今日はちょっと、作家向けの専門的なお話です。

世界観における、「直喩(シミリー)」と「暗喩(メタファー)」について、説明してみましょう。

 

「インサイド・ヘッド」の世界観

ディズニーアニメの新作予告編ができたようなので、ちょっと見てみたんですよ。

ディズニー・ピクサー新作アニメ映画「インサイド・ヘッド」(映画ナタリー)

この物語では、世界観として「心の中」が描かれることになります。

ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリという5人の性格が、主人公となる少女を動かしていく……という世界観になるんですが。

 

ぱっと見た時、「へえ、心理学っぽいね」とか感じたかと思います。

でも、予告編を見終わった後、「なんか物足りない」って感じがしませんでした?

世界観としては優れているように見えるのに、なんか奥行きが足りないというか。

 

私はこれを見て、「今回のは、ちょっとディズニーらしくないな」と感じたんですよ。

監督&原作は「トイ・ストーリー」とか「モンスターズ・インク」を作った素晴らしい監督なんですが、「今回に限っては、ちょっとらしくないな」、みたいな。

 

「直喩(シミリー)」と「暗喩(メタファー)」

ここで、世界観についてのお話をしてみましょう。

世界観を表現する方法には、「直喩(シミリー)」と「暗喩(メタファー)」という二種類があります。

「メタファー」という単語は、私の教材でも山ほど出てくるので、おなじみですよね。

 

直喩(シミリー)とは、「例えばこういうことですよ」と、たとえていることを明快に示して、相手に教えることになります。

一方で暗喩(メタファー)とは、同じように言いたいことをたとえ話ですることですが、「これはこれをたとえて話をしているんですよ」とは明示しない、たとえ話になります。

例えば「夕食前にお腹がすいた。目の前にお菓子があるけど、それを食べると太るし、夕食が食べられなくなる」という葛藤を伝えたかったとしましょうか。

 

直喩(シミリー)では、主人公とは別に、「理性」と「欲望」という名前の二人が登場して、「彼の頭の中では、両者の戦いが演じられているのです」というナレーションがつくでしょう。

完全に、比喩であることを明かしているわけですね。

一方で暗喩(メタファー)では、主人公なんか登場しません。

そこでは「天使」と「悪魔」が登場して、天使は「貴方は間違っている」、悪魔は「お前こそ間違っている」と主張し合い、互いに戦い合う、そんな光景が演じられるでしょう。

そして、後半になって、劣勢になった悪魔は涙を流しながら、「本当は、俺も天使のように美しくなりたかったんだ……」と本心を明かして、食べ過ぎで太った経緯を語るでしょう。

すると、読み手は「ああ、これはダイエットをするときに、脳内で起こる葛藤と同じなんだ。この物語は、そういうダイエットに通じるお話なんだ」と気づく流れになるわけですね。

 

世界観の「深さ」は、暗喩(メタファー)によって生まれる

で、世界観の「深さ」というのは、暗喩(メタファー)によって生まれます

「あ、このお話は、こういうことを意味しているんだ」と気づいたときって、ある種の「アハ体験」みたいな快感がありますよね。

「新世紀エヴァンゲリオン」の世界観で言うと、ネルフって「神経」を指すドイツ語なんですよ。

一方で、ゼーレって「魂」を指すドイツ語になると。

「だから、ネルフという組織は、ゼーレという組織の命令に従わざるを得ないんだ。ゼーレの実働部隊なんだ」みたいな関係に気づくと、それを知った瞬間って、「そうなんだ!」と、アハ体験みたいな広がりが得られますよね。

 

こうして、読み手は「他の組織はどうなんだろう。世界観をもっと知りたい。裏に隠された関係を解き明かしたい」となるわけです。

そういう「アハ体験」があることで、読み手にとっての「世界観をもっと知りたい」という原動力や、モチベーションが生まれると。

 

でも、最初から直喩(シミリー)で表現してしまうと、「ふうん、そうなんだ」で、広がりがなくなっちゃうんですよ。

裏がなくなってしまうわけですね。

最初に紹介した、ディズニー・ピクサー新作の「インサイド・ヘッド」も同じことです。

これは、直喩(シミリー)で説明していることになります。

だから、読み手にとっては、「なんか物足りない」となってしまうわけです。

 

「インサイド・ヘッド」を暗喩(メタファー)で表現すると、どうなるのか

じゃあ、「インサイド・ヘッド」を暗喩(メタファー)で表現すると、どうなるのか。

例えば五人の個性豊かなモンスターが現れて、「人間と触れ合いたい」と思うかもしれません。

でも、モンスターなので、そのままでは人と接触できません。

 

そこで彼らは、一つの精巧な人型ロボットを得るでしょう。

彼らはそのロボットを操作して、人と触れ合っていくわけですね。

でも、彼らは全員「自分が操縦したい」と思っているので、操縦桿の奪い合いが起きるわけです(笑

 

そして、喜びを表現するキャラや、哀しみを表現するキャラがいなくなることで、そのロボットは切ない状況に追い込まれていくことになると。

同時に、ロボットが抱える過去なども知ってゆくことで、物語が進んでゆくと。

これが、観客の中で「ああ、これは人間の心の中、頭の中で起きていることと同じなんだ」と分かった瞬間に、暗喩(メタファー)であると分かり、世界観の「深さ」が生まれるわけです。

 

実は、この落とし穴はクリエイター側では気づきにくいんですよ。

というのも、クリエイターは「その世界観を作っていて楽しい」んですから。

直喩であろうが、暗喩であろうが、クリエイター側は世界観構築をする場合、どっちも比喩を作るので、面白さは変わりません。

 

むしろ、直喩の方が、ダイレクトに表現できるだけ楽しいかもしれません。

でも、読み手側からすると、直喩をされると、「マジックのタネを披露されて、マジックを見る」ようなものですね。

マジシャン側からすると、手品のタネを作った時点で「このタネ、すごいでしょう?」と言いたいものなんですよ(笑

でも、それを言っちゃうと、見る側のワクワクドキドキがなくなっちゃう、そういうことなんですよね。

 

まとめ

だから、物語においては、あんまり直喩(シミリー)というのは使わない方がいいんですよ。

物語においては、暗喩(メタファー)が深さを出すのに、重要になると。

いや、「インサイド・ヘッド」では、さらに何かしらの暗喩(メタファー)が隠されているかもしれないので、現段階ではそうであるとは言い切れないんですが。

 

そう考えると、より魅力的な世界観を構築できるようになるんじゃないかと思います。

直接は比喩しない、ということですね。

ちなみに直喩(シミリー)は、論説文で威力を発揮するものになります。

そして、論説文では、暗喩(メタファー)は使わない方がいいものになります。

そういう風に、技術には向き不向きがある、ということですね。

 

ってことで、今日は作家向けに、「直喩(シミリー)」と「暗喩(メタファー)」のお話をしてみました。

今日はここまで~。

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