今日は、ちょっと精神的なお話です。

「英語は下手でいい、コミュニケーションできればいい」、というお話です。

 

いろいろ手を出してみるのが好きだったり

まぁ私は目的思考というか、「手段を多く試す」というスタイルが好きなんですよ。

なので、「いろんな手段があるなら、いろいろ試してみればええやん。それでうまくいく方法が見つかったら、最高やん」という軽いノリが好きだったりします。

つまり、あんまり一つの手段にこだわらずに、自分にできることはいろいろやってみる、というスタイルが好きだと。

 

で、その一環もあって、最近はそれなりに英語に触れていたりします

それはまぁ、私の周囲がアメリカ人だらけだとか、世界に向けて売りに出せるものを作れればいいなとか、英語版のYouTube動画の方が圧倒的に多くの情報に触れられるとか、いろいろ理由があるんですが。

それに、ちょっと込み入ったアプリとかゲームを作ろうとしたり、何かニッチな先端技術に触れようとするなら、英語は必須ですし。

でもまぁ、英語が少し理解できるようになったら、急に面白くなってきて、はまってしまったという理由もあります(笑

 

で、私達が英語を使おうとする時って、どうしても「発音がよくなきゃダメだ」とか、「正確な文法じゃなきゃダメだ」とか感じますよね。

大体学校では、発音と文法をさんざん学ばされて、ダメだったら減点を食らって。

でも私の場合、少し前にちょっとした出来事があったんですよ。

それで、「あ、英語の発音とか文法なんて、どうでもいいんだ」と分かって、すごく楽になれたので、そのお話をしてみましょう。

 

私の周りは、アメリカ人だらけという環境

極東でも最大級の米軍基地として山口県の岩国基地があるんですが、私はそのすぐ隣に住んでいるんですよ。

道路を隔ててすぐ隣が基地で、今この記事を書いている場所から直線5メートル先が米軍基地だという。

しかも私が住んでいる家は、基地正門から徒歩1分という、もう超絶立地だったり(笑

 

なので、周囲はアメリカ人だらけなんですよ。

一般兵卒は基地から出られませんが、指揮官クラスになると、基地の外に家を借りて住むことができますからね。

それに基地は軍人だけでなく、基地で商売をしている民間のアメリカ人も多くいて。

そういうこともあって、いろんなアメリカ人が周囲に住んでいて、窓の外から聴こえる人の会話も、8割方英語だったりします。

 

隣に引っ越してきたアメリカ人奥さんと、おばちゃんの会話

で、1年前ぐらいだったか、私が制作をしていた時、窓の下から会話が聞こえたんですよ。

それは、隣に引っ越してきたばかりのアメリカ人家族の奥さんと、もう一軒ほど隣のおばちゃん(日本人)の会話でした。

いや、盗み聞きしたとかではなくて、開けた窓から聞こえてくるんだからしょうがないんですよ!(笑

そしてこの会話が、私にとってはとても衝撃というか、素晴らしかったんですよね。

 

何が素晴らしかったかというと、アメリカ人奥さんは、英語しかしゃべれません。

一方で、日本人のおばちゃんは、日本語しかしゃべれないわけです。

だから、片一方は英語で、片一方は日本語、しかも日本語は標準語ではなく、普通に広島弁なわけです(笑

なのに、会話が成立してるんですよ!

 

会話が成立してる!

日本人のおばちゃんは、(おそらく自分を指して)「私はサチコという名前です。サチコ、サチコ」と、言うわけです。

すると、アメリカ人奥さんは、「オー、サチコ!」と名前を理解して、自分の名前も名乗ります。

まぁ、何度も顔を合わせて「隣の住人だ」と理解しているので、この辺は早いと。

これでもう、ファーストネームで呼び合う仲ですよね(笑

 

そして、アメリカ人奥さんは、家族の名前も一人一人伝えていくわけです。(日本人のおばちゃんは一人暮らし)

細かい名前までは覚えてませんが、旦那はジョンだとか、大きい方の子供はジャックだとか、小さい方はアシュリーだとか、ジェスチャーで語るんですよ。

おばちゃんも、「旦那さんがジョンで、大きい子供がジャックで」とか、思いっきり日本語で、だけどしっかりと確認していくと。

これで、家族紹介ができて。

 

「どこから来たの?」という質問

で、次におばちゃんは、「どこから来なさったん?」と、言うわけです。

当然、アメリカ人奥さんは分からなくて、「?」と「理解不能だ」とジェスチャーで示すと。

すると、おばちゃんは「ニューヨーク? ロサンゼルス?」とか、アメリカの地名を言うんですよ。

 

なら、アメリカ人奥さんは、「ああ、出身地を訊かれてるんだ」と理解できます。

だって、日本に引っ越してきたばかりの状況で、互いに初めて自己紹介をした後で、地名を含む質問があるとするならば、それは「どこから来たの?」だけですよね。

だから、アメリカ人奥さんは、「どこどこの市から来た」と、英語で答えると。

おばちゃんは、それがどこか場所を理解しているかは分かりませんが、「そうかねー」と日本語で深くうなずいて、答えるわけです。

 

