今日は、社会心理のお話です。
なぜ福沢諭吉は「日本は中韓から離れて、欧米に近づく方が合う」と言ったのか、その心理解説をしてみることにしましょう。
福沢諭吉の「脱亜論」
SNSを見ていたら、福沢諭吉のこういう言葉を見かけたんですよ。
それは、「日本は中韓から離れて、欧米に近づく方が、性格的に合う」みたいな。
まぁ福沢諭吉の書いた「脱亜論」の内容になります。
で、私の中では、これは性質としてとても言い当てているように思います。
じゃあなぜ「日本は中韓から離れて、欧米に近づく方が、性格的に合う」と言えるのか、今日はその心理解説をしてみることにしましょう。
「3つの内向型と、外向型」というタイプ分け
このブログでは超頻度で使っていますが、今回も私がよく使う性格分類をご紹介。
人の性格には、3つの内向型と、外向型がある、というものですね。
性質は、次図のようになります。
それぞれ、以下のような性質を持ちます。
- 外向型:社会的な安定を好む。思いやりを持たずに、競争や奪い合いで豊かさを得る。工夫ができないので、目的よりもプロセス(方法論)に固執する。
- 境地開拓タイプ:創造的発展を好む。思いやりを持たないが、新たな方法論で豊かさを作り、広げたい。工夫ができるので、プロセスよりも目的に集中する。
- 高共感タイプ:社会的な安定を好む。思いやりを持つので、相手の強い主張に配慮する。工夫ができないので、目的よりもプロセスに固執する。
- (HSPタイプ:創造的発展を好む。思いやりを持つので、相手の強い主張に配慮する。工夫ができるので、プロセスよりも目的に集中する。)
各国の気質
今回は、この「外向型」、「境地開拓タイプ」、「高共感タイプ」の3つを使います。
で、それぞれの国は、以下のようなタイプなわけですね。
- 外向型:中国、韓国
- 境地開拓タイプ:アメリカ、ヨーロッパ諸国
- 高共感タイプ:日本
完全服従か、目的指向か
中韓も欧米も、どちらも思いやりを持たないので、がんがん主張してきます。
まぁ、世の中は基本的に低共感な人がメインなので、「主張をし合って、調整してゆく」が世界標準です。
そういう点では、「思いやりで配慮する」という日本の感覚は、世界の中では異質だと言えます。
なので、世界とやりとりをするなら、主張をする必要があります。
ただ、中韓と欧米では、やはり性質が違う部分があります。
その一番の違いが、「完全服従させようとする」か、「目的を達成できればそれでいい」か、という違いですね。
外向型気質の強い中国、韓国は、「完全服従させることで、相手を支配して、自分の利益にしよう」とする傾向が強くなります。
なぜかというと、外向型は目的を持たないので、「自分たちさえ得られればいい。未来なんて関係ない、今がよければいい」というスタイルです。
そして外向型は工夫ができないので、「方法論を押しつける」ことでしか相手を動かせられません。
だから中国や韓国は他国に高圧的・支配的に向き合って、「こういう方法論でやれ」と、生き方や行動の内容まで干渉してくるわけです。
欧米は、目的指向
一方で欧米の場合、「自分たちにとっての目的を達成できればいい」という気質が強いわけです。
それは、境地開拓タイプなので、彼らの目的に従っていれば、方法論はどうでもいいんですよ。
だから、例えばアメリカが経済発展を望んでいるのであれば、日本はアメリカの足を引っ張らない限り、結構自由にできるわけです。
ある意味、境地開拓タイプは、「こういう生き方を広めたい。効率的な方がいいし、それを広めたい」という思いが強い性質です。
なので、彼らは押しつけることは押しつけるんですが、効率的な部分だけを押しつけてくるわけです。
