今日も精神的なお話です。
「別の道を探す習慣をつけると、嫌なことにとらわれにくくなる」というお話です。
「Twitterが苦手でできない」どうすればいい?
ちょっとした質問をいただいたので、ご紹介。
私はツイッターが苦手で、全く出来ません。
ふと目に飛び込んでくる広告や、人の気持ちが溢れた言葉、(中略)刺激が多く、閲覧すらとても出来ないのです。
(そもそもテレビやCM、雑誌や広告も見られないくらい情報の刺激に弱いので……)いつ攻撃的なトラブルにさらされるか、バズったりしてしまわないか、人から過度な注目を集めるのも嫌だったりして、気を揉んでしまいます。
しかし、(中略)ツイッターの利用層にアプローチできることで、人の目に触れ、ファンや(中略)依頼が増えたりすることがあるのかなと思うと、すごく損失をしているような気もしてなりません。
やはり、ツイッターは多少無理をしてでもやった方がいいのでしょうか?
「共感性の高い人」が抱える問題
これ、共感性が高い人なら、すごく分かる内容だと思うんですよ。
いわゆる、「相手の気持ちを感じすぎてしまう」というタイプの人ですね。
そういう場合、Twitterのトレンドとか、絶対に見たくないでしょ(笑
特に「政治」とかついたトレンドを見ようものなら、そこには阿鼻叫喚の地獄が広がっているわけです(笑
だいたいそういう場所には、批判や悲鳴、怒り、憎しみ、哀しみ、奪い合いが怒濤のようにあふれていて、見るだけで気が滅入ってしまうと。
で、普通なら「ツイートはバズる方がいい」とか、「多くの人から注目されたい」、「話題の中心になりたい」という感覚ですよね。
でも、上記のような高共感な性質を持つ人の場合、バズりたくないんですよ。
それは、ちょっとした攻撃的なコメントとか、批判とかがあると、それだけで大きく傷ついてしまうからで。
ある意味、高共感な人とは、そういう「人を傷つけたくない」という思いが強い、優しいタイプの人だと言えるでしょう。
「売れたいけど、広がって欲しくない」という葛藤
そういう人の場合、ビジネスをしたかったり、収益を作りたい時に、問題が出やすいものです。
それが、「売れたいけど、広がって欲しくない」という葛藤です。
「売れたい。できるだけ多くの人に見てもらって、認められたい」という思いと、「でも広がったり売れると、それだけ批判や嫉妬も来るから傷つく。だからできるだけ広がって欲しくない」という葛藤を持つわけです。
そういう現実を前にして、「どうすればいいんだ」と悩んでしまうと。
これはTwitterだけでなく、いろんなものがあるでしょう。
「私は自由に制作を楽しみたい。でも売れるには、やはり新人賞に応募しなくちゃいけないんでしょうか? 出版社に持ち込まなきゃいけないんでしょうか?」
「私は親の影響から逃れたい。でも子としては、やはり親の願いを実現しなくちゃいけないんでしょうか?」
「私は今の会社から出たい。でもみんな我慢していると言うので、私ももっと我慢しなきゃダメなんでしょうか?」
「私は静かに自由に生きたい。でも生きていくにはお金が必要です。やはり就職しなきゃいけないんでしょうか?」
そして無理をしてでも、「多くの人が成功するルート」に従おうとしてしまうんですが。
「無理をした先にある未来」は分かるもの
でも、よくよく考えてみると、「無理をした先にある未来」って、ぼんやりとでも見えるでしょ。
きっと、ぼろぼろになるまで我慢して、それでも周囲と同じようにできなかったり、相手の増え続ける要望に答えきれなくなって。
そして次第に「自分はダメな奴だ」と思うようになって、元気が失われていって、結局心が折れて断念すると。
ひょっとすると、過去でもそういうことを何度も経験したかもしれません。
なので自分に正直になると、「本当は私は、そんなのやりたくない」って感じていると思うんですよ。
「なんでそこまで自分を苦しめてまで、嫌な人や会社、手段や方法論に付き合わなければいけないのか。そこまでして、そういう生き方をしたくない」
「一生そんな生き方をするとか考えると、そんな人生は嫌だ。死にたくなる」
これが本心なんじゃないかと思います。
でも、嫌な人や会社と付き合うと、それだけ「簡単に得られる、目先のメリット」があるから悩むわけです。
それは、お金だったり、住む場所だったり、周囲からの「お前はそうしなければならない」という脅迫もあるかもしれません。
「別の道を探す習慣をつける」という発想
そういう場合、別の道を探す習慣をつける、という発想もいいかなと思います。
よく、人は「これを実現するには、こうするしかない」とか言いますよね。
