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ということで、今日のお話です。

今日は、「あこがれられる人になる」というお話をしてみましょうか。

 

「あこがれられる」側になる、という感覚

「あこがれる人」って、いると思うんですよ。

「この人すごいなー」、「あこがれるな」みたいに思う人は、いるんじゃないかと思います。

でも、「自分が人からあこがれられる人になる」というと、「いやいや、そんな、とんでもない!」とか思っちゃう人が多いんじゃないでしょうか(笑

 

私もそう思ってたんですよ。

あこがれる人は多いんですが、まさか自分があこがれられる側になるとか、思ってもいなかったわけです。

でも、私みたいな人にあこがれる人がいるんですよ。

私の自己啓発本に感動した人とか、作家向けの教材で感動した人とか、ブログで心動かされた人とか、まあいろいろありますが。

 

クリエイターの人って、あこがれられやすいと思うんですよ。

プロ野球選手とかアイドルとかも、あこがれの対象になりやすいものですが、クリエイターもその筆頭ですよね。

作家さんとか、漫画家、作曲家、ゲームクリエイターとか、「格好いい」という対象になりやすいですよね。

 

そういう「人からあこがれられる側になる」ということを受け入れると、ぐっとその人は変わると思うんですよ。

というのも、「自分は他の人からあこがれられる人だ」と受け入れた人は、オーラが出てくるんですよね。

すると、そのオーラがさらに、その人を魅力的に見せて、ファンになる人が出てくると。

 

私たちは、十分に「あこがれられる素質」を持っている

つい私たちは条件反射的に「いやいや、私なんかへっぽこで」とか言いがちでしょ(笑

でもそうじゃないんですよ。

私たちは、十分に「あこがれられる素質」を既に持っているわけです。

ただ、自分が勝手に拒絶してるだけなんですよ。

 

少し前に、これに気づいたいい出来事があったのでお話ししてみましょうか。

だいぶ前ですが、散歩をしてたんですよ。平日の昼間に。

で、近所の幼稚園の園児たちが、社会見学か遠足かと思うんですが、列を作って近所の空港に向かって歩いていたんですよ。

そしてその途中では、米軍施設もあって、工事車両が多く出ているので、交通誘導員が工事関係車両を誘導しているわけです。

その途中で、社会見学の一環でしょう、幼稚園児たちは立ち止まって、その交通誘導員をじーっと見ているわけです。

先生が「大きなダンプカーがたくさん出てきますね」、「その車が道に入れるように、指揮するような、そういうお仕事もあるんですよ」みたいに、教えていたのかもしれません。

 

見たことがある人は分かるかもしれませんが、大型工事車両が一般道路に入る時には、結構誘導が必要なんですよ。

他に車が来ないかとか、優先車両を優先するとか、いろいろあるわけです。

で、交通誘導員がそれを次々とさばいていくので、見ているとまるでピタゴラスイッチみたいな、ちょっとした面白さがあるんですよ。

 

で、気がついたのは、その幼稚園児の目がきらきら輝いていて、食い入るように誘導員を見ていたわけです。

誘導員はと言うと、幼稚園児に食い入るように見られているから、もうすっごいぴしーっと、はきはきと誘導を決めるわけです(笑

私は普段も散歩をしているので見てますが、普段とは明らかに動きが違うんですよ(笑

そしてそんなはきはきとしている姿は、オーラが出ていて、格好いいわけです。

 

「大人の先入観」が、「自分はたいしたことない」と見せているだけ

私たちは、「オーケストラの指揮者」は「格好いい」と思いますよね。

「あこがれる」と思いやすいものです。

でも、「交通誘導員」は、なかなかそうは思えないじゃないですか。

肉体労働だとか、給料安そうだとか。

そういう「大人の先入観」が入ってしまうわけです。

 

でも、そこにいる幼稚園児にとっては、オーケストラの指揮者も交通誘導員も、違いはないんですよ。

オーケストラの指揮者は、数々のプロの演奏者を指揮する。

交通誘導員は、数々の巨大なダンプカーや工事車両を指揮する。

ひょっとすると、動かしているものが派手な分、交通誘導員の方が格好いいと感じているかもしれません。

実際、私が見ても、そのときの交通誘導員はオーラが出ていて、輝いてましたから。

 

私たちはつい、「自分のやってることなんて、たいしたことないよ」、「あこがれられるようなものじゃないよ」と思いがちですよね。

でも実は、それって私たちの勝手な思い込みでしかないんですよ。

「大人の先入観」というか、「私たちの勝手な先入観」でしかないと。

 

