今日は、昨日に引き続いて、田舎のお金についてもう少しお話してみましょうかね~。

昨日は、「田舎はあまりお金を使わなくて済む」というお話でした。
今日は、それが実際にどういう豊かさを与えてくれるのか、そういう観点でお話してみましょうか。

 

「お金を多く稼ぐ人ほど豊か」だという思い込み

私たちには、「お金を多く稼いだ方が、豊かだ」っていう思い込みがありますよね。
でも実は、私が田舎暮らしを始めてから「そうでもないな」と分かったんですよ。

例えば、物価が1/2の地域があって、そこで暮らしていたとしましょう。
そして、物価が2倍の地域に商品やサービスを売ったとしましょう。
すると、たったそれだけで、普通に暮らす4倍の豊かさを手に入れられますよね。

まぁ実際はこんなにも単純ではないんですが、物価が半分の場所で暮らせば、収入を相対的に2倍にするのと同じことですよね。
実際に短期間で収入を2倍にするとか、相当きついですよね。
でも、住む場所を変えるだけでその効果が得られるとしたら、どうでしょう。
これって、すごいことですよね。

 

「お金」がなくても、豊かに生きられる地域

そして、さらに現実世界では、「経済でははかれない豊かさ」というものがあるんですよ。
これは昨日も言ったように、例えば使ってない畑が多くあって、野菜が作れたりとか、できすぎた野菜を近所の人がよくお裾分けしてくれたりとかするわけです。

これは次のような例で考えると分かりやすいかと思います。

ある田舎の地域は、高齢者が多い地域です。
そこでは老人たちが暇つぶしで(というかみんなで集まっておしゃべりでもするために)畑をやっていて、もう山ほど野菜ができてしまうので、野菜が余りまくります。
私も畑をやってましたが、野菜なんて、(高度な野菜でなければ)種や苗を植えておけば勝手にできちゃうものですから。

だから、私みたいな一人暮らしの若者が住んでいたら、私はじーちゃんばーちゃんに好かれる体質なので、毎日多くの野菜を分けてもらいます。
私はもらい上手で喜んでもらうので、野菜どころか、お寿司とかコロッケとか、煮物とか、もう相手も喜んで分かち合ってくれるわけです(笑

じーちゃんばーちゃんは、もうそんなにお金なんかいりませんからね(笑
それに、「人が喜んでくれることが幸せ」なので、受け取るが思いっきり喜んで感謝すれば、どんどん与えてくれます。
だから、商売とか考えずに、どんどん周囲の人たちに分かち合うわけです。

果物も時期ごとに、食べきれないほどできるんですよ。
魚も釣ってくる人がいるので、食べるので買うものは、乳製品とかお肉、調味料とかだけです。
つまり、お金を使わなくても、「食べるのにほとんど困らない」わけです。

家賃は激安で、月に3~4万円もあれば、広い一戸建てに住めます。
海にも山にも楽しめることはいくらでもあるし、「騒げる場所」が山のようにあるので、工夫次第でお金をほとんど使わなくても毎日を楽しめます。

つまり、ほんのちょっとのお金で、食べるのにも全く困らなくて、遊びながら暮らしてゆける場所です。
食べるのに不自由せず、大好きなことをして、自由に生きてゆける。
これって、パラダイスでしょ。

 

「お金がある」と「豊かさ」にはズレがある

でも、一般的な「経済的尺度」からすると、このパラダイスは「劣った地域」に分類されてしまいます
だって、お金が動いてないんですから。
経済とは、「どれだけお金が動いたか」で測られるものですよね。

その田舎の地域は、分かち合っているので、お金がほとんど動いていないわけです。
実体はほとんど働かなくても、ネットから少しの収入があれば、それだけで遊んで暮らせる最高の地域なのに、「後発発展地域」とされてしまうわけです。

でも、それは実際の「豊かさ」とは違うものですよね。
田舎のパラダイスのような場所で、食べるものに困らずに、半分自給自足みたいな中で楽しむという方法もあるわけです。

一方で、都会で暮らして、朝から晩まで働いて、年収が高く、サービスは全てお金で買って、娯楽も便利さも何もかもを「お金を使うことが素晴らしい」、「それが経済成長だ」、「それが豊かさを得る唯一の方法だ」と思い込んでいる場合もあるわけです。

そういう人が夢に願っているのは、「一生困らない豊かさを得て、好きなことだけをして、遊んで暮らしたい」なんですよ。
まさに、洗脳されていると言ってもいいかなと思います。

そんな風に、私たちは勝手に「お金を使う方が豊かだ」、「年収が高い方が豊かだ」とすり込まれているわけです。

 

「都会と田舎の所得格差」は意味あるの?

