今日は、売れるようにするための方法についてお話ししてみましょうか。

「他人から認められない限り、売れない」という洗脳から出る、というお話です。

 

「他人から認められないと、売れない」という思い込み

今、ちょっとした見てみたい漫画があるんですよ。

第1話のお試し版を見て、ずきゅーんと来てしまったというか(笑

「何で電子書籍版で出してないんだ! 紙媒体みたいなかさばるものよりも、電子媒体の方がいいのに!」とか思いつつ。

 

で、この人の別のWebで閲覧できる漫画で、「おばあちゃんが笑った」という短編読み切り作品があるんですよ。

簡単に流れを言うと、主人公は漫画家志望の若者です。

でも、漫画を何年も投稿してもなかなか受け入れてもらえずに、大好きだった絵とか漫画が好きではなくなったと。

それでやめようとしているわけですが、そんなとき、おばあちゃんの生まれ変わりで、おばあちゃんの記憶を持つ女の子が登場します。

そんな女の子が主人公を励ますことで、ハッピーエンドに導くわけですが。

 

なんと言うか、すっごい作者の経験が感じられる内容ですが(笑

ただ、こういうのを見ると、「多くの人が、『他人から認められないといけない』って思い込んでいるんだな」と感じるんですよね。

ほら、よく言うでしょ。

「買うのはお客だ。お客が商品を選ぶ。だから、商品を提供する側は、お客から認められなければならない」

……みたいな。

だから、「他の人に受け入れられないと、仕事にできない。お金にならない」と思い込んでいるわけです。

そうして、「受け入れられるためにはどうしよう」と考えるようになって、「認められるため」に作るようになってしまうと。

 

「クリエイティブなこと」と、「受け入れられるため」というのは、両立しない

でも、「クリエイティブなこと」と、「受け入れられるため」というのは、両立しないんですよ。

だって、「クリエイティブなこと」というのは、原動力は「自分のため」ですからね。

「他の人から言われてすること」、「他の人の価値観で動くこと」は、クリエイティブではないですよね。

自分なりの、自分のための工夫だからこそ、クリエイティブになるわけです。

 

すると、「認められるため」に作れば作るほど、クリエイティビティーは失われていきます

クリエイティブなモチベーションも、同時に失われていきます。

それは当然ですよね。

認められるために作れば作るほど、自分軸ではなく他人軸で動くことになって、クリエイティブではなくなっていくんですから。

 

この「受け入れられないと、お金にならない」という間違った思い込みが、クリエイターを苦しめていると思うんですよ。

特にメジャーでやっている人ほど、「受け入れられないといけない」という常識に縛られているように思えます。

実際、多くの人が「仕事にするなら、嫌なこともしなければならない」、「それが当然」とか思っているものです。

でも実は、既にそういう方法に縛られなくても、願いを実現する方法があるんですよ。

 

これについて、今日はしっかりと説明してみましょう。

この洗脳から抜け出せれば、楽しく、好きなことだけをして、ファンを作れて、お金にしてゆけるでしょう。

 

認められなくても、お客ができる方法がある

実は、「認められよう」としなくても、お客ができて、喜んでもらって、しかもお金になる方法があります

この全く別種の、革命的な価値観の変換とも言えるこの発想ができるかどうかが、分かれ道かなと思います。

 

多くの人が、従来の「認められないといけない」という道に向かっているので、その道は超混雑してるんですよ。

すっごい競争率で、頑張っても頑張ってもなかなか認められない……というサイクルに入ってしまってます。

でも、この「新たな道」に気づいた人ほど、楽に、スムーズに、大好きなことをして、ファンに囲まれて、お金になって、自由に生きていけるようになるんですよ。

 

じゃあ、その「新たな道」とは何か。

それが、「これ、いいでしょう?」という道です。

「この作品、いいでしょう?」、「これ、いいでしょう?」と、価値観を与える道ですね。

いわば、「お客に認められる」ではなくて、「お客を認めさせる」とか、「お客を惚れさせる」ということでしょうか。

「私たちがお客の価値観に合わせる」のではなくて、「お客に私たちの価値観を与える」、ということです。

 

これは別名、「マスター(師)ビジネス」とも言います。

作り手は、お客の御用聞き職人になるのではないと。

作り手は、お客に新たな価値観を教える師(マスター)になるんだ、ということです。

 

以前にも言った、「これがいいんだよ!」と同じです。

「分かってないなあ、これがいいんだよ!」と楽しそうに言うと、私たちが楽しそうにしていればしているほど、相手はそのよさを自発的に探し始めるんですよね。

すると、相手から「教えてください!」、「私にも味わわせてください!」と言われるようになります。

こうして、自分軸でファンを作っていくわけですね。

 

「作者のファン」を作る、という道

これは、メジャーで活動している人ほど、この新しい道を知らないんですよ。

だから、ほとんどのメジャーで活躍している人が、「売れるためには、嫌なこともしなければならない」とか、「お客に合わせなければならない」と言っているんですよね。

 

というのも、そこには「編集者」とか「編集長」に認められる必要があるわけです。

で、その編集者や編集長は、彼らの価値観で作品を評価するんですよ。

多くのメジャー作家は、「ファンのために書く」以前に、「編集者や編集長のために書く」をする必要があると。

作者が、編集者や編集長の下に入ってしまうわけですね。

 

で、その編集者や編集長は、「作家にファンを作るため」ではなくて、「自分の雑誌や媒体にファンを作るため」に動くんですよ。

だから実際は、メジャーで活躍している人でも、「その人のファン」はほとんどいない、みたいなことが多いんですよね。

 

