今日は普通に日記です。
自分の欲求をいろんな方向性から満たせれば、一流料亭を必要としなくなる、というお話をしてみましょう。
干しシイタケがおいしかった!
以前に、干しシイタケを買ってみたんですよ。
新しいものをいろいろ試していた時期だったんですが、かごに山盛りで100円で売れ残っていたので、「失敗してもいいや」と試してみたと。
どうでもいいんですが、干しシイタケって、なんだか見た目で手に取りにくいじゃないですか。
「干しシイタケというジャンルがある」と分かっていても、しわしわにちっちゃくなったシイタケって、みずみずしさもないし、おいしそうには見えないわけで(笑
でも実際に使ってみると、これがとてもよかったわけです。
干しシイタケは水で戻して使うんですが、その戻した水がシイタケの香りでいっぱいで、風味があって。
それを煮物のダシとして使うと、もはや「あ、これって一流料亭の味だ」と実感できるような、そんなクオリティです。
いやまぁ、私は一流料亭で煮物を食べたことがないので、想像でしかありませんが(笑
素材そのものは安価
それで思ったのが、「素材そのものは安価なんだな」ということです。
一流料亭とかって、すっごいお金がかかるじゃないですか。
もちろん技術もすごいんでしょうが、技術力以外にも、そこにはいろんなコストが余計にかかっているように思います。
だいたい世の中で言う「一流」というのは、総合的な判断です。
つまり「味」以外にも、いろんなコストがかかっている、ということですね。
「素材がよく、技術もあって、食器も高級で、場所も雰囲気も落ち着けて、サービスもよく、お皿を適宜交換してくれて、スタッフの言葉遣いも姿勢も丁寧で、会計方法も豊富」みたいに、いろんな要素があります。
そしてその上で、「ひとつひとつを、丹念にシェフ自らの手で作りました」とするから、膨大なコストがかかるように思います。
だいたい人件費だけでもすごいですからね。
例えば干しシイタケでも、これを作るのは結構手間暇かかっていると分かります。
時間をかけてシイタケを干して、清潔な容器に保存して、時々取り出して再び乾燥させて維持して、使う時は一晩水で戻して、それでやっと使えるんですから。
「一流の味っぽいもの」だけなら、安価に実現できそう
だから「私は素材と味だけ味わえればいい」という場合、どうでもいい余計なものがいっぱいあるんですよ!(笑
それだけ無駄が多くなって、割高になるように感じます。
すると、「純粋に味だけを楽しみたい。場所とか雰囲気は関係ない」という場合、自分で作る方がだいぶ安価に実現できそうだと分かります。
だって、いい素材は比較的安価に手に入りますからね。
特に日本料理の場合、「シンプルなのがいい」という価値観もあるので、作りやすいようにも思います。
すべてを一流料亭で味わう必要はない
それを考えると、「すべてを一流料亭で味わう必要はない」と分かります。
つまり、分散させて価値を味わうこともできるわけです。
例えば田舎だと、「場所を味わう」というのは楽にできますよね。
風景のいい場所、眺めのいい場所は見つけやすいし、そこでゆったり落ち着けるかもしれません。
なら、「場所のよさ」という欲求は、別途そういう場所で満たせると分かります。
他にも、田舎ならさして競争心も起きないので、「高級な食器」に対する欲求も強く持たないかもしれません。
それよりも、「好きな食器や、使い慣れた食器」の方が、価値があると感じるかもしれません。
また、精神的に落ち着ければ、良質なスタッフから丁寧に接してもらうことも、「さして重要ではない」と感じるかもしれません。
すると、そういう風に自分の欲求をいろんな方向性から満たすことで、一流料亭を必要としなくなることもあるように思います。
「割安なものをうまく集めてきて、残りを自分でうまく組み立てる」という発想ですね。
「割安なものばかりを集めると、クオリティが落ちそう」と感じる場合、「高コストな部分を、他のもので代用する」としてもいいでしょう。
まとめ
私はこういう、「自分の欲求を、いろんな方向性から満たす」という発想が好きだったりします。
すべてを「一流料亭」という高級パッケージで欲求を満たす必要はなくて、「ここではこれを味わえる。これはこっちで」と、いろんな「使えるもの」を見つけてゆくと。
干しシイタケだって、スーパーで干しシイタケを買おうとすると、500~600円ぐらいするものです。
なのに、同量の普通のシイタケだと、200円ぐらいで売っているわけです。
干すだけでそれだけのコスト増になるのなら、「料理が好き。乾燥野菜作りも好き」みたいな人は、低コストで楽しみながら、おいしいものを作れそうだと分かります。
そういう組み合わせの自由さがあると、さしてお金に頼らずとも、豊かさを作れそうにも思ったりもします。
そしてこういうのが、社会から離れて生きる人にとって、いい豊かさ作りになりそうだな、と思ったりもします。
ということで今日は、自分の欲求をいろんな方向性から満たせれば、一流料亭を必要としなくなる、という日記でした。
今日はここまで~。
(余談)干した植物って、漢方薬と同じ感覚になる
干しシイタケを見て感じたんですが、これって漢方薬と同じ感覚で使えるように感じます。
漢方薬って、干した植物とか根っこをよく使うじゃないですか。
よく言われる葛根(かっこん)は草の根っこだし、生姜(しょうきょう)はショウガで、陳皮(ちんぴ)はみかんの皮ですからね。
だから「干した植物や根っこ、皮やキノコ」みたいなものって、結構身近なものだし、健康によかったりするんですよね。
で、漢方薬の香りも好きだったりします。
たまに薬局の漢方薬の香りをかぐと、なんか薬草の香りで「効き目ありそう!」とか感じるんですが(笑
なのでそう考えると「干した植物って、漢方薬として楽しむと、面白そう」と感じるかもしれません。
私の中では、結構そういう「干した植物を健康のために使うと、どうなるんだろう」という研究欲が出てきていたりもします(笑