今日は、雑談的なお話です。

「お金を与える側になってみると、どういう人にお金が集まるのかが分かるようになる」というお話をしてみましょう。

 

お金が集まりやすい人と、そうでない人

「お金が欲しい!」という人って、多いと思うんですよ。

いやまぁ、もちろん私もそうなんですが(笑

 

ただ、世の中には、お金が集まりやすい人と、そうでない人というのがいるように感じます。

いわゆる、人からの支援を受けやすい人と、誰からも助けられない人ですね。

 

与える側になると、「お金に好かれる人」が分かる

じゃあなぜそういう違いが出るのかは、実際にお金を与える側になってみると分かるように感じます。

例えば私たちが、お金を少し余らせているとしましょうか。

別に何億円も余らせる必要はなくて、1万円でも、1000円でも大丈夫です。

で、「私はそれなりに十分にあるから、このお金を誰かに分かち合おう」とするとします。

 

なら、どういう人に、その1万円なり1000円を与えるか、ということですよね。

これ、寄付をしようとしたことがある人なら分かると思うんですが、それなりに悩むかと思います。

だって、余らせたものだとはいえ、それなりに価値があるものじゃないですか。

 

だから、「できればこのお金で、喜んでくれる人に与えたいな」って思いますよね。

すなわち、お金を与える場合でも、「自分の持つ豊かさを与えることで、できるだけ相手が喜んでくれる人にあげたい」と、選ぶようになるわけです。

 

「喜び」を作りたいから与える

すると、やはり小さくても希望や夢を持っている人に、その豊かさを分かち合いたくなるものなんですよ。

すなわち、喜びを作りたいから与えるんだと。

例えば「私はもっと絵を描きたい。これだけのお金があれば、今よりももっといいこういうタブレットなり画材を買える。だからお金が欲しい」という人がいたとしましょうか。

なら、「そういう人に与えると、だいぶ喜んでもらえそうだ」と分かります。

 

それとか、毎日をいろんな趣味で楽しんでいる人がいたとしましょうか。

だけど、お金が足りなくて、工夫せざるを得なかったり、なんとか対応しているわけです。

なら、「お金を与えると、もっと自由に楽しんでもらえそう」と分かって、そういう人に与えると「喜んでもらえそう」だと分かります。

 

お金を使いたくない相手とは?

一方で、例えば暴力団の人員とか、殺人鬼がいたとしましょうか。

そういう人にお金を与えると、なんか危なそうですよね。

人を傷つけることとか、殺すことにお金を使いそうで。

 

それとか、毎日を恨み言ばかり言っている人とか、周囲を批判するだけで、自分は何も動こうとしない人がいたとしましょう。

すると、そういう人にお金を与えると、「恨み言を言うこと」とか、「自分の我欲のために周囲を操ること」にお金を使いそうだと分かります。

 

なら、「お金を与えることが、相手の喜びになるかな?」と考えると、なんだか喜びにはなりそうにないですよね。

すなわち、「お金が恨みや我欲を増大させる」と分かるからです。

まぁそこまで言わなくとも、「夢や希望を持つ人に与える方が、素直に喜んでくれそうだ」と分かります。

 

「お金は、喜んでいる人に集まる」法則

なら、とてもシンプルに、「お金は、喜んでいる人に集まりそうだ」と分かります。

 

まぁ、より正確に言うと、「お金は、与える側と同じ感性を持つ人の元に集まる」と言えるでしょう。

与える側が「世の中に喜びを作りたいな」と思っていれば、喜びを作ろうとしている人を支援すると。

一方で与える側が、「世の中に、復讐や不幸をもたらしたい」と思っていれば、同じように復讐や不幸を作ろうとしている人を支援すると。

だから、恨みやねたみでも、お金が集まることもあります。

 

ただ、今の世の中では、お金持ちになりやすいのは「人に喜んで欲しい」、「喜びを作りたい」というタイプだろうな、と思います。

それは、お金は「お金以外の価値」と交換する手段だからですね。

「お金以外の価値」を相手に提供すればするほど、お金が入ってくるわけです。

もちろん封建社会のように、武力で支配する方が豊かさを得られた時代もあるんですが。

でも今は、武力よりも価値作りが、入ってくるお金の量を決めますからね。

 

素直に喜び、感謝して、楽しむ人に、豊かさが集まる

なら、やはり「お金は、喜んでいる人に集まりそうだ」と感じます。

これはお金だけでなく、応援とか支援、ファンなども含みます。

素直に喜び、感謝して、楽しんで、それがより豊かさを引きつけると。

 

言い換えると、恨み言とか復讐心とか、そういうのは「こじれている」と言えるでしょう。

本当は素直に喜んだり、感謝したり、楽しみたいのに、変な学習があることで、素直に出せない状態になっていると。

なので、「自分の正しさを証明するため」に理論武装したり、気に入らない相手を論破したりするわけです。

 

そしてそういう武装や攻撃は、豊かさを引きつけるのには、あまり効果はないように感じます。

もちろんそれでも支援は得られるんですが、それは武装や暴力を尊ぶ支援者からしか得られないからですね。

 

まぁどっちでもいいんですが、どういう人に応援されて、自分がどういう生き方をしたいのか、ということです。

私の場合、喜んで、楽しんで、そしてファンからも喜びを得られる方が好みだな、と思ったりもします。

 

まとめ

なのでそういう風に、お金を与える側の立場で考えてみると、どういう人がお金を得やすいのかが分かるように感じます。

ある意味、「ブログを1000記事書くぞ!」とか「動画を1000本公開するぞ!」と目くじらを立てている人よりも、楽しく作っている人の方が、応援されやすいように感じます。

これは、お金だけでなく、支援とかファンとかも同じです。

 

ある意味、価値なんて無理に作らなくてもいいように感じます。

「これがこうよかった。これがこう味わえた。これがこう感激した。これがこう楽しめた」

そういう喜びをうまく表現しているだけでも、人は応援されやすいように感じます。

実際、「価値を提供する人」だけでなく、「価値を味わう人」も、同じように応援されますからね。

 

なら、「楽しく味わって、応援される」という道もあると分かって、新たな可能性が見えるかもしれません。

 

ということで今日は、「お金を与える側になってみると、どういう人にお金が集まるのかが分かるようになる」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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