今日は、人生での面白さを見つける方法について、お話をしてみましょうか。
「自分で作った道具」は、へぼくても愛着がある、というお話です。
へぼい楽器なのに、「大好き」と言う演奏家
もうだいぶ昔になりますが、どこかのテレビ番組か動画かで、ある音楽家のインタビューを見たんですよ。
その音楽家は一流の演奏家なんですが、きっと楽器のコレクションも趣味なんでしょう、家に入るとたくさん楽器があるわけです。
もちろん、一流の楽器とか、珍しい楽器が勢揃いなわけです。
そして、一つ一つ「この楽器は、こういう世界的に有名な人が作った、世界に何台しかない楽器」とか説明しているんですよ。
で、その中に、ほんとしょーもない楽器があるんですよ。
明らかに手作り感満載で、クオリティが段違いに落ちるものが。
インタビューアーが「それは何ですか?」と訊くと、「これはね、私が自作した楽器なんですよ」と言うわけです。
そして演奏するんですが、しょーもない楽器なのに、やっぱり一流だけあって、「すごい!」と言えるほどの演奏を披露するわけです。
で、演奏家は「これも、いい音出すでしょ」と笑うわけです。
それで、印象的だったことがあるんですよ。
それは、その演奏家が、どの楽器よりもその「自作のへぼい楽器」に愛着を持っていた、ということですね。
自分が作ったものには、愛着が生まれる
私もこういう経験はよくあるんですよ。
例えばゲームにしても、世の中にはたくさん感動できる物語があるわけじゃないですか。
それなのに、ゲームを作り終えて、「さあ、何かゲームをやるか」と思った時に、どのゲームをプレイするのか。
それが、自分の作ったゲームなんですよ(笑
「今までさんざんデバッグでプレイしたやん!」って突っ込まれそうなんですが、それでもプレイしたいぐらいなわけです(笑
そして、完成したのに、その後でも何度もプレイしてしまっているというほどだったり。
本当に愛していて、本当に大好きなことって、こういうことじゃないかと思うんですよ。
楽器だって、世界的な楽器職人が作ったものの方が、確実にいい音が出るでしょう。
でも、そうじゃないんですよね。
自分で、自分好みな音が出るようにした道具っていうのは、「自分にとってはそれが最高」なんですよ。
「万人にとって最高」ではないわけです。
「欠点があっても、愛している」
それは言うなれば、「欠点があっても、愛している」というものですね。
欠点があって、ダメな部分がいっぱいあって、それでいいと。
「お前、この辺がダメだよなぁ。はは、お前らしいや。可愛い奴」で、それは愛らしい点なんですよね。
「好き」っていうのは、まさにこの感覚ですよね。
私たちは、クオリティが高かったり、優れていることがいいことだと思い込んでいるものです。
でも、「好き」っていうのは、そういう世界ではないんですよ。
「お前、この辺が苦手だなぁ。それでいいんだよ」という世界なんですよね。
だって、「好き」って、損得を越えたものなんですから。
まとめ
だから、もし人生を楽しくしたい場合、「自分で作ったもの」を増やしてゆくといいかもしれません。
世の中にある「万人が賞賛するもの」ではなくて、むしろ「世の中の誰もが『使えない』と評価しても、自分にとっては最高のもの」というものですね。
そういうのは、へぼくても愛着があるものです。
「いい、悪い」とか「優れている、劣っている」を越えた世界のものなんですから。
私も今までいろんなものを作ってきましたが、自分が作ったものは、そのジャンルではやっぱり「自分の作品が、世界でナンバーワン」ですからね(笑
そういうのがたくさんあると、人生は充実するんじゃないかと思います。
ということで、今日は「自分で作った道具」は、へぼくても愛着がある、というお話をしてみました。
今日はここまで~。