実際に私が田舎暮らしを始めてから、多く気づいたことがあるんですよ。
その一つが、「物価」ですね。

「都会と田舎の所得格差」とかありますよね。
「物価の比率に比べても、田舎はこれだけ悪い」とか言われるわけです。
でも、田舎ではそもそも「お金を使わない」わけです。

そして、「物価」という指標もありますよね。
でも、物価っていうのは、「スーパーに並んでいる商品の値段」なわけです。
そもそもスーパーで野菜とか買わなかったら、そんな指標、意味なくなりますよね。
ひどい例で言うと、誰もスーパーで買わなくて、そのスーパーで売っている野菜が都会と同じ値段だったら、「都会と田舎の物価は同じだ」と判断されてしまうわけです。

こんな現実を反映していない数値とか、役に立たないですよね(笑
つまり、「経済的指標」と私たちが味わう「豊かさ」には、ズレがあるわけです。
もっと言うと、「別物」だと言ってもいいかもしれません。

 

都会と田舎、ニュースと現実の「差」

で、よくあるのが、最近でも「異常気象で野菜の不作で、野菜の値段が上がった」とかありますよね。
あれを見るたびに、私は「おかしい」と思うんですよ。

例えば、白菜とか大根が2割とか5割とか値上がりしたと。
でも、実際の田舎では、その白菜や大根が山ほど打ち捨てられているんですよ。

特に白菜と大根は、食べきれないほどできちゃうから、うちの近所の畑でもよく捨ててあるんですよ。

なら、なぜ値上がりするのかというと、天候不順でも、「全部が枯れる」ことはほぼないわけです。
ただ単に、「農協で買い取る規格にあった大きさに育たなかったから、出荷できない」だけなんですよ。

「白菜が高すぎる!」とか騒ぎになっている都会を尻目に、田舎ではちょっと小ぶりな白菜が山のように残って「これどうぞ」と分かち合っていたり、それでも処理しきれないので、打ち捨てられるわけです。
もらってくれる近所の人がいたら、喜ぶぐらいで。

私はそういう現実を見ているので、ニュースとか経済でやっているのは、「うそっぱち」みたいなことが多くあると気づくようになったわけです。
現実での「豊かさ」は、もっと多くのバリエーションがあると。

実際に野菜を作ったら分かりますが、素人の私でも、すぐに食べきれないほど作れましたから(笑
もちろん最初はスケジューリングは確かに難しいんですが、その作付け日時さえ分かれば、十分に年間を通して野菜を自給することは可能です。
そして、あれは老人でも楽に作れるな~と、切に感じたものです。

 

まとめ:「お金を増やす」から「豊かさを増やす」への転換が大切

そんな風に、「年収を上げること」だけが豊かになる道ではないわけです。
どうしても「お金」イコール「豊かさ」だと思いがちですが、年収ではなく、「豊かさ」を増やすことを考える方がいいんじゃないかと思います。

朝から晩まで働いて、自由もなく、苦しんで、そして「私の夢は、好きなことをして、遊んで暮らすことです」とか言うのは、もう笑い話にしかならないわけですね。

それに、これもまた別のお話になりますが、「お金を使わなくても生きてゆける」というスキルはこれから重要になってくると思います。
それは、おそらく10年以内には日本でも起こるであろう、国債の暴落(金利の急上昇)と、ハイパーインフレ(お金の価値が急激になくなるということ)へのセーフティネットを作っておく、という意味でもあります。

そういうことで、「お金」ではなく、「豊かさ」を作る風にアプローチをすると、意外と定収入でも遊んで暮らすことはできるかなと思います。

これも、夢を叶える一つのクリエイティビティーかなと思います。

今日のお話はここまでっ。

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