ここんとこの私は「波」という考え方にハマっているんですが、今日もそんなお話です。
「落とせば上がる」という波の性質を、もう少し具体的に語ってみることにしましょう。
ブログ更新を決意したのに、初日からダメだった人
Twitterを見ていると、こういう人がいたんですよ。
それは、「今日からブログを書いて、毎日更新するぞ!」と意気込んだのに、その初日から用事が入ってしまって、書けなかったと。
それで落ち込んで、「決意した初日からダメなんて、私って何なんだ……」と、Twitterで泣き笑いでつぶやいていたんですが。
こういうのを見ると、「ああ、こういう場合に波で考えれば、うまくいくのにな」と思ったりもします。
つまり、「現状から出たい」とか「方向性を持って動きたい」という場合、波で考える方がいいように思います。
「状態」よりも「変化」で考えと、ペースを作りやすい
現状から出たい場合、「状態」で考えるよりも、「変化」で考える方が、うまく自分のペースに合わせて動けることが多いように思います。
特に、今までやっていなかったことに挑戦する場合、「変化」に着目する方が、うまく動けるように思います。
例えば「ブログを毎日更新しよう!」と目標を立てても、もし昨日まで全然ブログを書いたことがない場合、いきなり最初からはできないことが多いじゃないですか。
つまり、「状態」をすぐに変えるのは難しいと。
この場合、「ブログを毎日更新している状態を続けよう」とすると、苦しくなって当然ですよね。
逆に、「変化」に着目すれば、ペースを作りやすくなると分かります。
「昨日はブログは3行しか書けなかったけど、今日は5行は書けた」と分かると、変化が見えて嬉しくなるものです。
「ネガティブな波に合わせる」とは
ただ問題なのは、ポジティブな上昇波ではなく、ネガティブな下落波も必ず来ることですよね。
例えばブログでも、最初は順調に書けていても、ある時を境に急に書けなくなるんですよ。
「1週間前は100行書けたのに、昨日は50行しか書けなかった。今日は30行だけにまで落ちてしまった」みたいな。
そして波で重要なのが、「ネガティブな側も、重要な手段ですよ」ということです。
そして、そのネガティブな波に合わせて生きましょうよ、ということです。
例えば「ブログを書く(アウトプットする)」ということをポジティブ側だとすると、ネガティブ側はその反対のものになるでしょう。
ブログを休んだり、遊びに出たり、インプットをすることがあるかもしれません。
ブログシステムを改善したり、他の用件を片付けたり、別の趣味にのめり込んだり、いろいろあるでしょう。
「ネガティブな波」は悪いことではない
そういう波に合わせる、ということですね。
するとすっきりして、ネタが出てきたりして、また書けるようになったりすると。
もしくは、例えば動画配信や音声配信と出会うことで、「ブログよりも、しゃべる方が得意かも」と気づいて、別の波に乗り換えられるかもしれません。
なら、ネガティブな波だからといって、それが悪いことではないと分かります。
だって、「ブログを書く」という活動に対して、「休んだり、インプットをしたり、別の趣味をすること」は、悪いことではないからですね。
むしろ、それで新たなネタが得られることも多いし、ブログを書き続けるためには必要なライフサイクルだと分かります。
ネガティブが飛躍を作る
「波」の根底には「陰と陽」という概念があるんですが、その「陰と陽」で考えると分かりやすいでしょう。
ポジティブ(陽)とネガティブ(陰)があったとしても、「何がポジティブで、何がネガティブなのかは分からない」ということです。
例えば「ブログを書くこと」に対して、「休むこと、インプットをすること、別の趣味をすること」は、明らかにネガティブです。
でも、そのネガティブがあることで、「ブログを書くこと」というポジティブな波をより飛躍できると分かります。
以前も触れたように、「落とせば上がる」ということですね。
初日から落ち込めばいい
だから、「ブログを毎日更新するぞ!」と思って、初日からできなくて落ち込んだ場合、ネガティブ側の波が来ていると分かります。
なら、それに合わせて思い切り落ち込めばいいんですよ。
だいたい初日からダメだったら、もう失うものなんてないじゃないですか(笑
なら、落ち込みを十分に味わい尽くしたら、「ブログは失敗してもいい」とできて、一気に「書けるだけ書いてみよう」とポジティブな上昇波を作れます。
すると、ぽんと波に乗れて、ふわっと上昇するわけですね。
で、ペースよく書いていたら、次第に書けなくなってくるので、その時は「ネガティブ側に振ればいい」と分かります。
