おかげさまで、大掃除も新年の準備も無事に終わりました。
これで落ち着いて、新年を迎えられそう。
いやまぁ、実際は落ち着くどころか、新作本の仕上げをしているんでしょうけどね(笑
人混みが嫌な場合、タイミングをずらすと心地よい
ちなみに、初詣も終わらせてきました(笑
いや、まだ余裕で2020年なので、「最終詣」と言う方がいいのかもしれませんが。
コロナウイルスもあるし、今日から大寒波が来るということで、早めに終わらせておきました。
人混みが苦手なほど、こういう「タイミングをずらす」ってのがいいですよね。
初詣の場合、少し早めれば、誰もいなくて静かだし、一年の中でも最もきれいに掃除されているし、ゴミもなく、すがすがしくお参りできると。
おとといに「無理にブームに乗らなくていい」的な記事を書きましたが、それと同じだし、ゴールデンウィークとか、お盆の混雑を避けるのと同じ要領です。
新たな風習を作ればいい
その場合、「初詣」ではなくて、例えば「締め詣(しめもうで)」とか「末詣(すえもうで)」みたいに、新たな風習を作ればいいんですよ。
で、勝手にいい縁起をこじつけると(笑
「末広がりにするために、年末に詣(もう)でる」とか、「新年は神様も忙しいけど、年末は暇をしているから、神様も喜んでくれる」とか。
だいたい土用のウナギとか、恵方巻きだって、ああいうのも適当なでっち上げですからね。
というか、多くの習慣って、適当な語呂合わせとか縁起をこじつけて、都合よくお祝いをしているばかりでしょ。
なら、自分で作っちゃえばいいんですよ(笑
大切なのは、日々を楽しく味わうこと
ほら、家族でも、いろいろ「我が家の独自習慣」みたいなものがありますよね。
「我が家の肉じゃがは、豚肉を使う」とか、「我が家では、クリスマスはホールケーキではなくて、ホットケーキを元にデコレーションした自作ケーキで毎年祝う」とか。
それと同じで、ちょっとぐらい世間と違っていても、習慣にすればいい思い出になるわけです。
大切なのは、周囲や伝統に合わせることではなくて、日々を楽しく味わうことですよね。
言い換えると、目的は「楽しみ、豊かさを味わうこと」で、手段が「伝統とか風習を使う」なわけで。
なら、目的が得られれば、手段なんてどうでもいいんですよ。
裏を返すと、手段のために目的を犠牲にしたら、苦しいことになりそうで。
新たな標準を作ればいい
で、周囲がうらやましがったり、「私もまねしたい」と思うほど、それをクオリティUPさせるわけです。
すると、それが新たな標準になりますから。
例えば年越しそばでなくとも、年越しカレーうどんでもいいと思うんですよ(笑
で、高いそばとかエビを買う必要なんてなくて、冬の根菜をうまく使ったり、ナンをつけてみたり、年末で魚が高ければ、安い卵とかお肉をうまく使うと。
そして「うちはインド風だった、異国情緒満載だった!」とそのカレーうどんを自慢できると、周囲も「私もそれを楽しみたい!」とうらやましがられるようになります。
すると、「あなたはいろんな世界文化を楽しめて、幸せね」とか言われるようになると。
生き方でも同じで、普通は「社会のレールに乗って、レールの上をできるだけ早く進む人が素晴らしい」という価値観です。
でも、「レールから外れて、自由に豊かに生きる」という生き方もあるわけです。
なら、その「自由で豊かに生きる」という生き方を、他の人がまねたいほどに魅力的に作り上げると、その生き方にあこがれる人が出てくるんですよね。
すると、少しずつ「実は私も、そういう自由が好きな性質でした」とか、「あなたがいてくれたおかげで、私もそういう道に進めました」とか言ってくれる人が出てくると。
まとめ
なので、そういう「新たな風習を作っちゃえ」というのもいいかなと思います。
新たな生き方とか、新たな習慣とか、「みんなこうしているけど、こっちの方が快適だし、豊かさを味わえるよね」というものを作り出すと。
その場合、自分の性質とか、多くあるものを利用するわけです。
そうやって自分が持つ豊かさを工夫するほど、独自文化ができて、いろいろ味わえそうに感じます。
特に個性のある人ほど、こういう工夫が豊かさに直結しそうに思ったりもします。
ということで、今日は初詣と独自文化のお話をしてみました。
今日はここまで~。