ここ最近は価値観についてよく語っていますが、今日もそういう価値観のお話です。

「多彩な価値観が、手段の広さになる」というお話です。

 

いろんな価値観が分かると、目からウロコで面白い

最近の私は、いろんな価値観を知ろうとしていたりします。

世の中は広いので、「そういう価値もあるのか!」と知ると、目からウロコが落ちて新鮮ですからね。

 

例えば最近私がよく言っている、「みかんを皮ごと食べる」でも、今までの私は「甘い実を食べるのが常識。皮は捨てるのが当然」だったわけです。

でも、皮も食べることで、「美容にいいよね」とか、「栄養もあるし、健康にもいいんだよ」、「食べられる部分を増やせるよね」とかメリットがあって。

それとか、「お風呂に入れるといい香り」とか、「ゆずの皮と同じように、細かく切って香り付けするにもいい」とかあったり。

 

すると、今までゴミ扱いしていたものが、急に価値があると分かります

 

「ゴミ」の価値に気づく習慣

そして、そういう経験を何度も味わっていると、次第に「自分や周囲がゴミだと思っていることでも、実は価値があるのかもしれない」と疑えるようになるんですよ。

そりゃもう、何度も常識を覆されたら、疑い深くなりますからね(笑

すると、実際にいろんな「ゴミだと思っていたもの」とか「不幸だと思っていた状態」が、実は「価値があった」と気づけるようになって。

 

そういう経験を繰り返していると、「どんなものでも、どんな状態でも、結構メリットはあるんだな」と気づいてきます。

で、こういう「どんな状態でも、メリットはある」と分かると、それが手段にもなるし、人を許せるようにもなるように思います。

 

「失敗」に対する価値観の例

例えば私たちは、「失敗してはいけない」とかよく思うじゃないですか。

でも、「ゴミだと思っているもの」への価値を疑えるようになると、失敗のような「無駄なもの」に対しても価値を見つけられるようになります

 

例えば、「自分で仮説を立てて行動した失敗は、フィードバックを得られて、学べる」という価値もあると分かるかもしれません。

なら、自発的に行動したい人は、「失敗を繰り返してフィードバックを得ていくことが、長期的な成功につながる」と分かります。

 

すると、「失敗していいやん」と許せるようになりますよね。

致命的な傷さえ避けられれば、短期では少々のロスがあっても、長期ではそれが豊かさをもたらしてくれるんですから。

 

「別の価値観を選ぶ」という手段

実際に、こう言われると、元気が出るタイプの人がいるかと思います。

「少々失敗してもいいよ。少々不幸になってもいいよ」

「少さなロスがあっても、大丈夫だよ。長期で満たされればいいんだから」みたいな。

 

それは、別の価値観を選べるからですね。

「失敗してはいけない。短期の利益が重要である」という価値観から、「失敗してもいい。長期の利益を確保できればいい」という価値観へと、価値観を選べて、移動できたわけです。

 

なら、「価値観を選べる」というのは、一つの戦略だと分かります。

だって、「何を犠牲にして、何を得るのか」を選ぶことを意味するんですから。

 

価値観を固定しているから、手段が得られない

私たちは現状から出る手段や戦略が欲しいわけですが、なかなか出られないものです。

それは多くの場合で、価値観を固定しているからのように思います。

 

例えば「短期の利益が大切で、絶対に短期でロスをしてはいけない」という枠組みの中では、なかなか大胆に動けませんよね。

でも、「短期で少々ロスしてもいい」とできると、だいぶ柔軟に取り組めると分かります。

価値観を選ぶことは、一つの戦略だということです。

 

他者を許せるようになる

で、これが分かると、他者を許せるようにもなります。

だって、「その人は、その人なりの戦略(価値観)を選んでいる」と分かるからですね。

 

例えば相手が高圧的に「こうしろ」と周囲に押しつけることで、人々が離れてゆき、人脈的なロスを得ているとしましょうか。

私たちからすると、「そんな風に高圧的にすると、人が離れていくよ」と、口を出したくなるかもしれません。

 

相手の戦略を考える

でもそれは、相手からすると「人脈を犠牲にして、従順な人からの奉仕を得ている」に過ぎません。

つまり、その人にとっては「人脈は重要でなく、余っているもの」であり、「奉仕されることが足りない」という状態です。

もし人脈が足りていなければ、そんなことはしないんですから。

なら、「それも一つの戦略だよね」と分かって、相手の行動を許せます。

 

私たちは、「すべての人にとって、人脈を大切なものだ。基本的に、余っていないもの」だと、勝手に思い込んでいるに過ぎません。

でも、それは「自分」という特殊な状況でのみ通用する、思い込みなんですよね。

 

そして相手はそれを余らせているんですから、それは十分に一つの戦略だと分かります。

なら、「それでいいか」と許せて、私たちは縁を切るなり、面従腹背をして対応すればいいと分かります。

で、私たちは私たちで、余らせたものをうまく分かち合って、足りないものを補えばいいと。

 

まとめ

そういう価値観の幅広さがあると、どんな状態からでも価値を得られそうに感じます。

価値観というのは、結局のところ「何を犠牲にして、何を得るか」に過ぎません。

 

この「価値観の幅広さ」を得られると、いろんな手段を選べて、柔軟に現状から出られそうに感じたりもします。

 

ということで今日は、「多彩な価値観が、手段の広さになる」というお話でした。

今日はここまで~。

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