今日は、生き方のお話です。
「間違ったけど、結果オーライ」ってことありますよね、というお話です。
ヨガを学びたかった人
ちょっとした面白い人がいたので、ご紹介。
その人は、「何か人を癒やせる技術を学びたいな」と思っていて、それでヨガを学ぼうとしたと。
だけど、学校か通信講座かで申し込みをする際に、チェックを間違って、アーユルヴェーダに申し込んでしまったと。
アーユルヴェーダというのは、インドの伝統的な医療技術ですね。
まぁ東洋で言う、漢方薬とか鍼灸(しんきゅう)と似たようなものです。
間違ったけど、ハマっちゃった
それでその人は落ち込んだんですが、お金も払っちゃったし、せっかくなので受けてみたって言うんですよ。
すると、アーユルヴェーダが面白くて、思いっきりハマってしまったと(笑
こういうことって、結構あると思うんですよ。
すなわち、「当初の見込みからは間違ったけど、結果オーライだった」ってことですね。
最初からゴールが分かるわけではない
だいたい、私たちは最初から自分の個性を理解しているわけはないし、最初から完璧に、人生の計画ができるわけでもありません。
「自分の知らない自分の側面」はいくらでもあるし、「実はこっちの方が面白かった」ということも、山ほどあるわけで。
すると、「最初に決めた決意」なんて、さして意味はないし、信憑性もないと分かります。
それよりも、むしろ「間違いも含めて楽しんでみよう」というぐらいの方が、可能性は見えやすいように思います。
最初から正しい方向に行けるわけではない
だいたい、私たちは最初から正しい方向に行けるわけではありませんからね。
それに、もし私たちの判断が正しければ、私たちはすでに億万長者になっていて、最高の幸せになっているものです。
なら、むしろ「自分の知らない場所」ほど、意外な可能性があることも多いように思います。
私自身、ブログでこういう生き方とか、メカニズムについての話をするなんて、ブログを始めた当初はまったく思ってませんでしたからね。
それに、そういう本を書くことになるとも思っていませんでしたし、それで喜んでくれる人が出てくるなんて、もっと思わなくて。
単純に、私は「書きたかったから、書いた」だけだったりします。
まとめ
なので、そういう「間違ったけど、結果オーライ」ってことも、結構あるように思います。
「たまたま違う道に入ったら、そこでよさそうなカフェを見つけた」的な出来事って、よくあるでしょ。
そのためにも、「決意から離れたところにも、オアシスがある」と思うのもいいかなと。
「決意」というのは、「そこにオアシスがあると判明しているもの」に対してのみ設定できます。
でも、「自分だけが発見する、独自のオアシス」というのは、知らない場所とか、思いもよらない場所にあるもので。
そういう風に肩の力を抜いて、「せっかくだし、試してみよう」ぐらいのノリもいいように思います。
すると、独自のオアシスを見つけられるかもしれません。
ということで今日は、「間違ったけど、結果オーライ」ってことありますよね、というお話でした。
今日はここまで~。