今日は生き方のお話です。
私の中での幸せ順位について、語ってみましょう。
失敗は最悪なことではない
よく、「うまくいかなくて落ち込んだ」とか、「失敗して苦しい」ってこと、ありますよね。
でも私の中では、「それは最悪ではないな」と思うんですよ。
で、そういう「なぜ失敗は最悪ではないのか」が分かると、元気を出せて、方向転換だとか、再挑戦をしやすくなるかと思います。
幸せの順位
じゃあなぜ「失敗は最悪なことではない」のか。
それは、私の中では、幸せの順位って次のようなものだと思うからですね。
熱中できることで成功 > 熱中できることで失敗連続 > 嫌なことで失敗連続 > 嫌なことで成功
一番いいのは、「熱中できることで成功すること(成果が出ること)」です。
これは深く考えずとも、「まぁそうだよな」って分かりますよね。
まぁ「成功の定義は何やねん」とか言われるとややこしくなるんですが、ここでは単純に「成果が出ること」としておきましょう。
「熱中できること」だと、失敗は痛くない
で、私の中では、「熱中できることをすること」は、「嫌なことをすること」よりも幸福度が高いように思います。
というのも、「熱中できることでの失敗」って、失敗を失敗とは感じにくくて、痛みがほとんどないからですね。
実際に熱中している状態での「うまくいかないこと」って、試行錯誤の連続でしょ。
例えばゲームでも、熱中している状態って、「全体では着実に進んでいるけど、部分的には解決しなきゃいけない問題の連続」です。
そして、少し反復練習や積み上げをしたり、工夫をしてレベルアップすれば、どれも「少し成長した自分の力や知識」で乗り越えられます。
ただ、そういう小さな問題が、行く手に次々と立ちふさがっているだけで。
そうやって、「進みたい方向に進みつつ、小問題を着実に解決している状態」だと、失敗はほとんど痛くないわけです。
でも、嫌なことをしていると、失敗が痛みになるんですよね。
これは以前も触れましたが、行きたくない方向ほど、「できるだけ楽をして行きたい」と感じます。
だからそもそも行きたい方向ではない場合、困難が多く降りかかるだけで、「もう嫌だ」と投げ出したくなると。
そして、だからこそ、「困難を乗り越えられない」=「失敗」が痛みになると。
嫌なことで成功すると、やめられなくなる
で、同じ「嫌なこと」をする場合でも、私の場合は成功するよりも、失敗する方がいいと思うんですよ。
というのも、嫌なことで成功してしまうと、やめられなくなるし、方向転換ができなくなるからですね。
行きたくない方向で評価されてしまうと、「本当はあっちに行きたいのにな」と感じつつ、「期待に応えなきゃ」と思って自分を殺します。
そして人生を、「他人が望むこと」ばかりに使ってしまって、「自分が望むこと」に使えなくなってしまうと。
そうしていると、少しずつ疲れてきたり、人生に無意味感が出てきてしまうんですよ。
で、成功すればするほど、気がつくと社会からのしがらみにがんじがらめにされていて、「行きたい方向からはまったく違う方向に、こんなにも進んでしまった」と、絶望してしまうと。
そこで抜け出せないと、自殺するしかなくなるわけです。
いつからでも自分の人生は始められる
でも、「この方向性は間違っていた」と受け入れて、方向転換できれば、いつからでも自分の人生は始められます。
もちろん、ほぼ間違いなく、周囲から「裏切り者!」、「恩知らず!」などとののしられることでしょう。
そして、「今まで積み上げてきたのに、どうして?」とか、「愚か者のすることだ」、「一時の気の迷いに乗ってはいけない」とか、いろいろ引き留められるかと思います。
ひょっとすると、自分の内面にある「常識の声」が、そう自分に語るかもしれません。
そんな風に悩んだ場合、「誰のための人生なのか」というのを考えてみるのもいいでしょう。
「周囲のため」であれば、もう十分周囲のためになろうとしたんじゃないでしょうか。
生きてきてからこれまで、ずっとそうしてきたのであれば、私の中ではそれで十分かと思います。
「10年でも自分を殺して、周囲のためになろうと生きてきた」というのであれば、もう十分じゃないかなと。
小さなことなら、10年どころか、「1年でも我慢すれば十分」ということもあるでしょう。
満足させられない相手を満たそうとするのは、無駄
それ以上は、「もう限界までやった。それで周囲が満足しないのなら、自分の力で周囲を満足させることはできない」と理解していいかと思います。
それを認めるのは確かに苦しいことなんですが、満足させられない相手を満たそうとするのは、無駄ですよね。
そしてそういう状況では、長期目線で見れば、私たちが手を引いても、周囲は何も困りません。
というのも、もし私たちの代わりがいるならば、私たちが手を引いても、その代わりの人にやってもらえばいいだけです。
で、もし「私たち以外に、他に満たす人がいない」のであれば、それは周囲が「他に満たしてくれる人はいない」と気づかなきゃいけない状況です。
周囲が「この人しか、助けてくれる人がいなかった」と気づくことで、その重要性を学び、私たちに対して感謝できるようになります。
そうすることで、周囲は「大切なこと」に気づけるし、正当な感謝や対価を支払えます。
なら、満たせない相手に尽くし続けることは、長期的には自分にとっても、周囲にとっても無意味だと分かります。
だから、嫌ならいつでも方向転換していいんですよ。
それが、私たちのためにもなるし、長期的には周囲のためになると。
まとめ
なので、幸せの順位について考えてみると、落ち込むことも減るかと思います。
熱中できることで成功 > 熱中できることで失敗連続 > 嫌なことで失敗連続 > 嫌なことで成功
「熱中できること」を「納得できること」と置き換えてもいいでしょう。
自分軸や個性のない人からすると、好きも嫌いもないので、「既存の社会で成功>既存の社会で失敗」だけです。
だけど、自分軸がある人にとっては、「別の社会に移れる」という強みがあります。
すると、成功の軸なんて、いくらでも変わりうると分かります。
起業家でも「収益よりも、社会変革を」という人もいれば、医者でも「名声よりも、人の治療を」という人もいます。
同じように、「周囲に従い続けるよりも、失敗しつつも自分が望む方に進む方がいい」という価値観も、あってもいいかなと思います。
すると、失敗は痛くなくなるし、満足できる方向に進みやすくなるかと思います。
ということで今日は、私の中での幸せ順位について、語ってみました。
今日はここまで~。