今日はちょっと、元気というか希望が出るお話でもしてみましょうか。

「小さな成功体験が、後の人生を大きく変えうる」というお話です。

 

本多静六(ほんだせいろく)って人がいたんですよ。
慶応二年(1886年)に生まれたので、その2年後に明治維新が起こって、ちょうど明治の真っ盛りな頃に育った人ですね。

この人は、日比谷公園とか明治神宮を設計した人でもあるんですが、若い頃は全然だめだった時期があったんですよ。
というよりも、見事な「落ちこぼれ」になった経験がある人でした。

当時の明治時代ってのは、政府が「勉強できる者を役人として使う」という新たな方針を打ち立てました。
それまでの江戸幕府は「武士」という血筋や生まれで役人のポジションを決めていたんですよ。
でも、明治政府は「そんなのはダメだ、人のポジションは能力で決めるべきだ」としたわけです。
その判断基準として、とりあえず「勉強ができる人」というのを取り入れました。

そんな風に、政府は「勉強ができればできる人ほど、重要なポジションに就かせる」という方針でした。
つまりこのとき、「勉強する」イコール「立身出世できる」という構図が成り立ったわけです。
なので、日本ではこの明治時代になってから「学問を身につけることが大切だ」という価値観を持つようになったわけです。

ほら、明治時代の世界観では、「書生さん」みたいなキャラが出てきますよね。
で、「書生さん」って、だいたいが貧乏で、でも周囲の人たちや、特に女性からは好かれたりするでしょ。
それは、今は貧乏でも、学問次第で立身出世する可能性があるからで。

実際、当時の政府は圧倒的に人材不足だったので、採用されたら次々と要職に就いていったんですよ。
そんな風に、当時の「貧乏だけど立身出世を目指す学生」は、実際に次々と出世したという背景もあって、女性にとってあこがれる存在にもなったわけですね。

ちなみに日本でずっとある(最近は少なくなってきましたが)「受験戦争」ってのは、この明治政府の方針をずっと引きずっているんですよ。
戦後に変革できずに、相も変わらずこの「勉強ができる人にポジションを与える」っていうスタイルを続けているから、「東大法学部卒」イコール「エリート」という構図が成り立って、今も日本の中枢は学閥で運用されていたりします。
それが今の日本で問題になっている「中央集権」とか「官僚制度」につながっているわけですが。

 

それはそれとして、若き本多静六少年も、当時としては当たり前のように学問で立身出世を目指していたわけです。
11歳ぐらいの時に父親が死んで、家も傾いて、それでも農作業をしながら勉強していたようで。
それぐらい、「学問をする」イコール「成功する」という厳然とした方程式が成り立っていたんですよ。

それで、18歳で東京の山林学校に入るんですが、これも「半官で学費が安いから」っていう理由で。

でも、そこで本多さんは現実を知ってしまいます。

代数とか幾何学とか、本多さんはそれまで全くやったことがなかったので、もう全然できなくて、落第してしまうんですよ。
実は当時は、今のように価値観が多様化していないので、学問の道を目指す人にとっては「学問の力を断たれる」というのは、「成功するという道を断たれる」のと同じぐらい大きなことでした。

いわば、私たちが「独立してやっていきたい」とか「嫌な仕事ではなく、好きな仕事をしていきたい」、「シナリオライターとして食べていきたい」とかいう夢を持っていたとして、その夢が絶たれたのと同じですね。
「君は無能だ」と、その世界で証明されたんですから。
言うなればシナリオライターになりたかったのに、一次選考も引っかからなかったのと同じというか、それ以上の「落ちこぼれ」だったと知ってしまったわけです。

それで、本多さんは「もう自分の人生は終わった。夢は絶たれた」と絶望して、裏庭の古井戸に身投げして、自殺を図ってしまいます。

でも、その途中で、腕が井戸の井桁(いげた)に引っかかって、命を取り留めてしまいます。

そこで本多青年は、「どうせ拾った命だ。もう一度、死んだ気になって勉強してみよう」と思い直して、挑戦し始めるんですよ。

すると、次の試験でとてつもなくいい成績が出たっていうんですよ。

その「小さな成功体験」から、本多青年は「やればできるじゃないか」と知り、面白くなって、勉強が苦にならなくなると。
そしてついには、「君は幾何学の天才だから、試験は受けなくてもよろしい」と言われるようになったり、主席で卒業するようになります。
そこから「日本における『公園の父』」と言われるほど、大成功の道を歩いていくわけですね。

そういう経験を経て、本多さんは「何でも一生懸命やれば、面白くなるもんだな」と思うようになるわけですが。

 

ここで大切なのは、「小さな成功体験」が、その後の本多さんの人生を大きく変えたことなんですよね。
それまで持っていた「能力」とか「才能」ではないわけです。

人は、「変わるきっかけ」ってのがあるものなんですよ。
それまで面白くも何もない仕事をしていたのが、「自分の天職はこれだ」というのを見つけたりとか。
それまで「人生なんて面白くも何ともない」と思っていたのが、急に「これをしていると、楽しくて楽しくてしょうがない」となったりとか。

実はそういうきっかけってのが、「小さな成功体験」で動き始めることが多いんですよ。

小さな成功をするから、楽しくなる。
楽しいから、もっと力を尽くせるようになる。

私も似たような経験があって、初めてゲームを作ったのは、ほんと気まぐれみたいなものでした。
でも、それで完成しちゃった。
しかも、多くの人に「面白かった」と言われた。

たったそれだけの小さな成功体験が、私のその後の人生を大きく変えたわけですね。

作る前までは、「これで人生を変えよう」とか、「多くの人に喜んでもらおう」とか、ひとかけらも思っていませんでしたからね。
ただ打ち込んで作ってみたものが、気がつくと大きな変化を生み出していたわけです。

これと同じように、実は人生での大きな変化ってのは、小さな出来事が生み出すものなんですよ。

ちょっとしたことで成果が出た。
すると、楽しくなって、その楽しさが原動力になる……というわけです。

 

だから、今は「自分には才能がない」とか「能力がない」と落ち込んでいたとしても、それは突然変わることだってあるんですよ。

だめだと全てを否定するのではなくて、小さな成功を見つける。
それが次につながる原動力になる、そういうこともあるんですよね。

そういう「楽しさ」が見つかると、後は勢いに乗ればいいだけで、どんどん人生が変わり始めるものなんですよ。

ってことで、本多静六さんのお話から、「小さな成功体験が、後の人生を大きく変えうる」というお話をしてみました。
「すごいことは、あっさりと起きる」ということですね。

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