理解できない質問が、意味を伝えるための布石になっている

これ、すごいですよね。

だって、「どこから来なさったん?」って最初に日本語で問いかけるんですが、おばちゃんは確実に「この日本語は、相手に理解されない」って分かっているわけです。

だいたいおばちゃんは方言なので、正確な日本語ですらないわけで(笑

だから、相手は理解できるはずがないんですよ。

 

でも、その後に地名をいくつか伝えることで、「どこから来たのか」という意味を伝えられているわけです。

すなわち、最初の「どこから来なさったん?」は、理解されなくても、意味がある問いかけだったと。

 

すなわち、全く違う言語なのに、会話はできているわけです。

言うなれば、言語を超えた、共通言語ですよね。

二人は「引っ越してきた時は、こういう内容を語る」という共通言語を用いて、会話をしていたと。

 

発音は0点でも、コミュニケーションは100点以上

結局、それなりに時間をかけて二人が情報交換できたのは、その「自分たちの名前と、出身地」だけでした。

情報量としては、とても少ないですよね。

しかも英語と日本語なので、おばちゃんの英語の成績は0点だし、奥さんの日本語は0点だと。

でも、「会話の目的」は十分すぎるほどに達しているんですよ。

 

だって、アメリカ人家族の人たちは、アメリカから遠い日本にやってきて、住むようになって、文化も風習も全く違って、不安もあるわけじゃないですか。

そんな時、隣に住んでいる人が話しかけてくれて、名前を名乗り合い、家族の存在を理解してくれて、出身地を理解してくれたと。

それって、すごく安心できるし、心強いことですよね。

 

それはある意味、子供たちの存在を認めてもらって、見守ってくれることも意味するでしょう。

他にも、万が一でも何かあった時は、駆け込んで助けてもらえることもできて。

そういう安心感って、大きいと思うんですよ。

 

目的は何か

おばちゃんは、英語は全然できなくても、コミュニケーションは十分に達成していたわけです。

だいたい、おばちゃんにとっては、情報量が多ければいいというものでもありませんからね。

分かるでしょ、おばちゃん同士の井戸端会議なんて、情報なんてあってないようなものですから(笑

 

全く違う言語の人でも、会ってすぐに打ち解けて、目的の情報交換ができて、相手に安心を与えることができる。

これって、すごいコミュニケーション能力ですよね。

 

伝われば、発音なんてどうでもいい

私はこの会話を聞いて、「ああ、英語の発音とか、どうでもいいんだ。コミュニケーションができればいいんだ」と分かったわけです。

日本では、「ネイティブのような発音が素晴らしい」みたい雰囲気があるじゃないですか。

でも、世界中で英語を話す人の中で、ネイティブの人は19%しかいないんですよね。

その他は、全くネイティブではない話し手で。

 

しかも、私の周囲にもいるんですが、英語でも地域差で発音は全然変わるんですよ。

例えばスペイン語の韻が少し入った英語は、普通の英語とはだいぶ違いますからね。

でも、それもおそらくネイティブ扱いでしょうし、実際に普通に会話してますし、伝わると。

言うなればそれは、東京弁と大阪弁ぐらいの違いかなと。

全然違うけど、伝わるんですよね。

 

だいたい、どぎつい東北弁なんて、関東以西に住んでいる人にはおそらく理解不能でしょ(笑

それとか、沖縄の言葉も、九州在住ですら理解不能なことがあって。

でも、それもひっくるめて「日本語ネイティブ」ですからね。

 

まとめ

だから、発音とか文法とか、結構どうでもいいと感じるようになりました。

伝わればいいと。

それは別に英語でなくとも、伝わればいいと。

 

ふと思えば、私もそういうことはしていたんですよ。

例えば日本人の絵描きさんに発注する場合でも、私は日本語を使わないことがあって。

それは、日本語ではなくて、絵や写真、イラストで「こういう感じ」と説明するわけです。

すると、言葉以上に伝わるし、相手も図で示してくれた方が理解しやすくて、便利ですよね。

それと同じです。

 

そういう「言語は一つの手段。目的は伝えること」だと分かって、すっごく楽になれたと。

正しい発音なんて、もうどうでもいいや、と。

すると、「もし英語を使うなら、発音よりも、リズムの方が大切だよな」とか、本質が見えてきて。

 

そしてその辺から、例えばYouTubeでも、「本質が理解できればいいや」と気軽に英語動画に触れられるようになって、気がついたらだいぶ聞き取れるようになっていて。

英語を聞き取れるだけでも、得られる情報量は圧倒的に変わりますからね。

それに、日本語動画でも、私達は全部の言葉を聞き取れているわけではないので、英語動画でも全部聞き取れなくてもいいんですよ。

 

なのでそういう気軽なノリの方が、英語に限らず、うまく身につけられることも多いように感じたりもします。

だいたい、絵が好きな人は、最初に「きちんとした絵を描こう」なんて思ってなかったでしょ(笑

小説にしろ、音楽にしろ、動画作りにしろ、ブログにしろ、「気軽に楽しんでいたら、なんかできるようになった」みたいなノリが多くて。

それと同じですよね。

それぐらい身軽に触れるぐらいが、楽しみつつ身につけられるように感じたりもします。

 

ということで、今日は「英語は下手でいい、コミュニケーションできればいい」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

この記事をシェア:
Share