それは、先の交通誘導員の人と同じです。

自分たちがその格好良さに気づいてないだけで、他の人から見たら、「格好いい!」、「あこがれる!」という人はいるものなんですよ。

それに気づくかどうか、ですよね。

 

例えばAmazonで、電子書籍の小説を1本出した。原稿用紙50枚ぐらいの、短い小説ですね。

「その程度、やってる人はいくらでもいるよ」、「全然すごくないよ」とか思いがちでしょ。

そうじゃないんですよ。

普通の人に書かせてみるといいでしょう。

原稿用紙2枚も書けませんから。

「原稿用紙50枚書ける」だけでも、実は圧倒的にすごいことなんですよ。

 

もちろん、それは10枚ぐらいでも構いません。

普通の人は、5枚で話をまとめることすらできませんから。

 

他にも、「Amazonに自分の作品を出している」とかも、考えてみればすごいことですよね。

圧倒的多数のほとんどの人は、「Amazonに自分の作品を出す」なんて、考えたこともなければ、可能性すら見えないものなんですから。

 

「あこがれ」は持たれやすいもの

他の例で言うと、ピアノのブラインドタッチができる人とか、「すごい」と思いますよね。

「できたら格好いいだろうな」とか思いますよね。

すなわち、「あこがれ」を持つわけです。

でも、自分がキーボードでブラインドタッチするのは、自分では「すごくない」、「誰にでもできる」と思っちゃうんですよ(笑

「あこがれ」って、そんなものなんですよね。

 

日本人が、英語をぺらぺらしゃべっている。

「すごい」、「あんな風に英語をしゃべることができたら、格好いいだろうな」って、あこがれるでしょ。

でも、「Amazonで自分の作品を出している」、「小説を1本売っている」のは、自分では「たいしたことない」、「誰にでもできる」と思っちゃってるんですよ。

これが、「大人の先入観」であったり、「私たちの勝手な先入観」でしかないわけです。

 

私たちは、その分野に詳しいですよね。

だから、詳しい分野においては、他の人よりも「大人の先入観」や「勝手な先入観」を持ちやすいわけです。

でも、「あこがれる人」にしてみれば、そんなの関係ないんですよ。

オーケストラの指揮者も、交通誘導員も、大差ないわけです。

英語をぺらぺら話せる人も、Amazonで作品を出せる人も、大差ないんですよ。

 

すなわち、「既に自分は、人からあこがれられる素質を持っている」と気づくことですね。

すると、オーラが出てきます。

そして、目の前のことに自信を持って取り組むことができます。

その姿が格好いいから、もっと人からあこがれられるようになって、ファンができていくわけですね。

 

逆に、「自分のやってることが恥ずかしい」と思って、コソコソやってたらどうでしょう。

交通誘導員が、もうひたすら「私なんかがごめんなさい!」と謝って交通誘導をしていたりとか(笑

「ああはなりたくないな」って思いますよね。

 

まとめ

「ファンができる」とか「あこがれられる」っていうのは、「どれほど大きなことを為すか」ではないと思います。

それはただ単純に、「格好いいかどうか」ですよね。

「私がやってるこんなこと、全然格好良くないよ」というのは、ただの先入観でしかありません。

はっきり言って、その「自分は格好良くない」というのは、ただの思い込み、ただの幻想です。

「恥ずかしい」と思って劣等感に支配されながら動いているから、格好悪く見えているだけです。

 

「格好良さ」というのは、「前向きさ」から生まれるものです。

だから、前向きに楽しく生きていれば、どんなことをしていても、「貴方にあこがれます」、「貴方のようになりたい」という人は出てくるんですよね。

 

自分にとっては、「自分がやってることなんか、全然たいしたことないよ」と思っているかもしれません。

でも実は、そこには十分に「あこがれられる人」になる素質がある、ということですね。

プロ野球選手だって、20代の若者ですからね。

きらびやかな世界かもしれませんが、彼らは欠点もあれば悩みもあり、「野球がダメになったらどうしよう」と将来に不安を持つ、欠点だらけの人なんですよ。

それでも、「あこがれられている」という事実が、彼らにオーラを出させるわけですね。

 

私たちは、既に「あこがれられる存在なんだ」と気づくことです。

最初はちょっと気恥ずかしいかもしれませんし、思い切り否定したくなるでしょう。

でも、それを受け入れてみると。

すると、自信が出てくるかなと思います。

そして、同時にオーラも出てくるんじゃないかなと思います。

 

ってことで、今日は「人からあこがれられる人になる」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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