今日は、作ることについてお話ししてみましょうか。
「下手でも、魂を振るわせるものは作れる」、というお話です。
感動させられるが歌の下手な歌手は、「下手」なのか
少し前に、ちょっとした機会があって、とある歌手の歌を聴いたんですよ。
女性の歌い手さんだったんですが、もうね、正直に言うと、歌は上手くないんですよ(笑
声も音程を合わせるので精一杯で、ビブラートみたいな技法も全然できなくて。
でも私は、その歌と曲にぐっと来たんですよね。
なんと言うか、「魂を振るわせるもの」みたいなものが、そこにあったんですよ。
その人たちが出したい世界観、作りたい雰囲気、みたいなものがひしひしと感じられて。
それで、「ああ、別に魂を振るわせるのに、上手い下手なんかさほど関係ないんだな」って気づいたんですよね。
以前に下手な英語でも伝わる、というお話をしましたが、伝え方や技巧が下手だったとしても、伝わる人には伝わるんですよね。
大切なのは、「伝えたいもの」になるんじゃないかと思います。
逆を言うと、「伝えたいもの」を持たない人ほど、表面的なテクニックとか技巧に走るような気もします。
だったら、「上手さ」って何なんだろう、とか思うんですよ。
例えば幼児向けの絵本とかって、もうすっごい崩れた変な絵が多いですよね(笑
いや、あれはあれですごく上手いんですけどね。
でも、私たち大人の感覚からすると、腕の関節が変な方に曲がっていたりだとか、腕が変な場所から出ていたりだとか、もう極端なのが結構あるでしょ(笑
塗りも荒っぽい水彩が多いですし、「なんで美少女ゲーム塗りがないんだ!」と言いたくなりますよね(笑
それでも、子どもにはセル画とかエロゲ塗りよりも、そういう極端でダイナミックで、暖かみのある水彩風が好まれる……というのを、とある絵本作家さんが言っていたんですよ。
「その方が、伝わる」、ということですね。
まとめ
じゃあ、「上手い」というのは何かというと、「伝わる」ということですよね。
伝わるものが、上手いんだと。
そう考えると、「もっと上手くなりたい」という場合に、「上手い技巧をできるようにする」というのは、ちょっと方向性が違う場合もあるような気もします。
音程を合わせるので精一杯でも、ビブラートなんかできなくても、伝わる歌を歌える歌手は「上手い」んですよ。
でも、どんなに音程を合わせられても、ビブラートとか他の技法を駆使できても、伝わらなかったり、伝えるものがなかったら、下手なんだと。
それが、「上手さ」の尺度になるんじゃないかな、と思ったりもしました。
絵だって、「ヘタウマ」みたいなジャンルもありますしね。
見た目は下手でも、伝わればいいんだ、ということですね。
ってことで、今日は「下手でも、魂を振るわせるものは作れる」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。