今日も勢いよく、精神的なお話です。

「つい未来を考えちゃう」タイプの人は、人生哲学を持てると強い、というお話をしてみましょう。

 

変化を嘆くか、受け入れるか

ここんとこずっとネタにしていますが、少し前から肝臓に問題を抱えていて、今は回復中だったりします。

私はおそらく、元々肝臓が弱いタイプなんだと思うんですよ。

で、なおかつ季節の変わり目は肝臓に負担がかかりやすい上に、今年は「春が一気に暖かくなったのに、5月から梅雨に入って、冷える日が続いた」という、少し変な気候だったと。

肝臓は体温調節も担うので、そういう変な天候がさらに加わって、今年は一気に肝臓に負担がかかったんだろうと思います。

私の中では、アレルギー持ちの人とか、冷え性持ちの人は、肝臓が元々弱い人が多いんじゃないかと推測したりもするんですが。

 

で、ふと気づいたんですが、例えば世の中でも、何か変化があったら「嘆くばかりの人」っていますよね

Twitterでも見ると、健康を害した人だけでなく、今回のコロナウイルスでもその影響でも、山ほどそういうメッセージはあるものです。

そして、「本当なら今頃は」みたいに、存在しない過去や、期待を奪われたことに嘆いてばかりで、変化に対応しようとしないんですが。

 

「本当なら今頃は」は、架空の世界の話

ここで少し、「本当なら今頃は」という言葉について、考えてみることにしましょう。

冷静に考えると、現実では、そういう「本当なら今頃は」という世界は「本当」ではなく、架空の世界の話ですよね。

だって、現実はそうではないんですから。

 

なのに、その人の中では、そういう「架空の世界」が「本当」なわけです。

現実と虚構が、その人の頭の中で、反対になっちゃっていると。

だから、嘆いてばかりになるし、現実的な対応ができなくて当然になってしまうように思います。

 

でも今回の私の場合、結構現状を受け入れられているし、むしろ療養生活を楽しんでいる自分がいたりするんですよ。

そして私自身、ふと気づくと、「本当なら今頃は」という言葉は、あまり使わないように思います。

言うなれば、私は現状や変化を受け入れやすいタイプなのかな、と思ったりもします。

 

「つい未来を考えちゃう」タイプの人は、人生哲学を持てると変化に強くなる

このブログを見ている人でも多いと思いますが、「つい未来を考えちゃう」ってタイプの人、いると思うんですよ。

ある意味、「今がいい方が幸せ」というよりも、「たとえ今は悪くても、未来がよくなる方が幸せ」というタイプです。

休日そのものよりも、休日や連休の前日の方が、希望やエネルギーにあふれているタイプですね(笑

 

で、そういう「つい未来を考えちゃう」タイプの人は、人生哲学を持てると、変化に強くなるように感じます。

すなわち、人生レベルで考える習慣があると、「本当なら今頃は」とかあまり言わずに、変化を受け入れやすくなるように感じます。

それは、人生レベルで目の前の出来事を判断できるからですね。

 

人生レベルで考えると、後悔ない決断をしやすくなる

人生レベルで考えると、後悔のない決断をしやすくなるように思います。

まぁだいたいにおいて、「短期で得をすることは、長期では損になりやすい」、「長期で特をすることは、短期では損になりやすい」ってことがありますよね。

なら、人生レベルで考える人ほど、「長期でよくなるなら、目先の損を選ぼう」とできるわけです。

 

だから、実際に未来をどんどんよくできるし、それでもエネルギーを失わずに、希望を持って前進してゆけると。

たとえダメでも、「やってよかった」と後悔がなくなるので、少なくとも不幸にはならないわけです。

 

短期を拒絶して、長期ばかりで動く方がいいのか

とはいえ、「なら短期をすべて拒絶して、長期ばかりで動く方がいいのか」というと、そうでもありませんよね。

だって、「目先の欲求をすべて我慢することが、長期的にいい」とは限らないわけで。

 

例えば、睡眠とか、休養とか、そういう休むことをせずに活動していると、身体を壊して動けなくなるでしょう。

それとか、自分のためにお金や時間を使うことを無視して、「長期でよくなるから」と我慢してばかりだと、エネルギーが失われやすいものです。

それは、「結局何のために生きているんだろう?」って感じてしまうからですね。

「未来のために我慢をして、大金を蓄えられた。なのに結局、自分のために何も使わずに死んでしまった」とかなったら、本末転倒で目も当てられないと(笑

 

陰陽で考えると、変化にも対応しやすくなる

で、人生哲学の一つに、「陰陽」という考え方があります。

最近の私は、この「陰陽」という概念が好みなんですが、この陰陽で考えると、現実を受け入れやすくなるし、変化にも対応しやすくなるように感じます。

陰陽というのは、「どちらがいいでもなく、悪いでもなく、どちらも大切ですよ。そして、陰にも陽は含まれるし、陽にも陰の要素が含まれる。どっちがどっちとは言いにくいよ」ということですね。

 

例えば睡眠とか休養、自分のために楽しむことは、「生産性があるか」という軸で見ると、明らかに「ノー」ですよね。

すなわち、「生産性」という軸においては、睡眠や休養、自分のための楽しみは、「陰」だと言えます。

 

でも、そういう睡眠とか休養、自分のためを味わうことで、エネルギーが出ることもあるわけです。

なら、「エネルギーが出るなら、陽の性質もあるんじゃないの?」と分かります。

 