アニメ化されたり、ドラマ化されてブームになっている状態では、いいんですよ。

でも、ブームが沈静化した後で、雑誌掲載とは別に、その人が自分で作品を同人ででもリリースしてみると分かるでしょう。

「作者のファン」を作れていない人ほど、全く売れませんから。

 

それは当然で、「御用聞きの人」のファンになる人なんかいない、ということです。

ファンというのは、「あこがれる人」につくものですから。

奴隷になるか、師匠になるかは、作者側が選ぶことなんですよね。

 

私が言う「新しい道」とは、そんな「作者のファン」を作っていくことです。

こうやってファンができた人は、何を出しても売れますし、自分で出しても売れます。

自分の大好きなこと「だけ」をして、喜んでもらえて、売り上げも安定して、ファンもできます。

そういう道がある、ということですね。

 

そして、そういう「作者のファン」を多く作れた作者が、最終的に編集者や編集長の上に立つことになります。

編集者や編集長が、頭を下げて「貴方の作品を、是非私の雑誌に掲載させてください」と申し出るようになります。

作者は上に位置するので、「私は嫌なことはしませんよ。それでいいですか?」と、自分に有利な条件を出すことができます。

編集者や編集長は、「はい、それで結構です。是非よろしくお願いいたします」と、頭を下げてお願いするわけですね。

すなわち、作者が編集者や編集長の価値観で動くのではなく、編集者や編集長にも、自分の価値観を与えてゆく、ということです。

 

「しんどくても楽しい道」を選ぶか、「楽をしてつまらない道」を選ぶか

ただし、これをするのは、最初は少し手間がかかります。

それは当然で、自分で一人一人、価値観を与えて、ファンを作っていくわけですからね。

同じ実力を持っているクリエイターであれば、最初は圧倒的に、編集者や編集長に頼る方が売れます。

でも、後々の伸びと、安定感が変わってくるわけですね。

 

これは、「しんどくても楽しい道」を選ぶか、それとも「楽をしてつまらない道」を選ぶか、とも言えるでしょう。

たとえて言うなら、サラリーマンと自営業者と同じです。

サラリーマンとして雇われれば、能力的に乏しくても、最初からある一定額の給料をもらえますよね。

ただ、給料の上限はあるものです。

それに、嫌なことでもしないといけないものです。

 

一方で自営業者の場合、最初の能力値が低い段階では、相当厳しいんですよ。

でも、着実に能力を身につけていくと、工夫次第で収入は天井知らずですよね。

それに、工夫次第で、好きなことだけをしていけるものです。

それと同じですね。

 

そんな風に、最初の土台を作る部分で、手抜きをするか、自分で土台をしっかり積み上げるか、それで大きく変わると。

土台を作る段階は、やっぱりそれなりに手間がかかるんですよ。

でも、しっかりと土台や基礎を作った人ほど、後々で安定して、飛躍できる、ということですね。

そして、ちゃんと自分でファンを作れた人ほど、次第に周囲から頭を下げてお願いされる立場になります

 

私が選んだ、「頭を下げない」道

私は独立するときに、「上司に頭を下げない」、「取引先に頭を下げない」、「お客に頭を下げない」という道を選びました。

当然、「ありがとうございました」と感謝はしますよ。

あと、発注先のクリエイターさんに対しても、「こういう条件で、これをしてもらうことはできますか?」と依頼することはあります。

それはきちんと、丁寧に礼を尽くして接します。

 

でも、相手が乗り気でないのであれば、頭を下げてまでお願いはしない、ということですね。

「お客からは、頭を下げられて、『お願いです、私にそれを譲ってください』と言われるような存在になろう」

「取引先からは、『お願いです、どうか私にそれを担当させてください』と言われるような存在になろう」

そういうスタンスで動くようになりました。

 

確かに、これは最初は結構厳しい道になります。

実績がない状態では、誰も協力や依頼をしてくれないものです。

でもそこで、楽をしない、ということですね。

「頭を下げない」というのは、そこで一人でもやり始めて、やり遂げて、実績を作る、そういう覚悟を持つことかな、とも思います。

 

それでも、頭を下げない生き方というのは、気楽で、自由で、そして挑戦しがいがあるんですよ。

楽ではありませんが、楽しい、ということですね。

 

特に私みたいな実績も何もない状態から始めた人とか、どんどん実績のない分野に移っていく場合、これを考えるようになるんですよ。

実績のない分野にどんどん挑んでいくからこそ、「ファンが大切だ」と思うようになったのかもしれません。

特に私は、ゲームとかアニメ、FPSゲーム、写真加工技術や自己啓発本、作家向け本とか、やりたい放題新しい分野でやっているわけで(笑

そういう状態でやっていくには、やっぱりファンの存在が大切になるんですよね。

 

まとめ

そういう風に、「他人から認めらること」だけが道ではない、ということですね。

自分の価値観を周囲に与えて、ファンにしてゆくこともできます。

大好きなことだけをできて、作者のファンもできて、喜んでもらって、お金にもなって、収入も安定して、頭を下げる必要もなくて、むしろ相手から頭を下げられるばかりになると。

立ち上がり時はしんどいでしょうが、そのしんどさも「楽しいしんどさ」です。

だから、私から見ると、圧倒的にこっちの方が好みなんですよね。

 

まあ、サラリーマン的に、「不自由でもいいので、すぐにお金が欲しい」という場合もあるでしょう。

それはそれで、構いません。

そういう道もありですが、その道だけではない、ということですね。

 

ってことで、今日は「他人から認められない限り、売れない」という洗脳から出る、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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