今日は、生き方と人間心理のお話です。
必要以上に頭を下げない人は、必要以上にふんぞり返らない、というお話をしてみましょう。
「後ろにふんぞり返ると、前に頭を下げなきゃいけなくなる」法則
もうだいぶ前の、独立する前に学んでいた時のことですが、とある経営者の言葉で、私の中で印象に残っているものがあるんですよ。
それが、「ずっとふんぞり返っている社長ほど会社をつぶしやすいし、倒産して債権者会議になると、今度は地べたに頭をつけて謝ることになる。だからふんぞり返らない方がいい」みたいな内容でした。
私の中でも、こういう法則はあるように思います。
私なりの言葉で言うなら、「後ろにふんぞり返ると、その反動で前に頭を下げなきゃいけなくなる」というイメージでしょうか。
必要以上に頭を下げると、ふんぞり返る
そして同じように、「必要以上に頭を下げすぎると、その反動で後ろにふんぞり返りやすくなる」とも言えるように思います。
まぁ、感謝で適度に頭を下げるのならいいんですけどね。
でも、これは特に「お願い」で頭を下げすぎると、後ろにふんぞり返りやすくなるように思います。
というのも、「お願い」で頭を下げすぎるのは、「相手に無理をさせる。無理を力尽くで通す」ことを意味するからです。
とある人が「どうかお願いします! この通りです!」と頭を下げる場合、状況としては「相手は嫌がっている」ことを意味します。
つまり相手が嫌がっていることを、お願いで頭を下げて、強引に自分の優位や利益に持っていこうとしているわけです。
すると、もしそれが通ってしまうと、「相手に強くお願いをして、無理をさせるほど、自分の利益になる」という学習をしてしまうんですよね。
そして人は、「お願いを押しつけられる相手」を「自分よりも格下」だと認識します。
つまり、「格下に無理をさせることで、自分の利益を得ようとする」ことになるんだと。
だから、お願いなどで「必要以上に頭を下げすぎると、その反動で後ろにふんぞり返りやすくなる」と言えるわけです。
「無理を強いられた過去」という背景
この背景には、きっと幼い頃に、親から無理を強いられたことがあるかもしれません。
親は自分が楽をしたいために、子供に無理を押しつけたとしましょう。
すると子は、「相手に無理をさせていい。むしろ無理をさせるほど、自分の利益になる」と学習するし、「これだけ無理をさせられたんだ、誰かに無理を押しつけなきゃ、やってられない」とも思うようになります。
だから、渋る相手に「どうかお願いします!」と頭を下げて、強引に押しつけようとするわけです。
そして自分よりも立場が弱い相手を見つけると、「幼い頃の損を取り戻そう」と、同じように「押しつけられる相手」に無理をさせると。
特にこれは、自分が親になった時に、自分の子供に向けやすいものです。
だって、子供って「立場的に弱い存在」の象徴のようなものですからね。
こうして、虐待の連鎖と同じ原理で、「無理を強いる連鎖」が生まれてしまうと。
で、もし相手がそれでも断ると、「こんなに必死にお願いしているのに!」と、見当違いな怒りとか、恨みを持ったりしてしまうものです。
相手には相手の事情があるのに、それが見えなくなってしまうと。
そして「自分のお願いがすべてだ」、「強いお願いをすれば、相手はかなえるべきだ」などと思い込んでしまいます。
それは、今までの自分が「強いお願いをされて、断れなかった」から、それを周囲にも押しつけてしまうわけです。
あまり頭を下げない方が、ふんぞり返らなくなる
なので私の中では、「お願いではあまり頭を下げない方が、ふんぞり返らなくなる」と思ってます。
実際にイメージしてみると分かるでしょうが、「これ、お願いできますか?」とお願いして、相手が渋った場合、「ああ、無理なら大丈夫ですよ」とすぐに引くわけです。
すると、「他者にどう押しつけるか」ではなく、「自分がどう他の手段で対処するのか」という、自分の可能性に集中できますからね。
実のところ、「無理なら大丈夫ですよ」と言うには、結構覚悟がいるんですよ。
というのも、「依頼したいのに、引き受けを渋るような相手」というのは、ほとんどの場合で「有能で、クオリティも高く、人気がある人」だからです。
私たちは、そういう有能な人にお願いしたいものですし、そういう人に担ってもらえればクオリティも上がるし、利益になるものです。
でも、それをあっさりと「ああ、忙しいなら、無理をしなくてもいいですよ。こちらは大丈夫ですから」と笑顔で切り捨てるには、勇気がいります。
喜んでくれる人を探し出すと、ふんぞり返る必要はなくなる
すると、どうしても「有能なのに今はまだ無名で、喜んで引き受けてくれる人」を探す必要があります。
で、宝探しをするように探して、そういう人を見つけ出して依頼をすると、相手はもう「依頼してくれてありがとうございます!」とすっごい喜んでくれるものなんですよ。
だって相手からすると、「仕事が欲しい」とずーっと悩んでいた状態なんですから。
そしてそういう感謝を得ると、私たちはふんぞり返る必要がなくなりますよね。
そもそも「ふんぞり返る」というのは、「周囲から感謝されずに自尊心が得られないから、自分を格上のように見せること」を意味します。
そんな中で、もし依頼する相手全員から深い感謝を得られれば、十分に自尊心が満たされます。
だから私たちも素直に周囲に感謝できるし、ふんぞり返る必要もなくなると。
「1つの社会とどう付き合うのか」という態度
言うなればこれは、1つの社会とどう付き合うのか、その態度に影響しそうに思います。
「私はここで必要ですか? 必要ないなら言ってくださいね、すぐに出て行きますから」
周囲に対してそう言えるようになりましょうよ、ということです。
「私をここにいさせてください」なんて頭を下げずに、自然体で「必要かどうか」で判断してもらうと。
もちろん、それを言えるようになるには、覚悟も能力も必要でしょう。
一時的な劣勢とか、貧しさや質素さを受け入れなければならないことも多いでしょう。
でもそうすることで、「自分にできること」に向き合えるし、本当に必要としてくれる人たちを見つけるられる、ということです。
私の中では、「お願いします! 私をどうかここに!」と頭を下げて懇願するよりも、そういう「必要ないなら言ってね」と言える方が好きなので、そういう生き方を選んでいます。
同時に「ここでは自分はもう必要なくなったな」、「自分がいなくても、みんなは大丈夫だな」と分かったら、その場から出て、新天地を目指すようにもしています。
こういうスタイルの方が、すがすがしく生きられるタイプもいるように思ったりもします。
まとめ
そんな風に、お願いでは「必要以上に頭を下げない」というスタイルもいいように思います。
「ああ、無理ならいいですよ」と、あまり頭を下げないわけですね。
そういう「依頼関係では、頭を大きく下げない」というのが、私の中での好みなイメージだったりします。
もちろん、感謝は大いにして、喜ぶと。
これは特に、「誰かに喜んでもらいたい」とか、「意味あることをして生きたい」という人におすすめです。
手間も覚悟も工夫も必要になりますが、それだけの安らぎを得られるので、無理を押しつけるよりもいい環境を作れそうに思います。
すると、相手に無理をさせることもなく、喜んでくれる人に囲まれて、心地よく生きられるかもしれません。
ということで今日は、必要以上に頭を下げない人は、必要以上にふんぞり返らない、というお話でした。
今日はここまで~。