今日は、世の中の仕組みについてのお話です。
日本とアメリカの「学校の掃除スタイル」で、社会主義と自由主義が出ますよね、というお話です。
自由を好むか、平等を好むか
最近は「世の中の仕組み」とか、価値観の違いについてよく触れてますよね。
で、その中でも大きな対立軸として、「自由を好むか、平等を好むか」という軸があるように思います。
ちなみに日本は平等側を好んで、アメリカとかヨーロッパは、自由側を好みます。
この特徴的な例があったので、今日はそのお話をしてみましょう。
それが、「学校の掃除スタイル」ですね。
日本と欧米の「学校の掃除」
日本の学校って、生徒が校舎を掃除するじゃないですか。
「自分たちが使っている校舎なんだから、自分たちが掃除して当たり前」というスタイルです。
これはある意味、「学校はみんなの施設だから、作ってくれた先人に感謝して、後の人のことも考えて大切に使おう」という感覚です。
つまりは、「他の人のために」を重視する発想ですね。
一方でアメリカやヨーロッパでは、学校の掃除は清掃業者がやります。
これは、「彼らはそれが仕事だから、彼らの仕事を奪ってはならない」というスタイルです。
言い換えると、「自分は自分の人生や仕事に集中して、他人もその人自身の人生や仕事に集中してもらおう」という感覚です。
だから、「個人それぞれに合う生き方」を重視する発想です。
欧米の階級制度
なので、これが身分制度にも出ているように思います。
例えば欧米の古い身分制度では、富豪の人は、多くの使用人を抱えていました。
その場合、使用人は「主人の子供」に対しても、主人と同じように丁寧な言葉を使ったり、「格上の相手である」として頭を下げたわけです。
それは、彼らが「家や職種、生き方に対する階級」を重視していたからですね。
「主人の家族」は、人を管理する階級です。
だから、たとえ使用人の方が「主人の子供」より年上でも、使用人は「主人の子供」に対しては、主人と同様に頭を下げると。
実際に、欧米風な執事とかメイドとかでも、使用人は「主人の子供」に対して、敬語で丁寧に接しているイメージでしょ。
日本は年功序列
一方で日本の場合、その辺は平等なんですよね。
なら、何に対して階級を作るのかというと、それが「年齢」です。
いわゆる、「年功序列」という奴です。
年齢って、生き方とか個性、職業とか、まったく関係なく、平等性のある上下関係だと言えます。
だから、例えば時代劇とか見ても、番頭さんみたいな使用人は、主人の子供にはざっくばらんに「主人の子供も、周囲の子供も、同じ子供」として接します。
もちろん仕事もあるので、丁寧には接するでしょうけどね。
そして子供の方も、相手が使用人だとしても、「年上の人だから、自分より長生きしていて、多くを知っている」と敬意を払うものです。
そういう風に、基本的に「年長者が上、年下は年長者を敬う」というスタイルです。
どちらがいいのかは、好みで決めればいい
じゃあこれのどちらがいいのかというと、もはや「好み」としか言えなくなりますよね。
学校の掃除にしろ、階級制度にしろ、どちらが社会のためになって、どちらが子供のためになるのかは、一概には言えないと分かります。
私は日本的な平等性も好きですが、欧米的なスタイルも、なんだかあこがれがあったりします。
例えば富豪の家に生まれて、執事やメイドから、「ぼっちゃん」とか「若様」、女性の人なら「お嬢様」とか呼ばれてみたいでしょ(笑
いやまぁ、そういう家に生まれることができるかどうかはさておき(笑
「使用人」という生き方が合うタイプもいる
で、そういう「よく扱われたい」タイプもいれば、逆に人によっては「よく扱ってあげたい」という奉仕タイプの人もいます。
つまり、「使用人」という生き方が合う人もいると。
これは、執事やメイドとして、「主人や婦人、その子たちも含めて、家を支えてゆきたい」ということに、心地よさを感じるタイプですね。
言うなれば、自分がのし上がっていくのは苦手で、だけど誰かを影から支えて、人に喜んでもらうのが好きなタイプです。
なら、それはそれで、「適材適所で、自分に合う生き方をしているよな」と分かります。
ある意味、欧米的なスタイルでは、「個性に目を向けて、自分に合う場所や生き方を見つけられれば、幸せ。そうでない人は不幸になりやすい」ということです。
日本は平均的な人ほど幸せ
同じように、日本では、「我慢をすれば、年齢と共に、誰もが敬ってくれる」ことになります。
これはこれで、平等でいいと分かります。
こちらは、「平均的であるほど幸せ。そうでないほど不幸になりやすい」と言えます。
平均的であるほど、「平等」の恩恵を享受できるんですから。
なので、日本スタイルでも欧米スタイルでも、どっちも同じぐらい、いい点も悪い点もある、ということです。
まとめ
こういうスタイルの違いって、面白いですよね。
で、世の中にはこういう「いろんなスタイルの違い」があることを知ると、「好みで選んでいいな」と分かるんじゃないかと思います。
どっちがいい、悪いではなく、好みなんだと。
これが分かると、「今いる場所以外に、自分が輝ける場所があるかもしれない」と分かって、いろいろ動けるかもしれません。
ということで今日は、日本とアメリカの「学校の掃除スタイル」で、社会主義と自由主義が出ますよね、というお話でした。
今日はここまで~。