なら、調子よく書けるピークが来たぐらいから、少しずつ休んだりネタ集めを重視して「あえてネガティブ側に落とす」をできます。
すると、そのネガティブが十分なネタを与えてくれて、またぽんと上昇できると。
引っ越しをする場合のネガティブ
他の例で言うと、例えば「遠くに引っ越しをしよう」という目的を持つ場合、ネガティブ側は「今の場を再び味わうこと」になるかもしれません。
普通は、「引っ越しをしたい」のに「今の場を味わう」なんて、バカげたことだし愚かなことだと思うものです。
でも、「1ヶ月後には、私はもうここにはいない」と引っ越しの日取りがすでに決まっている場合、「今の場所を十分に味わっておこう」とできますよね。
すると、別れを惜しむかのように、今まで味わったものを再び味わえます。
それは、「遠くに引っ越しをする」という、新鮮だったり、未知への興奮だとかとは、正反対のものです。
別れの感情だったり、さみしさ、切なさ、そういうネガティブな感情を味わうことになるでしょう。
ネガティブ側が勢いを作る
だけど、それが「遠くに引っ越しをする」ことに対して、悪いことかというと、そうではありませんよね。
だって、そういう別れやさみしさを抱えるのも、変化には必要なことなんですから。
そして十分に別れのさみしさを味わい尽くすと、「さあ、行こう。新たな世界へ」と、ぽんとポジティブな波に乗れるわけです。
逆に、そういう別れをできないほど、「別れちゃいけない。ネガティブはダメ」となって、動けなくなると。
ネガティブも、目的を実現するための手段
なのである意味、「ネガティブになっちゃダメ」と思うから、ポジティブな上昇を作れないわけです。
「落ちちゃダメ」と思うと、怖くなりますよね。
そして、ほとんどのものには上昇の時期があれば、下落の時期もあります。
すると、ネガティブ側が必要な時期が来ても、「頑張らなきゃ」とか、「負けちゃだめ」、「自己肯定感を上げなきゃ」とか思って、「ポジティブ側の活動を続けよう」としまうと。
この全体像が見えると、それは根底の部分から勘違いしていると分かります。
一言で言うと、「なんでネガティブ側はダメなの?」ということです。
きっとそこには、親や周囲から「こうしなきゃダメ」と言われて、「ネガティブ側に振れることを許されなかった」という劣等感や過去の傷があるからかもしれません。
だから、ポジティブもネガティブも、目的を実現するための手段だということです。
この「ネガティブはダメ」という常識を、疑えるかどうかじゃないかと思います。
まとめ
こういう波の性質を一言で表すと、「落とせば上がる」ということですね。
ネガティブになっていいし、ブログを書こうとした初日から、ネガティブで落ち込んでいい、ということです。
だいたい、「用件が入ってブログを書けなくなる」ということは、「精算しておく必要のあるものが残っている」ということです。
なら、「ブログを書こうと決意した初日に、精算しなきゃいけないものに向き合い、片付ける。そうすることで、ブログに集中できるようになる」と考えると、それはとても自然なことだと分かります。
言うなればそれは、「ブログを書いてゆく」という方向性に対して、ポジティブな波から入るか、ネガティブな波から入るかの違いでしかありません。
「卵が先か、ニワトリが先か」、「出会いが先か、別れが先か」みたいなものと同じです。
ネガティブに見える活動は、それをするほど「目指すことから離れてゆく」と感じるでしょう。
あたかも逆風や逆流のように、自分の足を引っ張って、望む方向から引きずり落とされるような感覚を得るかもしれません。
だけど、それは「ネガティブになっちゃいけない」という思い込みが、「落ちると二度と上がれない」という恐怖を生んでいるだけです。
そして「ネガティブはダメ」とあがくから、上昇が生まれなくなって、結果としてダメになると。
ブログを書きたい場合、「ブログを書くことはいいけど、ブログを書くための雑用の精算とか、環境を整えることはダメ」とするから、書けないわけです。
そうではなくて、例えば波だったり、サイクルで考えるのもいいでしょう。
「ブログを書いて、楽しんで、心地よく疲れて、休んで、他のことに触れて、新たなネタを得て、また書いて……」みたいな波やサイクルの感覚があると、だいぶ変わりますよね。
そしてその中でも、さらに大きな波をとらえられるかもしれません。
「今は出す大波が来ている」とか、「今は他のことに触れる大波が来ている」と分かると、もっと必要なことができるでしょう。
するとうまく波に乗れて、望む方向に進みやすくなるかもしれません。
ということで今日は、「落とせば上がる」という波の性質を、もう少し具体的に語ってみました。
今日はここまで~。