例えば、「民主主義の方がいい。お前の国も、そうしろ」とか、「自由主義の方がいい。お前の国もそうしろ」、「最低限の人権には配慮しろ」と、そういう「自分たちを含めた発展・繁栄」部分を押しつけると。
で、それ以外の部分は、「後は自由にしろ」と、放任なわけですね。
もちろん、先述したように、こちらはしっかり主張しなければ、どんどん押しつけられてしまいます。
その点では、中韓も欧米も同じで、主張するのは必要になります。
「こちらが思いやれば、相手も思いやってくれる」とか「こちらが譲歩すれば、相手も譲歩してくれる」なんてのは、日本内部の異質な常識になりやすい、ということですね。
一番の問題は、相手にスタイルを合わせられるか
そんな中、日本は高共感タイプで、主張ができずに、配慮ばかりするタイプです。
まさに聖徳太子の「和をもって尊しとなす」で、「多少自分を犠牲にしてでも、周囲を手助けしたい」という気質の持ち主です。
ただ、工夫が苦手なので、自分では新たな方法論を作れません。
つまり、「相手に配慮しすぎて苦しくなる」タイプです。
こういう場合、一番の問題は、「どの相手なら、スタイルを合わせられるか」だろうと思います。
「自分を変える」とか、「自分を殺しながら生きる」というのは、苦しいですからね。
できるだけ自分を変えずに生きたいわけです。
欧米的なスタイルを取り込みやすかった
そんな中、日本人は欧米的なスタイルを取り込みやすかったと言えます。
小麦粉もパン食も、欧米の食事も、家族形態も、ビジネスの仕方も、どんどん取り込んで、発展できたわけです。
逆に、中韓のような「相手を一切考慮せず、競争して、力ずくで奪い合う」というスタイルは、苦手だったと。
日本人は、中韓のような刹那的な奪い合いよりも、「自分を少し犠牲にしてでも、相手を喜ばせて、長期的に互いの利益にしよう」ということを重視しているんですから。
もちろん、昔は論語とか仏教とかいろんなものを、大陸から仕入れてきて、自分なりに工夫して使っていたんですが。
でも、欧米の文化が入ってくる時代になると、どんどん「欧米スタイルにも適応できる」と分かったわけです。
だから欧米に近づく方がいい
なら、気を遣うタイプの人からすると、総合的に見ると、欧米の方が付き合いやすいと判断して当然のように感じます。
欧米の生活スタイルは日本人にとって悪くないし、欧米は発展を目指しているので、それについて行って技術を学び続けていれば、日本も豊かになれます。
中韓と付き合うよりも、欧米と付き合う方が、「主張ができない人特有の、自分を殺すストレス」が少なくてすむ、ということですね。
だから、福沢諭吉は「日本は中韓よりも、欧米に近づく方がいい」と言ったように思います。
実際に福沢諭吉自身も、高共感タイプですから。
確かに、世の中の危機時では、中韓と組む方が、性格的には危機を乗り越えやすいんですけどね。
世界的な危機の時は、欧米は内輪もめばかりしていて、頼りにならないと(笑
最近のウイルス騒動でも、彼らは全然頼りにならなかったでしょ(笑
ただ、長期的に発展したい場合、もし欧米のスタイルを受け入れられるのであれば、欧米と組む方が発展してゆけそうだと推測できます。
まとめ
そんな風に、個人の性格も、国家同士の性格も、同じなんですよね。
この辺の「性格の違い」が分かると、福沢諭吉が言っていた内容も身近なものとして理解できるんじゃないかな、と思ったりもします。
もちろん中国人にも韓国人にも、配慮ができたり、優しい人はたくさんいます。
特に個別ビジネスの分野では、中韓も欧米も、その辺の違いはほとんどないように感じます。
ただ、国家統治レベルという性格の違いを見ると、こういう傾向は出ているように感じます。
ということで今日は、なぜ福沢諭吉は「日本は中韓から離れて、欧米に近づく方が合う」と言ったのか、その心理解説でした。
今日はここまで~。