れないクリエイターだし、反響もほとんどないし、毎日ため息をついて学校や会社から出てくるような、地味な人でしかないわけです。
第一線で活躍している人や作品とは、予算も規模もレベルも違うし、私たちは小さく作っているマイナーなクリエイターに過ぎません。
だけどその子にとっては、目をキラキラ輝かせて語る「あこがれ」なんですよ。
だいたいあまりにも感激して、その思いを伝えたくて、作品を胸に抱きしめて、先輩に聴き出してまで、わざわざ感想を伝えに来てくれるほどなんですから。
そして世界が変わる
そういう「こんな自分が、たった一人のあこがれになっている」と分かったとき、世界が変わりますよね。
それは、「自分にもできることがある」と、使命が分かるからで。
そして人は、そういう使命を感じられる道を歩いていると、同年代の成功とか、数の比較とか、売れている量とか、関係なくなります。
だって、それが使命なんですから。
裏を返すと、「使命から外れたことをしているほど、比較で疲れやすくなる」と言えるかもしれません。
なら、「今の自分」を受け入れられますよね。
もし自分以外の人がやらなければ、その子は永遠に見捨ていられていたんですから。
そして「使命に従っている場合、比較することすら無意味だ」と分かるわけです。
そこから自分なりに、自分にとって意味あることをして、少しずつ歩けばいいだけです。
もしそういう「たった一人のファン」がいない場合でも、それは未来に出てくるものです。
自分に誠実になって、胸を張って生きていると、それに影響される人は必ず出てきますからね。
別に何かの作品を作らなくても、「自分に誠実に、すがすがしく生きる」というだけでも、人に影響を与えるものです。
それだけ「生き方」というのは、人に影響を与えるものです。
まとめ
これが分かると、「同年代の成功と比較する意味はない」と実感できるんじゃないかと思います。
実際に使命感を持てることをできていれば、変な見栄とか比較に揺さぶられることはなくなります。
たった一人、心からの感謝だけで、大きく変わるんですから。
すると今の境遇を受け入れられて、「自分は自分なりに進もう」とできるかもしれません。
ということで今日は、他者の成功と比べて落ち込んだ時、「たった1人の心からのファン」と考えると自分軸を保てそう、というお話でした。
今日はここまで~。