今日も精神的なお話です。
「実力の高さとセルフイメージの高さは関係ない」、というお話をしてみましょう。
「持ち込み」に対する恐怖
とある漫画家志望の方とやりとりをしていたら、そのお方がこう言っていたんですよ。
私は好きな漫画を自由に描いて、自分の描いた漫画のファンを得て豊かに暮らしたい、という目標を密かに持っているので出版社に持ち込みをする事に迷っております。
しかし、自分ひとりで漫画をつくるには構成力・実力不足な事を理由にpixivなどで作品を投稿することにも尻込みしてしまっている状況です。
こういう迷いとか不安を持っている方は、多いんじゃないかなと思います。
特に出版社への持ち込みとか、怖いですよね。
「ボロボロにけなされたらどうしよう」とか、「門前払いされたらどうしよう」みたいに思うものです。
そして実際に、そういう「持ち込みで落ち込まされた」みたいなサスペンスストーリーを聞かされたことは、山ほどあるんじゃないかと思います。
今回は、こういう場合に対する、一つのアプローチを説明してみましょう。
それが、「目標を高く持たない」ということですね。
実力の高さとセルフイメージの高さは関係がない、ということです。
すると、無理に持ち込みをする必要はないと分かって、未来が開けていくかと思います。
同時に、自信を持ち続けていられて、しかも目先のお金も得られるんじゃないかと思います。
豊かさを確保するのは、領土開拓と同じ
まあ、ちょっと考えてみましょうよ。
豊かさを確保するというのは、領土開拓をすることと似ています。
農地を多く確保できる国ほど、収穫量が増えて国が豊かになるものです。
私たちは、そういう国の君主と同じです。
で、戦争をして領土を奪うにしても、未踏の地を開墾をして新規に領土を広げるにしても、どのみち時間や人手(作業)などの資源を投下して作り出す必要があります。
そういう状況を想定した場合、私たちはどういう戦略を立てるでしょうか?
もし戦争をする場合、勝てないような敵に挑むのは、時間と人手の無駄だと分かります。
孫子を出すまでもなく、勝てない戦争をするのは、愚かな君主のすることですからね。
そして開墾をできもしないような、作付けに不向きな土地を新規に開墾しようとするのも、時間と人手の無駄だと分かります。
すなわち、勝てもしないし、収穫量を増えずに、しかも士気(モチベーション)まで落ちてしまうような戦いや資源投下は、全くの無駄で、愚かな政策だと分かります。
勝てない戦いだから、ためらって当然
でも多くの作家やクリエイターさんが、自分の戦略となると、これが理解できなくなるんですよ。
多くの人が、勝てもしない新人賞とか、持ち込みを続けてしまうと。
それは、勝てもしない戦争をすることや、作付けに不向きな地を開墾しようとするのと同じです。
だいたい、「持ち込みをしてもダメそうだな」って自分でも分かっているから、ためらうわけです。
もし可能性があるなら、「次はいけそう!」と喜びと希望を持って挑戦できるようになるものです。
だから、勝てない戦いだから、ためらって当然なんですよ。
その感覚は正しい、ということです。
セルフイメージが低いことで、目標を高く設定しすぎてしまう
じゃあなぜそこまで「持ち込みしなければ、漫画家になれない」と、強迫観念のように思ってしまうのか。
その大きな要因が、冒頭でも示した、「目標が高すぎる」ことじゃないかと思います。
セルフイメージが低いことで、目標を高く設定しすぎてしまうわけですね。
自分の実力の高さと、セルフイメージの高さは別物です。
「大舞台で活躍できたら、どれだけ素敵だろう」って思いますよね。
みんなから尊敬されたり、「漫画コミックを出版してるなんて、すごい!」と言われたりすることで、認められる感じがするものです。
でも、それが既に、セルフイメージが低い状態じゃないですか。
セルフイメージが低いから、「今、できていないこと」をしようとするわけです。
すなわち、実力以上に目標を高く設定してしまっていると。
そもそも、なぜ「漫画家になりたい」と思うのでしょうか。
それは、根本に「自尊心を得て、この自分でいいんだと受け入れた上で、大好きなことだけをして、豊かに生きたい」という思いがあるように思います。
言い換えると、「十分なセルフイメージを持った上で、大好きなことをして、豊かに生きたい」ってことが目的ですよね。
その手段として、「漫画家になる」、「そのために持ち込む」という方法があるだけです。
「漫画家になりさえすれば、幸せになれる」と思うのは、目的と手段をごっちゃにしてしまっている、ということです。
今の自分にできることをするから、セルフイメージが上がる
むしろ、「今の、ありのままの自分」でできることに気づくことで、セルフイメージは上がります。
できないことをできるようになったとしても、セルフイメージなんて上がりません。
セルフイメージの高さとは、「ありのままの自分でいい」とどれだけ受け入れるかで決まります。
今の自分にできることをするからこそ、喜んでくれる人が出てきて、「自分にもできることがある」と分かるわけです。
だから、セルフイメージが高い人ほど、「今の実力」で最大限の収穫を得られるようにします。
セルフイメージが高い人は、別に本を出版していなくても、大舞台でなくても、「自分は現状で尊い人で、愛されている人だ」と感じます。
収穫を得られるからこそ、「自分にもできることがある」と知って、自分にできることをしていくだけです。
だからこそ、自信が身につくわけですね。
自分にできもしないことを求めなければ、何でもできるようになるので、自然と自信は身につきます。
「ありのままの自分」で、スタイルを確立する
そして、その「ありのままの自分」で自分なりのスタイルを確立することですね。
すると、本当に欲しいものは、全て手に入ります。
「自分ひとりで漫画をつくるには実力不足で、投稿に尻込みしてしまっている」というのであれば、実力不足な自分をまるまる受け入れるわけです。
構成力がない、実力がないというのは、欠点ではなく長所です。
正確に言うと、長所をサポートするための能力だと言うことですね。
なら、構成力を他から仕入れることもできるかもしれませんし、ばっさり落として新スタイルを確立できるかもしれません。
そのありのままの自分で、能力を発揮すればいいんですよ。
ここがちゃんとつながれば、ありのままの自分を出して、受け入れてもらえます。
すると、セルフイメージが上がるので、実力の高さはどうでもよくなります。
そして無い物ねだりをせずに、今の自分にできることをしてゆけるようになります。
そうして、勝てる部分で勝ち、開墾できる部分で開墾することで、収穫量を確実に伸ばしましょう、ということです。
そういう場所こそ、知恵と工夫次第で、収穫量を飛躍的に伸ばせる領域ですからね。
まとめ
そんな風に、今の自分にできることをしてゆけば、今の自分を受け入れられるようになります。
そして、「自分にはこれができる」と、使命感が得られるようになります。
使命感を持てれば、「勝てない戦い」なんてする必要がなくなります。
こうやって、自分を受け入れて、しかも喜んでくれるファンを確保してゆくという、健全な歯車が回ってゆくわけですね。
目標を下げても、自分の実力が思ったほどでなかったとしても、健全なセルフイメージは保てます。
むしろ一度目標を下げて、今の自分にできることをする方が、「本当に欲しいもの」を手に入れやすいかと思います。
今イメージしているような漫画家にならなくても、欲しいものが得られる、ということですね。
ということで、今日は「実力の高さとセルフイメージの高さは関係ない」というお話をしてみました。
今日はここまで~。