今日は精神的なお話です。

「ポジティブが欲しいのか、安心が欲しいのか」というお話をしてみましょう。

いやまぁこのブログでは、よくネガティブ万歳な記事を書いてますが、今日もそんな感じです。

 

ポジティブが欲しいのか、安心が欲しいのか

よくあるじゃないですか、「ポジティブでいよう、ネガティブはダメだ」みたいな。

もう記事例とかツイート例を取り上げるまでもなく、世の中にはそういうのが多くあって。

 

私が目指すのはそういうのではなく、「自然でいようよ」というスタイルです。

すなわち、今日の本題でもある、「ポジティブが欲しいのか、安心が欲しいのか」ということですね。

 

攻めも守りもただの姿勢でしかない

ポジティブとかネガティブというのは、一つの姿勢だと思うんですよ。

分かりやすく言うなら、「ポジティブ=攻め、ネガティブ=守り」と思えばいいでしょう。

なら、「攻めばかりがいい」なんてことはなく、攻めも守りもただの姿勢であり、スタイルでしかありません。

 

私の推測ですが、本当に欲しいのはポジティブさではなく、安心ではないかなと思います。

「未来も安心して生きられる」とか、「十分な豊かさがある」と分かって、落ち着いて、不安を減らして生きたいんじゃないかなと。

もしそうであれば、別にネガティブでも安心は得られるんですよね。

 

例えば不安なことがあった場合、「ポジティブになって解決しよう!」ともできるでしょう。

でも、ネガティブさを突き詰めて考えると、「最悪でもこの程度か」と分かるわけです。

言うなればこれは「どん底の安心感」と同じで、「これ以上落ちない」と分かると、後は希望しか見えなくなって、元気が出ると。

 

守ることでも安心は得られる

別の見方で言うと、ポジティブさは「高得点を狙おうよ」で、ネガティブさは「これ以上は落ちない安全な土台を作ろうよ」という発想です。

なら、「落ちるときは人生転落してもいいから、一発高得点を狙うのが好き」か、「上昇とか落ちるとか、そんなせわしないものは離れたい。それより安定や安心して、マイペースでゆったり生きるのが好き」か、というスタイルの違いでしかありません。

私はすっごいネガティブなので、「自分が動けなくなっても毎月生きられるように、少なくてもいいから不労所得を得よう」と、そういうシステムを作ったと。

それで、「まぁ質素であれば、しばらくは好きなことばかりして生きられるな」と安心を得ているわけです。

 

だから、攻めることで安心も得られるし、守ることでも安心は得られると。

ポジティブも、もちろん素晴らしいんですよ。

私も攻めるときは、じゃんじゃん攻めますからね。

ただそれは、「季節は夏ばかりがいい、冬はダメ」というのではなく、「夏も冬もどちらも趣があるなら、四季を楽しもうよ」というスタイルです。

 

ネガティブでも現状から出られる

もちろん、「守りばっかりで攻めを全くしない」という人にとっては、攻めを意識することで変えることもできます。

ただ、「ネガティブだったら、現状から出られない」かというと、そうではないように感じます。

逆に、ネガティブを突き詰めることでも、普通に現状から出られるように感じます。

 

ポジティブな人ほど、「勤めていた会社を円満退社して、退社後も応援してくれるのが最高」みたいに言いますよね。

でも、現状から出るのって、そういう「笑顔で出る」だけではないように感じます。

「あの環境でうまくできなかった」、「最後まで理解してもらえないこともあった」、「理解してくれたわずかな人にも、不義理をしてしまった」みたいに感じることもあって。

そして一人きりで足を引きずるように、ただ泣きながら出ることもあって。

 

なら、それはダメなことなのかというと、そうではありませんよね。

それは他者に対する優しさであり、誰かを助けたかった証なんですから。

 

そして、そういうのも人生だと思うんですよ。

それがあったからこそ、安らげる場所を見つけたり、次の環境で心から喜んでくれる人や生命がいると、とても優しくなれるわけで。

なら、ポジティブとかネガティブとかではなくて、「自分の性質を受け入れる」、「自分の生き方を受け入れる」、そういうスタイルでも安心は得られるように感じます。

 

まとめ

なので、無理にポジティブになる必要はないかな、と思ったりもします。

攻めが苦手なら、守りをしっかりすればいいと。

 

大体、攻めばかりって、しんどいですからね。

「年収これだけ達成しなきゃ!」とか、「価値を与えない奴は無価値だ!」とか、なんか疲れるでしょ。

逆に、しっかりした守りがあることで、得られる安心もあって。

「泣いてもいいよ」、「ダメでもいいよ」、「価値を無理に作れなくてもいいよ」、そういうのはとても安心できるものです。

 

そういう「あ、私は安心が欲しいんだ」と分かると、ポジティブもネガティブも手段の一つでしかないと分かるかなと。

すると、「ポジティブじゃなきゃ」とかいう呪縛から逃れられて、より自由になれて、欲しいものを得られるかもしれません。

 

ということで今日は、「ポジティブが欲しいのか、安心が欲しいのか」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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