今日は心理メカニズムのお話です。

「自己啓発本みたいな論理に触れていると、心が落ち着く」ってありますよね、というお話です。

 

「自己啓発本が精神安定剤」という現象

つい未来について考えてしまう人とか、いろいろ悩みやすい人って、「自己啓発本に触れていると、心が落ち着く」ってあると思うんですよ。

実際に私も、特に学生時代とか会社員時代では、「自己啓発本が精神安定剤」みたいな感じで読んでいたんですが。

 

じゃあ、なぜそんな「自己啓発本が精神安定剤」みたいな現象が起きるのか、ということです。

もちろん、内容がよかったり、対策を教えてくれたり、未来に希望を持たせてくれる、みたいなこともあるとは思います。

でも、それ以外の要素もあると思うんですよ。

 

で、一番の要素が、「新しい論理に触れることで、心が落ち着く」ってのもあるように思います。

ということで今日は、そんな「論理に触れると、心が落ち着く」というお話です。

 

恐怖と冷静さ(思考力)は相反する

昨日の記事でも触れましたが、恐怖と冷静さ(思考力)は相反するんですよね。

で、論理に触れると、冷静に思考できるようになるので、それが冷静さをもたらしてくれて、精神的に落ち着けるんじゃないかと思います。

 

特に、毎日がいっぱいいっぱいな状況だと、少しの変化とか、想定外の出来事で、落ち込みますよね。

「想定外の、新たな用件が入っちゃった」とか、「予想していなかった失敗があった」みたいなことって、よくあるものです。

余裕があれば「仕方ない」で済ませられても、自分が限界であるほど慌てたり、取り乱したり、打ちのめされやすくて。

 

そういう限界の時に、論理に触れると、冷静さを取り戻せて落ち着けるんじゃないかと思います。

実際にこのブログでも、「このブログに触れることが、毎日の癒やしです」みたいな感想をもらったことがあるんですよ。

当時は「内容が癒やしになるのかな」と思っていたんですが、最近は「論理そのものも落ち着ける要素なのかな」とも思うようになりました。

 

「共感で癒やす」と「論理で癒やす」

ちなみに、癒やす方法には、「共感で癒やす」と「論理で癒やす」という2つのアプローチがあるように思います。

TwitterとかSNSは、「共感で癒やす」という性質が強いように思います。

だから、感情が表に出やすいと。

特に、いっぱいいっぱいな状況の人ほど、感情的な内容ばかりを出したり、拡散してしまっていますよね。

 

一方で、ブログは「論理で癒やす」という性質が強いように思います。

だから、精神的に落ち着かせてくれて、ほっとできるのかな、と思ったりもします。

ひょっとすると、「ブログを読む」だけでなく、「ブログを書く」という作業も、実は冷静さをもたらすのかもしれません。

 

まとめ

そういう風に、論理に触れることで、不安や恐怖を消して、冷静に対処できるかもしれません。

私の中では、限界な状況にいる人ほど、「小説よりも、自己啓発本が好き」となりやすいように思います。

それは、共感よりも、論理に触れることで、不安や恐怖心が取り除かれるからかなと。

 

自分がいっぱいいっぱいな状況にいると、少しの変化で打ちのめされやすいですからね。

そういう場合、いろんな新たな理論に出くわすと、それだけで気分が晴れるのかもしれません。

 

「自己啓発が好き」というだけでなく、「新たな論理に触れることが好き」という要素もあるように思います。

そういう論理との付き合い方も、よさそうに思ったりもします。

 

ということで今日は、「自己啓発本みたいな論理に触れていると、心が落ち着く」ってありますよね、というお話でした。

今日はここまで~。

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