でも私の場合、そういう「こうするしかない」とか限定的に言われると、条件反射のように「じゃあ他の道を探してみようか」と思うんですよ(笑
で、ほとんどの場合で、他に実現する道はあるわけです。
「こうしなきゃ」は、「狭い世界に世界住んでいるだけ」
すなわち、そういう「こうするしかない」という方法論は、「そう教えている人が、それだけ狭い世界に住んでいるだけ」だということです。
例えば世の中では、「Twitterぐらい使えなきゃ、人に見てもらえない」とか、「今ではSNSを使いこなせないと売れない」とか教えている人がいるじゃないですか。
でも、「すべての成功者は、Twitterを使っている」かというと、明らかに「ノー」ですよね。
それどころか、成功者からすると、むしろ「Twitter? そんなの必要なの?」という人の方が、圧倒的に多いんじゃないかと思うんですが。
これが分かると、「Twitterぐらい使えなきゃダメだ」、「こうしなきゃ成功できない」なんて言う教師は、「住んでいる世界が狭いだけだ」と分かるかと思います。
これはTwitterだけでなく、「作家になるには新人賞に応募しなきゃダメだ」とか、「親の願いを実現できなければ生きている資格はない」、「就職しなきゃお金を得られない」というのも同じです。
世の中を広く認識できるほど、「こうするしかない」なんて言葉は、とても「住む世界が狭いな」と感じるものです。
だって、例外なんて山ほどあるし、むしろ世の中では例外の方が多数派だったりするんですから。
「少し工夫や発想転換が必要」な道を選べるか
なら、「こうするしかない」という方法論は、「その中で、一番メジャーで簡単な方法論であるだけ」だと分かります。
そしてこれが分かれば、他の道を模索できます。
ただし、「そういう他の道は、少し工夫や発想転換が必要ですよ」ということです。
そして、本当に嫌なことを回避できる道ほど、「目先のメリットを失ってもいい。それだけ難しい道に挑もう」と覚悟できるんじゃないかと思います。
それは、本当に嫌なことほど、「自分に素直にいられる」というメリットが勝るからですね。
そして、自分に素直にいられるからこそ、高いエネルギーを持って困難に挑めます。
そういう、「我慢をして目先のメリットを得るけど、長期で生きるエネルギーを失う生き方」ではなく、「目先のメリットを失っても、高いエネルギーで、困難を乗り越えて長期的な利益を得る生き方」を選ぶ、ということです。
難しい道に挑むには、余裕や身軽さが大切
で、難しい道に挑むからには、それだけ余裕や身軽さが必要ですからね。
そのために、生活レベルを落として身軽になったり、あらかじめ余裕を作っておくわけです。
無理に豪華に生きる必要なんて、ないと思うんですよ。
むしろ、「少しの資源があれば、後は自分で作って、工夫で満たせる」というスタイルもあるんですよね。
すると、嫌なことに縛られる量が減ってゆき、工夫で代用品を得られます。
Twitterも代用できる
例えばTwitterでも、私はやらなくてもいいと思うんですよ。
だって、別に自分でやらなくても、感動できるものを作っていれば、ファンがツイートしてくれたり、拡散してくれますから。
人は、いいものを見たり触れたりしたら、他の人にも教えたくなものです。
わざわざ自分が言わなくても、ファンやお客さんが「ねえ、こういうのを発見したよ。すごくよかったから、みんなも見て!」と、喜んでツイートしてくれると。
なら、「クオリティについて研究して確保することで、Twitterをやらずにいられる」と分かって、代用ができると分かります。
「Twitter」の代用が、「ファンの存在」や「クオリティの確保」になるわけですね。
そういう発想ができると、Twitterなんてやらなくても全く問題ないと分かります。
まとめ
なのでそんな風に、別の道を探す習慣を身につけてみるのもいいかと思います。
特に、「こうするしかない」というのは、住む世界が狭いだけかなと。
抜け道はいくらでもあるし、むしろ「遠回りをしている人の方が、競争から抜け出して、笑顔でリラックスして生きられている」ということもよくあります。
確かに、そういう回り道ほど、「成功が保証されている道」ではありませんし、工夫が必要になります。
でも、「我慢してメジャーなルートに居続けること」が、「自分にとって合う生き方」かというと、そうではないことがあって。
すると、「別の道を模索しよう」と覚悟ができるし、自分の本心に正直でいられるかなと思います。
そういう工夫を重視する道もありますよ、ということですね。
ということで今日は、「別の道を探す習慣をつけると、嫌なことにとらわれにくくなる」というお話でした。
今日はここまで~。