今日は精神的なお話です。

「最近、スピリチュアルの本質が分かってきました」、というお話です。

 

意味不明なスピリチュアルの教えが、分かるようになってきました

先日も詳しく説明しましたが、最近、どんどん我がなくなっている状態なんですよ。

で、この我がない状態になったら、今まで理解不能だったいろんなことが分かるようになりました

 

「スピリチュアル」って分野があるじゃないですか。

私は劣等感を解決したいがために、心理学だけでなく、いろんな宗教や思想、いわゆる「スピリチュアル」という分野にも触れてきたんですよ。

で、このスピリチュアルを求めている人が持つ、究極の目標っていうのが、「我をなくすこと」じゃないかと思ってます。

まぁ世の中広いので、そうでない欲望にまみれたスピリチュアルもありますが(笑

でも一般的に言うと、キリスト教にしろ、仏教にしろ、最近のスピリチュアルブームの内容にしろ、だいたいが「心を平穏にして生きるための方法」がメインですよね。

 

そういう場合に、全く理解不能な教えが結構あったんですよ。

以前も触れましたが、「神はいつでも貴方とともにいますよ」とか、「天や神とつながりなさい」、「生かされていることを知りなさい」、「命は与えられたものですよ」とかあるじゃないですか。

他にも、仏教では「人の内側には輝く真心があって、その周りに我が何重にも重なって貼り付けられている。その我を取り除けば、誰もが輝く真心に目覚める」とかありますよね。

「何言ってんの、こいつ?」って感じでしょ(笑

 

禅では、「放下著(ほうげじゃく)」と言って、「苦しみ捨てて生きなさい。でも捨てられないなら、持って行きなさい」とかいう教えがあるんですよ。

「捨てるのか持つのか、どっちかはっきりせーや!」とかツッコミ入れたくなりますよね(笑

キリスト教で言うと、「神は豊かな人に豊かさを与えて、貧しい人からはさらに奪う」とかあるんですよ。

「貧しい人からさらに奪うなんて、ひどい神やな!」とか言いたくなるでしょ(笑

 

我がなくなれば、意味不明な教えが理解できるようになる

でも、これらの意味不明な内容が、我がなくなると一瞬で全部理解できるようになるんですよ。

これはまさに、アハ体験と同じです。

「ああ、こういう見方をすれば、確かにそんな風に感じるわ!」って感じられると。

 

ほら、トリックアートでルビンの壺ってありますよね。

これはぱっと見では壺の絵なんですが、主体を白黒反転させて見てみると、人が向き合っているように見える絵です。

「壺の絵だ」と思っていたのに、人の顔だと認識できるようになった瞬間って、まさにアハ体験ですよね。

 

上記のようなスピリチュアルの意味不明な教えも、まさにそれと同じなんですよ。

もうね、我がなくなると、白黒反転して見えるかのようになって、「まさに言っているその通り」になるんですよね。

変化球とか、謎かけとか、わざと難解な言い回しをしているとか、そんなんじゃないんですよ。

思いっきり「どストレート」です。

 

言うなれば、上記の教えの数々は、ルビンの壺の絵で「この絵は顔が向き合っている絵ですよ」と表現しているようなものです。

まさに「言っているそのまま」ですよね。

多くの人が、あの壺の絵を「壺だ」としか認識できないから、スピリチュアルな教えが意味不明になるわけです。

ルビンの壺のように、見る対象を白黒反転させてとらえれば、「まさにそのまま」でしかないんですよ。

 

「運がいい」を口癖にすれば、白黒反転させて見えるようになる

じゃあ、どうすれば白黒反転させて見ることができるのか、ということですよね。

これも、古今東西いろんな方法論があるんですが、私がやった内容は、「運がいい」というのを口癖にしたことです。

 

ここからちょっと、感覚的なお話になるので、感覚的にとらえてみてください。

私は「運がいいなぁ」というのを口癖にして、嫌なことが起こっても「運がいい」と条件反射的に言うようになりました。

すると、悪い状況でも自然と「運がいい」内容を探すようになります。

そして、物事には必ず学べる内容があったり、いいと解釈できる内容が見つかるようになります。

 

そんな風にしていると、「物事には二面性があって、いい面も悪い面もあるんだな。出来事は、すべて中立の出来事なんだ」と感覚で理解できるようになります。

すなわち、最初感じた「嫌だなぁ」という感覚は、私(我)が作り出していたものだと自覚できるようになります

一方で、物事がすべて中立の出来事なら、「いい面」で固定された視点があります。

この「常にいい面を見る」という視点で見ると、ルビンの壺と同じように、白黒反転して見えるようになります

 

言うなれば、「私(我)」の視点で見ると、ルビンの壺は「壺の絵に見える」ということです。

で、「常にいい面がある(物事はすべて中立の出来事である)」という視点で見ると、ルビンの壺は「人の顔に見える」ということです。

 

「物事はすべて中立の出来事だ」という視点は、言うなれば「我をなくした神の目線」ですよね。

だから、「運がいいな」と言っていれば、自然と我がなくなって、我がない状態で見えるようになる、ということです。

これは感覚的な話なので、理屈では理解しにくいかもしれません。

なので、感覚でとらえると、イメージがわきやすいかと思います。

 

まとめ

もうね、このアハ体験を経験したら、言いたくてしょうがなくなりますから(笑

「私たちは、神や天によって生かされているんですよ」とか、これに気づけば一瞬で、「そんなの見たまま、当たり前やん!」と感じられるようになります。

「あのルビンの壺の絵は、人の顔が向き合っているようにも見えるでしょ!」と感じられるのと、同じです。

でもほとんどの人が、我があることで、「あれは壺の絵にしか見えない」となってるだけです。

 

だから、是非「運がいい」というのを口癖にしてみてください。

きっと、理解できるようになります。

 

ちなみに私はこれを、斉藤一人さんという人から教わりました。

あの人は、「百回聞き音声」とか言って、「この音声は、100回聞いてみてください。100回聞くと分かりますよ」という音声付きCDを出しています。

私はそれを、全部含めて1000回ぐらい聞いて、分かるようになりました。

最初は「1回学べば分かるだろう」とか思っていたんですが、とりあえず愚直に何度も聞き直していると、ようやくその神髄が分かった、ということですね。

 

その神髄が、「運がいい」という言葉を口癖にする、ということです。

物事には二面性があって、それを感覚で理解できるようになることが、我をなくすことにつながります。

 

このアハ体験は、分かれば簡単です。

ルビンの壺の絵を、「ああ、確かに人の顔だ!」と認識できるようになるのと同じですから。

これが分かれば、もう思わず笑っちゃうほど、世の中に多くあるスピリチュアルの神髄が一瞬で理解できるようになります。

そして、それらの意味不明な教えが、「まさにそのままやん!」と言いたくなるほど、理解できるようになります。

 

コツさえ分かれば、誰でもできます。

このアハ体験は、是非体験してもらいたいものですね~。

 

ってことで、今日はスピリチュアルの本質についてお話ししてみました。

今日はここまで~。

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