だから、陰の中にも陽の性質があって、どっちがどっちかは分からなくなると。

そして、そういう「ぱっと見は陰だけど、陽も含む。陰なのか、陽なのか、はっきり言えないし、分からない」でいい、ということです。

ごっちゃでいいですよ、明快に区切れなくていいですよ、ということです。

だって、睡眠も、自分のために楽しみを味わうことでも、エネルギーが出るんですから。

 

「いい、悪い」が、はっきりと分からない心地よさ

で、そういう「世の中で起こることって、どっちが陰か、どっちが陽か、分からないものだよね」と分かると、「いい、悪い」をはっきりと言えなくなります。

睡眠はいいことなのか、自分のために味わうことはいいことなのか、生産性を高めることは本当にいいことなのか、はっきり言えませんよね。

だって、陰の中にも陽はあるし、陽の中にも陰はあるので、「いいことになることもあるし、逆効果になる場合もあるよな」と分かるからで。

 

実は、そういう「いい、悪い」がはっきりと分からないという方が、安心できるし、心地よくなることがあるわけです。

特に、「未来をつい考えちゃう」タイプの人ほど、はっきり分からない上で、陰陽の哲学があると、自分なりに生きやすくなるように感じます。

 

健康問題を抱えても、それがいいこと作ることもある

例えば私のように、今回肝臓に問題を抱えても、それが一概に「悪いことだ」とは言えないと分かります。

実のところ、私にとっては、長期的にはいいことだらけだったんですよ。

 

まずはアレルギーの原因が分かったので、乳製品を恐れなくなりました。

私は少し前に乳アレルギーと判明してから、ずっと乳製品を遠ざけていたんですよ。

でも私は、バター風味やチーズも好きだし、ピザ風味とか大好きなわけです(笑

 

なので、「私の場合、アレルギーは肝臓が弱った場合に起きる。だから肝臓が大丈夫な時は、乳製品を食べても問題ない」と、長年の「乳製品を食べても問題ない時期がある謎」が解けたと。

こうして、乳製品への恐れを手放せて、安心して食べられるようになりました。

いやまぁ、だからといって、牛乳や生クリームをがぶ飲みしようとは思いませんが(笑

 

だから、嘆くことなく、現実を受け入れやすくなる

そして、今まで季節の変わり目に不調になる原因が分かったし、対策もできるようになって。

すると、「いつまた、あの体調が悪くなる時期が来るかもしれない」という恐れが消えて。

 

それだけでなく、「療養中」という大義名分の下で、おおっぴらに「何も生産性のあることをせずに、生きる」ということができました(笑

すると、「あ、別に何も生産性のあることをしなくても、生きていていいんだ」と分かったというか。

今までは「意味を作らなきゃいけない、何かを作らなきゃ、価値がない命だ」と思っていたのが、それを手放せたわけです。

「遊んで暮らせたり、気楽に暮らせるなら、それはそれでいいよね。その上で、誰かに喜んでもらえれば、最高じゃない」みたいな軽いノリです(笑

 

なら、「今回数ヶ月かけて苦しんだことでも、長期的には悪くないことだった」と分かります。

だから、嘆くこともしないし、現実を受け入れやすくなるんだと。

 

「つい未来を考えちゃう」+「哲学」で、変化に対応しやすくなる

「つい未来を考えちゃう」タイプの人ほど、そういう「哲学」を加えると、現実を受け入れて、変化に対応しやすくなるかと思います。

それは、「いい未来、悪い未来」とは一概に言えなくなるので、どんな未来でも対応できるようになるからですね。

 

ある意味、「いい未来になる方が素晴らしい」ではなく、「『いい未来』なんてない。だって、何がいいとは言い切れないから。だからどんな未来が訪れても、自分なりに生きる方が素晴らしい」になると。

なら、自分なりの判断で行動できます。

時に、それはお金の問題だとか、健康の問題を生むかもしれませんが、それでも「いい悪い」を中立にして生きる、そういう生き方です。

で、自分の決断に応じて未来が変化しますが、その変化に対応して生きる、ということですね。

 

すなわち、現実を受け入れて、対応してゆくと。

そしてその「現実」は、どんどん自分が選んでいい、ということです。

 

一方で、未来を考えられない人、すなわち「今まで生きてきたようにしか生きられない人」ほど、変化に対応できません。

だから、健康を害したとしても、今回のコロナウイルスでも、嘆きばかりになってしまうんだと。

そして、「本当なら今頃は」と、架空の世界を生きる住人になってしまうわけです。

 

まとめ

そんな風に、人生レベルで「つい未来を考えちゃう」という人ほど、それを武器にできるんですよね。

「今を生きよう」というのは、確かに悩みを追い出せるかもしれませんが、それは「未来を考えられない人」の手段です。

「未来をつい考えちゃう人」は、哲学を持つことで、悩みを追い出せると分かります。

いや、陰陽という手段で言うと、「悩みですら、悪いこととは言えない」と分かって、受け入れやすくなると。

 

そのために、「つい未来を考えちゃう」という人ほど、人生哲学を導入するといいかなと思います。

私が最近はまっているのは、陰陽という概念ですね。

特に、変化のある時期だったり、人生で変化を作っている人ほど、こういう陰陽という考え方がよさそうに感じます。

それは、陰陽で考えることで、「いい未来、悪い未来」を手放せて、「いいとも悪いとも言えない。その中から、自分に合う手段を選ぶ」と、発想を切り替えられるからで。

 

すると、より自分の価値観で判断できるし、短期的にも、長期的にも心地よく生きられるように感じます。

そういうのも、一つの発想かなと思ったりもします。

 

ということで今日は、「つい未来を考えちゃう」タイプの人は、人生哲学を持てると強い、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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