今日は、精神的なお話です。
「現状から出るための、方向性と精神的な壁についての考え方」というお話をしてみましょう。
現状から出るには、どうすればいいか
このブログでもよく説明していますが、「現状を出たい」ってこと、ありますよね。
「親の支配や干渉から離れたい」、「会社を辞めて、独立してやっていきたい」、「こういう嫌なことから距離を取りたい」みたいな。
でも、なかなか現状から出られないことが多くて。
それで、このブログでも、いろんな方法論とか考え方を説明してきているんですが。
で、今日もそんな、一つの「精神的な壁を乗り越えるコツ」を紹介してみようかと思います。
それが、「方向性を決めて、精神的な壁に触れて、その壁を哲学することで消す」ということです。
これは主に、「方向性を決めること」と、「精神的な壁に触れて、それを消す」という2つの段階からできています。
この2つのつながりが分かれば、すぅっ……と壁が消えて、現状から出やすくなるかなと思います。
「自分はどう生きたいのか」という方向性を決めよう
まず1つめは、「自分はどう生きたいのか」という方向性を決めることですね。
例えば私の場合、学生時代に「制作をしながら生きられたら、最高だなぁ」と思ってました。
なので、そっちの方向に進んだと。
他にも、絵が好きな人は「絵とか、その関連で生きられたら最高だな」とか、「文章で生きられたら最高だな」みたいなことがあるかもしれません。
そういう風に、「こうできたら最高だな」という形でイメージすることですね。
動けない人は、「現状は嫌だ」しか考えていない
で、動けない人の特徴として、「こういうのは嫌だ」ばかりが頭を支配していることがあるように思います。
「会社は嫌だ」、「親から生き方を要求されるのが嫌だ」、「こういう毎日は嫌だ」ばかるで、「どうしたいのか」という領域がないわけです。
人が生きるには、「方向性を持って歩く」か、「根を張ってその場で生きる」かの、どちらかの方法があるように思います。
もちろん、方向性を持って生きる場合でも、「短期的に根を張りつつ、移動しながら生きる」ということもあるでしょう。
だから、方向性を持たない人は、たとえ「もう嫌だーっ!」となって現状から逃げ出しても、方向性も、目指すポジションもないんですよね。
すると、どっちの方向、どの場所に向かったらいいのか分からないので、ふらふらと世の中をうろついて。
そして、そうやってふらふらしていても根は張れないので、結局は今までいたところに戻ってしまうと。
「方向性を持たないことで、現状から出られない」というのは、だいたいがこのパターンかと思います。
どういうことをして生きられたら最高なのか
なので、どういうことをして生きられたら最高なのかを思い描いてみることですね。
それを、「方向性」か、もしくは「根を張るポジション」かで考えると。
これは、抽象的すぎても、具体的すぎても問題が出やすいものです。
「お金持ちになって遊んで生きたい」は、何でもできそうですが、「自分にとっての遊びとは何か」が分かりませんよね。
それに、「それはどういう方向に行くの? どういう場所で根を張るの?」と言われても、まったく場所が分からないわけで。
だから、そういう目標を持ったとしても、方向性もポジションも見えずに、元の状態(現状)に戻りやすくなります。
同じように、「私は今描いているこの絵で売れっ子にならなきゃいけない」、「この会社に入らなきゃいけない」みたいに制限しすぎても、問題です。
それで売れるとは限らないし、絵とか、第一志望の会社以外にも、いろんな「自分に合う方向性やポジション」があるかもしれません。
ポジションを目指す場合、競争率が重要になる
また「根を張るポジション」で考えると、競争率と自分の実力を含めて考える必要があります。
有名な会社やポジションを目指すほど、当然競争になりますからね。
「総理大臣になりたい」とか「大統領になりたい」と言っても、目指すのは自由ですが、競合が多くいれば、できないことも多くて。
そんな風に、勝てるならいいんですが、勝てない場合はどうするのかを考える必要があるわけです。
結局のところ、根を張るにしても、「自分が心地よく生きられる場に根を張る」ことができれば、それでいいと思うんですよ。
既存のポジションでなくとも、意外なところにそういう場所があったりするんですよね。
すると、「激戦区からちょっと離れた、不便だけど穏やかな、川沿いの風景のきれいな場所」に静かでいい場所が見つかったりすると。
そういう「進みたい方向性」とか、「根を張るポジション」をイメージできると、「元に戻る」というのがなくなるかと思います。
精神的な壁に触れて、その壁を哲学する
で、2つめが、「精神的な壁に触れて、その壁を哲学する」ということです。
方向性とか、「あのポジションを目指そう」と目標を持って動き出すと、多くの場合で壁に当たります。
技術的な壁なら、学べば乗り越えてゆけるので、それは時間の問題にできます。
乗り越えられない壁なら、方向性を一時的に変えてアタックするなり、別のよさそうなポジションを探せばいいので、これもまぁ大丈夫でしょう。
ただ、精神的な壁がある場合が問題なんですよね。
その壁は、自分の心にあるので、他の人には見えません。
だから、みんなはどんどんすり抜けていくのに、自分だけが見えない壁にひっかかっているようで、進めないんですよね。
壁を知ろうとすること
そういう場合は、その壁にそっと触れて、壁を知ろうとすることかなと思います。
壁は壊すものでも、拒絶するものでもなく、「知って、認めて、受け入れるもの」だということです。
「どうしてその壁があるのか」、「なぜここにあるのか」、「その壁はどういうもので、どういう性質を持つのか」
そういう壁の事情を深く理解するために、想像力を働かせてゆきます。
すると、ほとんどの場合で、自分の幼い頃の苦しい出来事とか、哀しい出来事に出会います。
それを受け入れれば、壁はすぅっ……と、静かに消えます。
そして、新たな方向に歩けるようになるわけですね。
動いている人には、「敵」などいない
いつまでも「精神的な壁」から出られない人は、そういう壁を「敵」にしてしまうんですよ。
「敵や壁は、倒さなければならない。崩さなければならない。あってはならない。否定しなければならない。負けてはならない」
現状から出られない人ほど、そうやって「敵」という名の「精神的な壁」を、山ほど作ってしまうと。
だから、壁が高くなり、強くなり、たたきのめされてしまうわけですね。
方向性を持って動く場合でも、どこかのポジションを目指して動いている場合でも、「動いている最中」に敵なんていませんよと。
だって、多くの人がその場に根を張って生きているんですから。
私たちは、その間をすり抜けるようにして、進んでゆけばいいだけです。
「なぜお前がここに根を張っているんだ!」なんて言って戦うなんて、時間の無駄ですよね。
なのに、わざわざいろんな理由をつけて、「その場に根を張っている人」を敵視してしまうわけです。
そして戦って、疲弊して、「移動もできない。根を張ることもできない」と嘆いていると。
周囲から見れば「あんた、そりゃダメで当然でしょ」と言いたくなることでも、本人にはそれが理解できていないんだと。
まとめ
なので、そういう「方向性を決めて、精神的な壁に触れて、その壁を哲学する」ことができれば、うまく動きやすくなるかと思います。
歩き続ける人生でも、どこかに根を張る人生でも、「短期間で根を張って、動き続ける」という人生でも、生き方は何でもアリです。
その場合、そういう「動くコツ」を理解できると、生きやすくなるかもしれません。
ということで今日は、「現状から出るための、方向性と精神的な壁についての考え方」というお話をしてみました。
今日はここまで~。