「安全な道」ってのは、既に誰かが通った道なんですよね。
それは言い換えると、既にレールが敷かれている道なわけで。
レールが敷かれている道ってのは、競争になるものなんですよ。
例えばレース用のサーキットだって、決まった道があるから「一番速い人が優れている」って評価できるわけで。
レールが敷かれている道を歩くから、比較したり比較されて、苦しむわけです。
逆にレールがない藪道は、誰も通っていない道なんですよ。
言い換えると、それが「自分だけの道」になるわけです。
この道は先が見えなくて、手探りで進まなくちゃいけないんですよ。
だから不安にもなるし、臆病にもなると。
でも、「自分で道を切り開いている!」という感覚はあるんですよね。
そしてそれは、人と比較できる道ではないんですよ。
他の人とは全く別の道だから、速さとか優れているとか、そんなの比較できないわけです。
「谷底の道を一ヶ月で抜けた人」と「山頂経由の道を二週間で抜けた人」のどちらがすごいとか、評価できませんよね。
だから、自分の道を歩いている人は、もちろん不安もありますが、それ以上にある種の「安らぎ」みたいなものがあるんですよね。
比較することもなく、比較されることもなく。
ただただ、自分にできることをやっていく、みたいな。
私はもうずっと、我が道を行きまくってますが、競争に疲れたら、ちょっと藪道に入ってみるのもいいかもしれません。
もうね、全く先が見えないけど、そこにはレールの上を歩いている時には見えなかった、楽しさとか面白さ、充実感がありますから。
「生きてる!」って感覚を得たい場合、競争ではなくて、藪道に入ってみることをオススメしてみます。(=▽=)