今日は、思いっきりスピリチュアルなお話をしてみましょう。
「魂の声を聞く」、というお話です。
「魂が叫ぶ」ことを聞く、という感覚
先日、とあるお方とやりとりしていたんですよ。
で、私が「魂が叫ぶことをやればいい」と伝えたら、そのお方は「魂が叫ぶことなんて分からない」みたいな反応があって。
それでふと、この「魂の声を聞ける」という状態にある人って、結構少ないのかな?と思ったり。
魂が私(我)を導く、という感覚
自発的に行動を起こしているクリエイターさんなら、「魂が叫ぶ」とか「魂が語る」という、この感覚分かるかと思います。
もう「これをしろ!」みたいな感じで、思いっきり体を突き動かしますよね(笑
それとか、自分にとって必要なものを見つけたとき、「これだ!」と叫んだりとか。
ああいう衝動って、まさに「魂が叫ぶ」とか、「魂が語る」って感覚じゃないですか。
で、「自分以外の何かが、自分を突き動かす」みたいな、「導かれる感覚」ですよね。
「魂」と「私(我)」は別のもの
ちなみに、「魂」と「私(=我)」は別のものなんですよ。
というのも、「私(我)」は価値観の体系でできているんですが、魂はその価値観とは全く別のことを言うことがほとんどです。
例えば私の場合、「ゲーム制作をしろ」と魂が語った場合、それまでの私はゲーム制作なんかしたことないわけです。
それまでは、絵とか小説とか、作曲とかプログラムとかをしていたわけで。
だから、「魂」と「私(我)」は違う価値観を持っていると分かります。
何というか、私の中に、私とは別の絶対的な価値観があって、それを魂と呼ぶ、みたいな感覚です。
魂の声に、素直に従う
で、私(我)はその声にただただ従っている、という状態ですね。
よくよく考えると、私はずっと、この魂の声に従ってここまで導かれたような気がします。
「魂の声」が聞けるようになったのは、私が大学に入って、独り暮らしを始めた頃からですね。
魂の声を聞くのは、たいてい一人きりでいる時です。
で、私は魂の声に結構素直なんですよ。
別に魂の声に従えば億万長者になれたわけでもないし、大成功したわけでもないのに、なぜか従ってしまうと。
最近だって、「ただ『在る』という生き方だけでいい」という情報に触れて、私の魂が「これだ!」と叫んだわけです。
今までの私はずっと、「長期計画を立てて、着実に行動する」というのを信条にしてました。
そんな信条を簡単にひっくり返せるぐらい、「魂の声」には従う、みたいな感じです。
それぐらい信頼しているというか、その情熱には逆らえないし、逆らおうともしない、みたいな感覚ですね。
魂の声が、安心をもたらしてくれる
まあ、時々その声が聞こえない時期もあるにはあるんですが(笑
私は過去に2回ぐらい(だいたい半年ぐらい聞こえない状態が)ありましたが、やっぱりそういう時期は焦るわけで(笑
だからある意味、私にとって「最も苦しい状態」というのは、そんな「魂の声が聞こえない状態」じゃないかと思ったりもします。
先日も「一生の中で、今年が一番苦しかった一年かも」と言いましたが、実はこの家に引っ越してきてから、しばらくその声が聞こえなかったんですよね。
でも、最近ようやく聞こえて、「ああ、よかった、こっちでいいんだ」と安心したり。
まとめ
「魂の声」というのは、私にとってはそれぐらい安心できる方向性だったりします。
その声があるから、今まで全く経験がない領域でも、「面白そう」で参入できていたんじゃないかと思います。
今もまさにそうで、新しい方向性に着手しているんですが、さほど恐怖心なく参入できてますからね。
いや、でももう全くの素人状態で、失敗し続けなんですが(笑
それでも、なんとなく「こっちでいいかな」と安心して進めたりもします。
たとえそれが、今まで魂が語っていた方向とは正反対の方向だったとしても、すんなり受け入れられると。
う~ん、分かる人には分かると思うんですが、分からない人にはさっぱり分からない感覚かもしれません(笑
これが分かれば、安心して進める方向が分かるんじゃないかなと思います。
ということで、今日は「魂の声を聞く」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。