今日はお休み日記です。

 

今までしんどかったのが、ふいに心地よくなる瞬間

いつものことながら、昨日にトレーニングをしすぎて、今日はまったり休養日です(笑

でも、トレーニングとか身体を動かしていると、最初は多少しんどくても、ある段階から「心地よくなる瞬間」がありますよね

例えばウォーキングでも、10~15分ぐらい歩いていると、それまではしんどかったのが、急に心地よくなったり。

きっと、身体の筋肉がウォーミングアップを終えて、運動モードに入ったらそうなるんだろうと思うんですが。

 

で、実はそういう心地よい状態が、筋肉の部位別にあるんですよ(笑

だから、まずは室内フィットネス系の運動をして心地よくなって、少し休憩すると自転車で出て、ウォーキングしたり、山に登る(正確には坂道を歩く)わけです。

すると、フィットネス系の運動でハイになって、自転車でも心地よくなって、ウォーキングや軽い山登りでも快感になると。

 

疲れと回復も心地よい

そうやって全身の運動をすると気持ちいいんですが、翌日はもう筋肉疲労でずっと眠たい、みたいな(笑

でも、そういう筋肉の疲れと回復も、心地いいんですよ。

何というか、「身体が回復している。より元気になってきている」と分かって、昼寝をすることも心地よくて。

惰眠とは違う、「回復するための睡眠」って、とても身体的に気持ちいいことなんですよね。

 

だから、動いて気持ちよくて、寝ても気持ちよくて、もちろん食べてもおいしくて、そうやって回復スパイラルを回せるわけです。

「元気になる」ってのは、たぶんそういう「ずっと気持ちいい」をうまく回していくことかなと思ったりもします。

 

身体は何をすれば元気になるのか、知っている

以前も触れましたが、身体は「こういうのをすると、元気になる」という要素を知っていると思うんですよ。

だから、心地よい運動をして、心地よく休んで、おいしい食事を味わって、心地よさの連続でいいんだと。

逆に、身体が苦しくなるまでやっても逆効果だし、例えば惰眠も苦痛ですからね。

まぁ、人によってはそういう我慢と苦行でも進めるのかもしれませんが、私は「心地よさの連続で元気になる方がいいな」と思ったりもします。

 

人生でも同じで、「私はこういう生き方をする方が、元気になる」という要素は、身体や心が分かっているように感じます。

無理に、周囲の「こう生きる方が、人は幸せになれる」に合わせる必要はないんだと。

特に個性の強い人とか、自分軸を持つ人は、そういう「自分の身体や心が分かっている」ということが多いように感じます。

 

身体や心の声を聞く、ということ

だから、そういう「自分の身体や心に聞く」という習慣とか、その身体や心の声を感じる感度、そしてそういう声を受け取る素直さが、大切になりそうに思ったり。

特に、「自分の身体や心の声を、大切にする。素直に受け取ってあげる」ということができると、こじれもなくなって、素直に自分を満たせそうに思います。

 

いやまぁ、「自分の声に反してでも、こうしなきゃ生きられない」というしがらみは、結構あるんですけどね(笑

その上、健康とかはとても原始的なので単純ですが、社会での駆け引きは、だいぶ高度だし、簡単に「内面の声だけに従えばうまくいく」というわけでもなくて。

周囲の思惑や動きがある以上、「ここは我慢していったん退く方が、後々のためになる」みたいな、そういう戦略的なものは確かにあるものです。

 

でも、実は自分軸が強くて、社会を変えることに興味がない人ほど、「実はそんな駆け引きをしなくても、結構大丈夫だった」と分かることが多くて。

だって、社会から距離を取っても生きられるタイプの人は、社会の駆け引きにどっぷりつからなくても生きてゆけるからですね。

ま、これについては、また近いうちにお話ししましょう。

 

まとめ

そんな感じで、トレーニングしつつ、回復中です。

体力的には、以前の70%ぐらいまでは戻ってきたような実感があります。

 

ってことで、今日はトレーニング日記でした。

今日はここまで~。

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