今日も考え方のお話です。

「消費するほど優れている」という常識から離れると、豊かさを増やせそう、というお話です。

 

「スマホの見過ぎ」という問題

今日のネタ記事。

「スマホの見すぎ」が招く世にも恐ろしい3大弊害(東洋経済オンライン)

記事の内容は、スマホを見過ぎると「集中力、視力が低下して、睡眠障害やうつになりやすい」という内容なんですが。

 

まぁ、こういうのは昔からよく言われていたように思います。

携帯電話の時代は「ケータイばかり触って!」みたいな言葉があって、ネットが出てきた時代は「メールばかり、ネットサーフィンばかりして!」みたいな。

で、もっと昔になると、印刷物が出てきた時代は「本や雑誌、漫画ばかり見て!」、電話が出てきたときは「電話ばかりして!」となって。

さらに過去には、テレビが出てきたら「テレビばかり見て!」、ラジオが出た時代は「ラジオばかり聴いて!」とか。

きっと、縄文時代には、「土器に模様ばかり作って!」とか言われていたんじゃないかと思うんですが(笑

 

新しい世代は、そういうものに触れて感性を得て、未来に適応していくので、「過去のスタイルがいい」とは言えないんですが。

私だって、ゲームやアニメが大好きだったので、ゲーム制作監督という道を選んだということもありますからね。

で、やっぱり「幼い頃に、もっと作品に触れられていればなぁ」とか感じることもあるようにも思います。

 

「スマホを見て歩く大人は、貧しい層の人ばかり」という法則

まぁそういう「古い世代は、若い世代の生き方が分からない」というものはあるにしろ、「スマホを見続ける大人」には、それなりの傾向があるように感じます。

スマホを食い入るように見ながら歩いていたり、田舎なら自転車に乗っている人っていますよね。

 

これは私の印象ですが、「スマホを食い入るように見て歩く大人は、ほとんどが貧しそうな人である」という法則があります。

服もよれよれだし、髪の毛も整っておらず、何というか明らかに「貧しい層の人だ」と分かるんですよね。

もしくは、「いかにも末端の労働者で、変化する時代には転落していきそうな人」というイメージです。

昔の日本は格差がなかったのかもしれませんが、今はだいぶそういう「貧しい層の人」が出てきているようにも感じます。

 

堀江貴文氏か、ひろゆき氏かが言っていたように記憶していますが、「スマホは、情報を消費することを目的とした道具である」と言っていて、これがとても当てはまるように感じます。

スマホはほとんどの人にとって「消費するため」に持つもので、「作るため」ではないんですよね。

まぁ、カメラと動画機能だけは「作るため」に利用できますが、少し高度なことになると、例えば動画でもPCで編集をするものです。

なので、「撮影機材」とか「メモ機能」、「制作補助の情報参照デバイス」みたいな用途ではスマホを使えても、基本は「スマホは情報を消費するための道具」だと。

 

「情報は、消費するほどいい」という思い込み

で、「スマホを食い入るように見て歩く大人」に共通することとして、「情報は、消費するほどいい」という思い込みがあるように思います。

これは情報だけでなく、お金も同じですね。

「より多くの情報を消費する方が、豊かになれる」、「より多くのお金を使う方が、よりよい商品やサービス、よりよい人生を得られる」みたいな。

 

すると、貧しくなって当然のように感じます。

これはお金で考えると分かるでしょうが、「収入よりも支出(消費)の方が心地よい」とするほど、お金が減って当然で。

 

一方で、「誰かに価値を分かち合うことの方が楽しいし、嬉しい」とする人ほど、収入が増えて、豊かになりやすいものです。

これは私がよく言うことですが、お金は「お金以外のもの」と交換するための道具ですからね。

だから、消費の楽しさを知るほどお金がなくなるし、何かを分かち合う楽しさを知るほど、なぜかお金が増えると。

 

他者に何かをしてもらうか、自分で何かをするか、という対立

で、ここには、「他者に何かをしてもらうこと」と「自分で何かをすること」のどちらに価値があると思うかで、変わるように思います。

で、「何かをしてもらうこと」に価値があるとするほど、消費ばかりをして、主張ばかりをして、自分では何もしなくなると。

一方で、「自分で何かをすること」に価値があるとするほど、自分にできることを考えて、自分を生かすようにするようになるかなと思います。

 

なので、「消費する方が素晴らしい」という方向に傾くほど、やはり蓄えが減って当然のように思います。

まぁ、「それが貧しいことで、不幸なことなのか」と言うと、私には分からないんですけどね。

上記では「貧しそうな人」とは言ってはいますが、「スマホを食い入るように見て歩いている人」は、少なくとも通信費を払える余裕があるし、熱中できることもあるし、実際に消費行動を楽しんでいるわけで。

他の人にぶつかったりして迷惑をかけなければ、ひょっとすると、それはそれで幸せなことなのかもしれません。

 

スマホに流れゆく他人のあれこれは、しょせんは暇つぶし

とはいえ、私からすると、「食い入るように見て歩いている」というのは、「無料でできる暇つぶし」程度のように思います。

実際に、近所の人で、いつもスマホを見て歩いている日本人がいたんですよ。

私とか、「危ないな」とか思っていたんですが。

 

でも、その人はある日を境に、そういう「食い入るように、スマホを見て歩く」ことをやめました

じゃあ何が変わったのかというと、その人はアメリカ人の恋人を作ったと(笑

 

やっぱりそういう風に、何か自分なりの目的とか、楽しいこととかを見つけると、「スマホに流れゆく他人のあれこれは、しょせんは暇つぶしだ」と感じるんじゃないかと思います。

自分の人生とか、自分が望む未来とか、真剣に向き合って悩めることを目の前にすると、他人のことなんてどうでもよくなりますからね。

そして自分なりの目的を持つほど、スマホは「目的を実現するためのデバイス」として、時間を限って使うようになるかなと思います。

 

まとめ

そういうこともあって、豊かさを増やしたいのであれば、「消費するほど優れている」という常識から離れるのもよさそうに思います。

「お金を使うほど、他者の情報に触れるほど豊かである」という価値観を見直すことですね。

そうではなくて、「分かち合うことも面白いよね。情報を出すことも楽しいよね。自分なりの人生と向き合うのも、熱中できるよね」と、そっちの楽しさを深めるのもいいかなと。

 

すると、「人生ではこういう楽しさもあったんだ!」と分かって、楽しみつつ、豊かさを増やせるかもしれません。

 

ということで今日は、「消費するほど優れている」という常識から離れると、豊かさを増やせそう、というお話でした。

今日はここまで~。

この記事をシェア:
Share