いろいろ作業していたら、思いっきり時間がなくなっちゃったので、雑記的な日記です。

別社会の別の常識に触れると、世の中の広さが分かりますよね、という日記です。

 

アメリカの銃社会

少し前に、アメリカで銃乱射の事件があったじゃないですか。

いやまぁアメリカでは銃乱射は日常なので、「少し前じゃなくても、いつでもあるよ」とか言われそうですが(笑

 

ちなみに私は米軍基地のすぐ隣に住んでいるんですが、そういう大きな不幸があると、アメリカの国旗が半旗(はんき:ポールの半分だけ上げて掲げた状態)になるわけです。

なので、だいぶしょっちゅう半旗になっていたりするんですが。

 

それでちょっとSNSを見ていたら、ちょっと驚く動画があったんですよ。

それは、「アメリカ人の持つ常識は、私たちの持つ常識とは、全然違う部分もあるんだな」と気づかされた動画でした。

 

銃社会で生きる人たち

どんな動画かというと、それが銃乱射の現場近辺で撮影された動画でした。

そこではイベントかフェスか何かで、みんながわいわい楽しんでいるわけです。

そんな中、「パン、パン!」と、何度か銃声が響くと。

 

するとその直後、その場にいた人たちが一斉に、おそらく銃声がした方向とは反対側に走り出したんですよ。

それはもう、「銃声に気づいて、そちらを向いて、状況を把握して、走り出す」というステップを、誰もが3秒もかからずに実現しているわけです。

しかも、その場にいた全員がですよ。

 

世の中には「まったく違う常識」がある

こういうのって、私たちからすると「まったく違う常識」ですよね。

おそらく、アメリカではそれぐらい銃乱射は日常なので、「銃声がしたら、すぐに反対方向に走れ」と教えられているんだろうと思います。

できるだけ早く、銃を持つ相手から少しでも離れれば、それだけ命中率は減るので、安全を確保できます。

そして彼らは銃声もすぐに「銃声だ」と聞き取れるし、理解できるわけです。

 

その常識の違いに、驚かされたというか。

改めて、「アメリカは銃社会なんだなぁ」ということを知ったようにも思います。

 

私の場合、きっと銃声を銃声だと理解できずに、何が起こったのか分からないんじゃないかと思います。

で、しばらく立ち止まって頭で考えて、ようやく事態を理解できるんじゃないかなと。

いやもう、その頃には周囲には誰もいなくなっていて、真っ先に狙われて死にそうですが(笑

 

「別社会の常識」に触れると、世界の広さを実感できる

まぁ変な例でしたが、私の場合、こういう「別社会の常識」に触れると、自分の住む世界の小ささとか、世界の広さを実感できるんですよね。

そして、いいこと悪いことを含めて、「世の中には、自分の常識にはない世界もある」と分かって、可能性を感じたりもします。

それは、「今とは違う生き方もできうる」と分かるからですね。

 

私たちって、よく「苦しいけど、我慢しなければいけない」という思い込みを持つものです。

特に個性が強い人ほど、周囲と同じようにできなくて、苦しむことが多くて。

そして、「こんな個性はない方がいい。みんなと同じようにできなきゃダメだ」と、自分を否定したくなったりすることもあって。

 

もし個性を生かして、喜んでもらえるなら

でも実は、まったく苦しむ必要がなくて、むしろ自分の性質が強みになるとしたらどうでしょう

のびのびと自分の個性を生かせて、しかもそれで周囲に喜んでもらえるなら、どんな風に生きていけるでしょう。

 

私の中では、個性ってそういうものだと思うんですよ。

邪魔なものではなくて、伸ばして使うものだと。

 

そもそも、「ならなぜ生命は、そういう個性を作っているの?」ということです。

もし無駄なものなら、500万年という人類の歴史で退化しているはずです。

なら、きっとその個性は、何かのために使い道があるように思うんですよ。

 

「無駄な個性」は、「新たに使い道を探せ」という使命

もちろん、生命は「あえて、新たに無駄な個性」を作ることもあります

「あえてバグのように変異種を作って、環境変化に耐えられるようにする」みたいなことってありうるし、そういうのも変動する環境では意味があるように思います。

そして確かに、そういう「無駄な個性」を割り当てられた個体ほど、滅びやすいかもしれません。

 

でもそういう個体は、生命では「その個性を生かして、何か新たな領域を開拓して、可能性を広げよ」という使命を担っているように思います。

そのための変異種ですからね。

 

もし天が私たちに語りかけるなら

だから、もし天が私たちに語りかけるとするなら、こう言うんじゃないかと思います。

「お前はもがいていい。お前たちのような個性のある種は、未来への希望でもあるし、可能性なんだ」

「苦しんで、もがいてでも、生き延びて、可能性がある場を見つけて、切り開け。それが生命全体のためになるんだ」

 

いやもう、私たちからすると「簡単に言ってくれるぜ、コンチクショウ!」とか言いたくなるんですが(笑

だって、ランダムで性質を決められた上に、ヒントも何もなく「生き抜け。可能性を作れ」と、この世に放り出されるんですからね(笑

しかも人生初期では、かなりの率で周囲から「この子は異常だ」と烙印を押される中で、生き抜かなきゃいけないわけで。

 

それでも私たちは、なんとかしてこの個性をうまく使う道を見つけ出す必要があると。

個性を押さえつけるだけで、苦しいですからね。

でもその一方で、個性を伸ばすと、それだけ「心地よさ」というご褒美が待っていると。

だから、個性は伸ばして大いに利用するためにあるようにも思います。

 

まとめ

いやまぁ、アメリカの常識から、最後には個性と生き方の話になっちゃいましたが(笑

でも、世界の広さを知るというのは、そういう「自分の可能性」を知るという点で、とても励まされるように思います。

 

それに私の場合、「自分を変化させること」も好きですからね。

いろんな常識やスタイルに触れて、生き方を変えてみたいんですよ。

 

世の中は「子供時代に適応したら、ずっと大人になってもその習慣を持ち続ける」が多数派です。

でも、一部の人は「どんどん変わり続けるのが好き」というタイプもいるように思います。

このブログが好きな人は、そういう「変わり続けるのが好き」というタイプが多いようにも思ったりもします。

 

それはきっと、「可能性を切り開くため」じゃないかな、と思ったりもします。

これが分かると、「どんどん変化していい」とできて、動きやすくなるかもしれません。

 

まぁそんな感じで、つらつらと常識について語ってみた日記でした。

今日はここまで~。

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