今日は、世の中の仕組みについてのお話です。

「なぜ政治家は、科学的根拠を重視しないのか」ということで、私なりに説明してみることにしましょう。

 

「世の中は、意外とよくできている」と感じること

最近の私は、「世の中の仕組み」に興味を持って見ているんですよ。

で、仕組みを知れば知るほど、「世の中って、よくできているな」と感じることが多かったりします。

 

その中の一つに、「世の中は、価値観の違いでできている」ということがあります。

以前も触れましたが、私の中では「正しい、間違っている」とか「賢い、愚か」ではなくて、ただ単純に「価値観の違いでしかない」ということです。

 

なぜ政治家は、科学的根拠を重視しないのか

例えばSNSでも、「政治家は科学的根拠に耳を貸さない」みたいなことがあるじゃないですか。

コロナウィルスの時でも、いろいろありましたよね。

他にも、いろんな合理的な解決方法があるのに、それを無視して突っ走ったりしていて。

 

私たちからすると、科学的根拠とか、合理性に耳を貸さない政治家たちは、ただのアホのように感じるじゃないですか。

でも世の中の仕組みを知れば知るほど、「正しいとか間違っているなんてなくて、価値観の違いでしかない」と感じるようになりました。

 

なので今日は、そんな「なぜ政治家は、科学的根拠を重視しないのか」を今の私なりに語ってみましょう。

で、これが分かると「彼らは彼らの価値観で生きている。自分は自分の価値観で生きよう」とできて、より自由に生きられるかもしれません。

 

政治家は「政治の論理」で動いている

じゃあ、なぜ政治家は、科学的根拠に耳を貸さないのか。

この結論は単純で、政治家は「政治の論理(価値観)」で動いているからですね。

言い換えると、政治家は「科学者の論理」で動いているわけではない、ということです。

 

じゃあ政治の論理とは何かというと、「より多くの人が納得する道」だろうと思います。

つまり、「より多くの人が納得することの方が大切。科学的な正しさや根拠は二の次」だと言えます。

 

一方で科学者の論理とは何かというと、「科学的に正しいこと、根拠があること」でしょう。

つまり、「科学的な正しさや根拠があることが大切。より多くの人が納得することは、二の次」だと言えます。

 

ただ単純に、価値観の違いでしかない

なら、これってただ単純に、価値観の違いでしかないですよね。

単純でしょ(笑

 

よく、「政治家は選挙と票数にしか興味ない」とか言われますが、それは当然だと分かります。

そもそも民主主義である場合、政治家は支持者がいることで、その支持者の代表として議論の場に出ているわけです。

だから彼らにとって票数は大切だし、選挙と票数こそが「みんなが納得する道」、つまり政治の論理そのものですし、政治家の存在意義でもあると。

そして、だから政治家たちは、できるだけ支持者が納得できるように、調整してゆくわけです。

 

もちろん政治では「少数意見にも耳を傾けよう」という原則はあるんですよ。

おそらく、経験則ではその方が「全体が間違っていることもあるから、少数の専門家にも耳を傾ける方がいい」と分かっているんだろうと思います。

ただ、それでも基本は「支持者が納得すること前提で、少数意見を聞く」であって、すなわち「選挙と票数のため」だということです。

 

「すべてをよくする政策」なんてものはない

そして以前も触れましたが、政策というのは、基本的に「どの層を優遇して、どの層を不遇にするか」という「優遇層の優先順位付け」を決めているに過ぎません

「日本全体をよくすること」なんてものはなくて、「どれを大切にして、どれを見捨てるか」を調整しているに過ぎない、ということです。

「短期重視か、長期重視か」、「高齢者層を優遇か、若年層を優遇か」、「投資家を優遇か、労働者を優遇か」みたいな、価値観の違いで決めているに過ぎません。

 

裏を返すと、「なぜ政治家は、科学的根拠を重視しないんだ!」と怒っている科学者は、この「政治家は政治の論理で動いている」という原則が理解できていないように感じます。

彼ら科学者は、「科学者の論理」で政治を語っているのであって、「政治の論理」で政治を語っているのではないと。

だから政治を変えられないし、徒労に終わることが多いように感じます。

 

相手を知ること

言うなればこれは、敵国を知らずに、戦争に突入するようなものです。

相手の思考や論理、背景、状態、そういうものを知らずに「俺たちがこうしたいから、俺たちが正しいから」で戦いを始めると、痛い目を見ることが多いですよね。

 

特に、相手の社会的力が強い場合、相手に反発することは、徒労に終わったり、むしろ反撃を受けて大ダメージを受けることも多いわけです。

実際に、例えば「アメリカの国力や状態を知らずに、アメリカと対立して戦争に突入する」とか、危険でしょ。

なので、もし「政治家を動かしたくて、言っても政治が動かない」という場合、政治の論理を知る方が、私の中では効率的だし、合理的なように感じます。

 

それに私の中では、相手の価値観を知る方が、たとえ自分の思い通りにできなかったとしても、自分の中で納得できることが多いんですよ。

それは、「彼らは別の価値観を重視しているからだ」と分かれば、自分とは違う生き方が分かるし、相手を許せるからですね。

 

まとめ

こういう「相手の価値観」が分かると、世の中は意外と納得できることばかりになってきます。

例えば「見え透いた嘘ばかりをついて、何もせずに、ごまかして自分を正当化してばかりの人」って、筋がなくて、いい加減な人に見えるじゃないですか。

でも、そういう人も、「ごく短期で、自分の保身や安定を重視する」という筋を通しているわけです。

 

つまり、すべての人は、その人なりの価値観に従って、筋を通していて、使命感を持って生きている、ということです。

長期か短期か、何を重視するか、その価値観の違いでしかないと。

 

これが分かると、「すべての人は、自分の価値観で生きている。なら、私も自分の価値観で生きようとすればいい」と分かるかと思います。

すると、より自由になれて、自分なりに生きられるかもしれません。

 

ということで今日は、「なぜ政治家は、科学的根拠を重視しないのか」ということで、私なりに説明してみました。

今日はここまで~。

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