今日は、ちょっと社会心理のお話です。
なぜ社会では、「俺はまだ本気を出していないだけ」という人が一定数いるのか、というお話をしてみましょう。
「俺はまだ、本気を出していないだけ」
最近の私は、金融に興味を持って、そこから「世の中の仕組み」だとか、社会について目を向けるようになったんですよ。
それで、「社会ってこういう現象があるんだ」というのに、いろいろ気づいて驚きや気づきがあったりします。
で、その中で一つ面白いのが、社会の中心になるほど、「俺はまだ、本気を出していないだけ」と言っている人が多くなるように感じます。
でも、よくよく見てみると、そう言っている人のほとんどが「社会の底辺的なポジション」にいるわけです。
じゃあなぜそんな風に、社会では、「まだ本気を出していないだけ」という人が一定数いるのか、というお話をしてみましょう。
自尊心を守りたいからそうする
この心理メカニズムは単純で、自尊心を守りたいからそうするんですよね。
例えば学校で、「1000メートル走で足が速い人が、素晴らしい」という価値観があったとしましょうか。
でもある人は、どんなに頑張っても最下位になってしまうわけです。
すると、その人は周囲から見下されて、「お前は能なしだ、ゴミだ」と言われてしまうと。
なら、その人にとっては、本気を出さない方が自分の力を大きく見せられますよね。
だって、「本気を出していないだけ」と言えば、周囲に「頑張っていないだけで、頑張れば最下位ではないかも」と、自分の実力をごまかせるからで。
そして社会は基本的に競争をするので、必然的にそういう「ビリだけど、社会から出られない」という人が一定数ほど出てくるわけです。
そして最底辺になってゆく
なのでそういう「頑張ってもできない人」は、わざと自分から力を抜いて、「ぶっちぎりのビリ」になりたがります。
というのも、「頑張ってビリ」よりも、「頑張らずにビリ」の方が、本人にとっては少なくとも心理的なメリットがあるんですから。
「本気をだしていないだけだ」と、自分をだませるし、現実を直視しなくてすむからですね。
だから努力しなくなって、自分から社会の最底辺に向かって落ちぶれていくと。
つまりそういう人たちは、「自分から望んで貧しくなっている」と言えるでしょう。
実は周囲はみんな、「あいつは努力してもできない奴だ」と気づいているんですよ。
そして本人自身も、うすうす「周囲には、たとえ自分が全力を出しても底辺だと知られている」と分かっているものです。
だけどそういう人は、ただ「見下されたくない」という見栄のためだけに、自分を取り繕うわけです。
結果として「本気を出していないだけ」と強がって、その「足の速い人が素晴らしい」という社会にしがみついて、生きようとしているわけです。
世の中を見渡せる人にとっては、アホらしい
でもこれって、世の中を広く見渡せる人にとっては、アホらしいことですよね。
だって、「1000メートル走で足が速い人が、素晴らしい」という価値観の社会なんて、意味ないでしょ(笑
「いや、1000メートルを早く走れたからって、何に役立つねん。早く楽に移動したいなら、自転車とか車を使えよ」とか言いたくなるわけです(笑
他にも、「大酒が飲める人がすごい」とか、「筋肉質な人がすごい」、「ルービックキューブをすぐに解ける人がすごい」みたいなのもあるかもしれません。
中には、「我慢するサラリーマンがいい」とか、「残業する方が素晴らしい」、「自分に嘘をつき続ける方がすごい」とか、普通にあります。
もう、人生でまったく無意味なことばかりで、笑っちゃうでしょ。
「いや、あんたはそれができて、本当に幸せになるの?」とか、ツッコミを入れたくなるわけで。
でも、そういう「奇妙な価値観の社会」が多くあるのが、現実なわけです。
世の中は、奇妙な価値観の社会ばかり
そういう「世の中は、奇妙な価値観の社会ばかりだ」と分かると、「今、自分が属している社会の価値観も、広い世界から見ると奇妙なもののはずだ」と分かります。
なら、自分を疑うのではなくて、「今属している社会が持つ価値観」を疑えます。
だいたい、価値観なんて、どれも奇妙なものなんですから。
すると、世の中を見ていくと、「今の社会では奇妙な私だけど、そんな私に合う別の社会が、きっとある」と分かるものです。
で、それが分かると、次第に「世の中は広い」と、別の社会が見えてきます。
「本気を出す必要すらない」と気づくこと
そんな「世の中」を知った瞬間、文字通り「自分の世界が変わる」という衝撃になるものです。
だって、「そもそも本気を出す必要すらなかった。1000メートル走を速く走ること自体が、無意味だった」と分かるんですから。
「ああ、今まで自分がいた社会は、変な価値観を持っていたんだ」と、自分ではなく、社会を疑えます。
なら、周囲を変えようとはしなくなります。
だって、「自分に合う社会に移ればいいだけだ」と分かるからですね。
世の中を知れば、「自分は世の中を知らないだけだった」、「周囲が奇妙なだけだった」と、自分を正して、周囲を受け入れて、嫌な場所から出られます。
まとめ
なので、「まだ本気を出していないだけ」という人は、ただ単純に「社会の価値観と、自分の素質が合わないだけ」というように思います。
だけど、まだ世の中について理解できていないので、「自分はダメ人間じゃない」と、その社会にしがみついて、自尊心を保とうとしているように思います。
そこで、「ダメかどうか」という「その社会の次元」ではなく、「世の中の次元」で見てみるのもいいでしょう。
すると、「自分を疑わなくていい」と分かって、世の中が見えてきて、生き生きできる場所に移れるかもしれません。
ということで今日は、なぜ社会では、「俺はまだ本気を出していないだけ」という人が一定数いるのか、というお話でした。
今日はここまで~。