今日も考え方のお話です。
いろんな考え方ができるので、こういうのは書きやすいんですよね(笑
ってことで、「交通ルールをイメージできれば、コロナウイルスへの恐怖も適切に対処できる」というお話です。
コロナウイルスとどう付き合ってゆくのか
冬も本番になって、コロナウイルスもじゃんじゃん出てきましたよね。
でもまぁ、去年の春ぐらいに比べると、だいぶ恐怖感は薄れてきたんじゃないかと思います。
去年はウイルスの内容も、対処策もほとんど分からなかったので、リスクへの対処がしようになくて。
でも今はだいぶ分かってきたので、これからどんどん対処できるようになるんじゃないかと思います。
コロナウイルスで怖いのは、「一撃死になりうる」ってことじゃないですか。
たとえ交通事故よりも致死率が低いとしても、「場合によっては死ぬ」という事実に対しては、恐怖を感じるものです。
それとか、「意外と後遺症もある」という声もあって。
すると、恐れすぎたり、楽観視しすぎたりすることがあるわけです。
それで昨日の記事では「自分なりに考えることが大切」と説明したんですが。
それで今日は、昨日とは違うアプローチで、「将来は、みんなこうやってコロナウイルスと付き合っているだろうな」というイメージを語ってみましょう。
これが分かると、コロナウイルスへの恐怖感も減らせて、だけど安全を保ちつつ対処できるかと思います。
交通ルールと同じように、コロナウイルスをとらえる
で、結論から言うと、「交通ルールと同じように、コロナウイルスをとらえて考えましょう」ということです。
車が発明されて、社会に車が増えてきたとき、交通事故が問題になりました。
それは、交通事故って、最悪死ぬからですね。
それに、下手をすると、重度の後遺症が残ったりして。
だから私たちは交通ルールを守ることで、車との共存を得たわけです。
コロナウイルスも、交通事故と同じです。
それは、一撃死になり得るし、後遺症も残りうると。
でも、私たちは交通事故に恐れこそすれど、恐怖を感じすぎることはありませんよね。
それは、「交通ルールを守っていれば、交通事故は多く防げる」と分かっているからです。
だから、子供にも「道路で遊んじゃいけません!」とか、「飛び出しはダメ!」、「歩道を歩けば安全」、「交差点は気をつけよう」、「信号のない場所の横断は危険」みたいに、幼い頃から徹底的に教えられたと。
そしてそういう対処策が分かっているから、隣でじゃんじゃん車が走っていても、安心して歩道を歩けるわけです。
こうして「日常」になってゆく
そして「感染拡大を防ぐ」というのは、「車の運転方法を学ぶ」と同じです。
車を運転していると、他の人に当ててしまったり、器物を壊してしまうこともあって。
だから安全運転の方法を学ぶわけなんですが。
車でなくとも、私たちも小学生の頃に、学校で「自転車の乗り方」みたいな授業があったんじゃないかと思います。
なら、コロナウイルスも同じように、「安全な人との距離の取り方」を学ぶことで、うまく対処してゆくようになるかと思います。
交通ルールと同じように、これからコロナウイルス防護ルールが整っていくことでしょう。
今は、車で言うと交通量が一気に増えて、「信号をどうしよう、歩道はどれぐらいの大きさにしよう」と模索している段階と同じです。
すると、そういうルールが見えてくるほど、隣でびゅんびゅんコロナウイルスが飛び交っていても、「ここを通れば安全」と分かります。
なら、恐れすぎることなく、だけどコロナウイルスの脅威から距離を取れて、安全に過ごせるようになるわけです。
まとめ
そういう風に、「交通ルールと同じように、コロナウイルスをとらえて考えよう」とすると、ウイルスとの共存方法が分かるかなと思います。
私たちは、普通に車と共存できていますよね。
交通事故は一撃死ももたらすし、激しい後遺症もあるわけですが、私たちはそれを含めて日常生活を送っているわけで。
そうとらえると、恐れすぎることなく、だけどリスクには対処できて、ウイルスとも共存できるんじゃないかと思います。
そして、これはコロナウイルスだけでなく、新たな世界に出る時でも同じです。
新しいことに挑戦しようとする場合、恐怖とか、一撃死へのリスクがあるものです。
だけど、その世界にはその世界なりの、「安全に生きてゆけるルール」があるものです。
起業家には起業家の安全ルールが、投資家でもスモールビジネスでも、独立して収益作りをする人、境地開拓をする人にとっても、そういう安全ルールがあるものです。
そういう「自分とは違う常識」を学べると、コロナウイルスへの恐怖を取り除くと同じように、現状から出やすくなるかなと思います。
ということで今日は、「交通ルールをイメージできれば、コロナウイルスへの恐怖も適切に対処できる」というお話でした。
今日はここまで~。