今日は雑記です。

味覚的な好き嫌いについて、つらつらと語ってみましょう。

 

「C.C.レモンのような蒸しケーキ」がおいしかった

スーパーに行ったら、「C.C.レモンのような蒸しケーキ(Pasco)」という菓子パンが割引されていたんですよ。

大量に余っていて、普通は1個100円なのが、半額を通り越して1個30円になっていたという(笑

 

ちなみに私はレモン系だけでなく、酸味のあるものが大好きだったりします。

酢の物も好きだし、飲み物には酸味を加えたくなるし、「瀬戸内レモン味」とか見ると、どれもおいしそうに見えるぐらいで(笑

 

なので、上記の菓子パンも買って食べてみたら、これがとても私好みで、私の中では大ヒットでした。

大いにレモンを楽しめるので、私の中では「盛り付けや食べ方次第で、ケーキ屋の400~500円ぐらいするようなケーキと遜色なくできそう」と思ったりもします。

新商品とはいえ、「こんなにおいしいのに、なぜこんなに余ってるんだ!」と不思議に思ったりもして。

 

味覚の好き嫌いにも、結構理由がありそう

で、ふと思ったんですが、こういう味覚の好き嫌いにも、結構理由がありそうに思います。

 

例えば私の場合、酸っぱいものが好きなんですが、人によっては「辛い物が好き」、「渋みや苦みがある方が好き」みたいな人もいますよね。

でも、そういう酸味とか辛み、渋み、苦みって、基本的に「身体の害になるものを判別するための味覚」じゃないですか。

つまり、そういう味覚を好むというのは、「リスクがある食べ物を好む」ことを意味するわけで。

 

なら、人がそういう「味覚的な好みを持つ」というのは、「よりリスクがある食べ物でも、食べられるものを開拓してゆく種である」という意味があるのかもしれません。

例えば酸味は腐っているかどうかを判別する味覚ですが、「酸味があるものが、すべて食べられない」わけではありません。

すると、そういう少し偏った好みを持つ種を作ることで、生命は食べられるものを広げていこうとしているのかな、と予想したりもします。

いやまぁ、ただ単純に、何かの栄養素が欠けているだけかもしれませんが(笑

 

大人になると、味覚が変わる理由

どうでもいいんですが、「大人になると、味覚が変わる」という現象にも、理由があるように思います。

実際に、「子供の頃は、食べ物の好き嫌いが多い」、「子供は甘い物が好き」、「子供は苦いコーヒーや、渋くて酸っぱい紅ショウガは嫌い」みたいなものもありますよね。

 

これはなぜかというと、子供の頃は、身体を大きく成長させる必要があります。

すると、酸味、辛み、渋み、苦みみたいな、「毒の可能性があるもの」は、できるだけ排除しておきたいと分かります。

だって、身体を大きく成長させようとしている時って、骨とか内臓みたいな基幹部を安全に作る必要があります。

でもそんな時に、体内に毒を入れてしまって基幹部が狂ってしまうと、長期的に弊害が起きますからね。

 

だから子供はピーマンやにんじん、ショウガなどの「クセのある食べ物」が苦手になりやすいんじゃないかと思います。

そして、特に子供の頃は糖質代謝が優位なので、甘みのように「毒の可能性が低い、エネルギーになりやすい味覚」を好むんじゃないかなと。

 

大人になると、食べられるものが増える

一方で大人になれば、それ以上身体の成長をする必要がないので、食べられる幅を広げられます

だから、大人になったら苦いコーヒーを飲めるようになるし、焼きそばの紅ショウガとか、ハンバーガーのピクルスを「おいしい」と感じるようになるんじゃないかなと。

 

実際に子供の頃って、紅ショウガとかピクルスって、ダメだった人が多いでしょ。

それとか私の場合、小豆のあんこも、えぐみがあって苦手だったんですよ。

だから、あんパンとかも、食べられないことはないんですが、私はあまり好みではなかったと。

でも、大人になったらえぐみが気にならなくなって、大好きになりましたからね(笑

 

なので、例えば子育てをしている人がいるならば、「大人になれば食べられるようになる」と思えば、子供の好き嫌いも許容できるかもしれません。

その「強めの酸味、辛み、渋み、苦みが苦手」という性質は、身体を成長させるために、意味ある機能だということです。

それを、無理に「我慢しなければならない」と押しつけると、逆に苦手意識を植え付けて、大人になっても食べられなくなることもあるように思います。

 

まとめ

なので、私たちの「好み」とか「好き嫌い」というものも、その背後にはいろんな理由があるように思います。

好みは成長によって変化することもありますし、「ずっとこれが好き」というものもあるかもしれません。

 

「我慢をする方が素晴らしい」というだけでなく、「好みの意味を知る」ことができると、個性をより発揮できるかもしれません。

 

ということで今日は、味覚的な好き嫌いについて、つらつらと語ってみました。

今日はここまで~。

この記事をシェア:
Share