今日は昨日の関連話ということで、精神的なお話をしてみましょう。
「しっかりとした目的があれば、恥ずかしいことでも何でもできる」、というお話です。
欠点を出す勇気を得る方法
昨日、「欠点を思い切って出してしまえばいい。すると、それが魅力になる」って言いましたよね。
でも、実際はなかなか欠点を出すとか、勇気いりますよね。
なんか恥ずかしいものですし、自分の劣った部分を出すのはためらいますよね。
「文章力が劣っているんじゃないか」とか、「自分のレベルが低いんじゃないか」とか、「考え方が幼稚なんじゃないか」とか感じることもあるでしょう。
でもそういう時でも、しっかりとした目的があれば、恥ずかしいことでも何でもできる勇気が得られるんですよ。
今日はそんな内容を語ってみましょう。
目的があれば、手段はどうでもよくなる
例えば私の場合、ここでブログ記事を書きまくっていますが、今まで文章力を上げようとしたことはないんですよ。
まあもちろん、うまく伝えるためにはいろいろ考えてはいますが、「文章力を上げよう」という目的で何かをしたことはありません。
どちらかというと、うまく伝えようとしていると、結果として文章力が上がった、という感じでしょうか。
それに、私は自分のレベルがあまり気にならないタイプです。
客観的にはへぼい作品だったとしても、私には常に、「自分にとって、最高の作品ができた!」と満足してきました。
自分の作品に、完全なる満足ができる人だということですね。
ならなぜそんな風にレベルが低い作品でも、周囲を気にせずに、しかも満足して堂々とリリースしてこられたのか。
それが、私の根底には「しっかりとした目的」があったからだろうと思います。
苦しんでいる子を目の前にして、どうするか
これを、分かりやすいたとえで説明してみましょうか。
例えば、ほとんど自分と同じような境遇で、苦しんで泣いている子がいたとしましょう。
で、「それはつらいだろうな」と心から共感できて、その子を助けたいと思ったとしましょう。
そして、自分はその子に何かしらの励ましの言葉やメッセージを届けられるとします。
そんな状況で、「1ヶ月かけて文章力を上げよう」なんて思いませんよね。
だってそんな余裕なんか、ないんですから。
1ヶ月間その子を苦しめ続けるなんて、できませんからね。
すると、もう目の前のことに必死になって、語彙力がなくても、うまくまとめられなかったとしても、今ある力を総動員してその子を助けようとすることでしょう。
まさにこういう状態なんですよ。
「この子を助けたい」というちゃんとした目的があったら、見栄えとかレベルとか、関係なくなりますよね。
泥まみれになっても、恥ずかしくても、大切な誰かを助けられるのであれば、結構簡単にできるものです。
目的があるから、成長できる
クリエイターさんで、こういう初期のステップを簡単に超えられる人は、たいていがそういう目的を持っているように思います。
「なんか分からないけど、この感覚を表現したい」とか、「理解してもらいたい」、「誰かを助けたい」、「伝えたい」、「書きたい、作りたい」みたいな目的があって、そういう感情に突き動かされて、なんか気がつけば作っていた、みたいな。
このページは現役クリエイターさんがよく見ていると思いますが、だいたい最初はそういうきっかけですよね。
私が知っている絵描きさんとか、「私が絵を描くのは、それが生きる意味だから」とか言っていましたし。
それぐらい、使命感や目的意識を持っているわけです。
で、そういうのは書いたり作ったりすること自体が面白くて、今の自分のレベルとか、気にならないんですよね。
あるのは、「自分が表現したいもの、実現したいものを、どれだけうまく実現できたか」だけ。
その「うまく実現する」ことに集中するわけです。
まとめ
だから、大切なのは「目的を実現できるかどうか」であって、手段ははっきり言ってどうでもいいんですよ。
で、格好よくてスマートな手段があれば、それを最初に選ぶでしょう。
でも、そんな方法がなければ、恥ずかしいことでも、泥臭いことでもできるようになる、ということです。
私の場合、いつ頃からか、「私と全く同じ境遇の子がいて、その子を励ますために作る」という目的を持っていました。
その子が私を見ていて、どう感じるのか。
私が最高に幸せに生きていれば、その子は「自分もああなれるんだ」って希望を得られますよね。
でも、私が不幸そうにしていれば、その子も「自分もああなるんだ」と絶望すると。
なら、私は常に、自らを幸せにして、幸せで居続ける道を選ばなければならないと。
自分を殺さずに、生き生きとして、大好きなことをして、失敗したとしても自分を許して、豊かになってゆく。
それが、他のたった一人を救うことになるわけです。
すると、「自分が幸せで豊かでいることで、他の人の喜びになる」という使命感が得られるんですよ。
そういう感覚があれば、恥ずかしいこととかどうでもよくなります。
世間体とか見栄なんて、簡単に手放せますから。
そうやって、私は自分が望む生き方を実現してきたように思います。
目的が大切なんだ、ということですね。
ということで、今日は「しっかりとした目的があれば、恥ずかしいことでも何でもできる」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。